第41話 懐かしさ
「あの二人、中野君と小川君の二人は、尚武さんに会っているんですか」
まず、第一の条件として、顔見知りである必要がある。
そうしないと、あの小屋の存在を知ることが出来ないはずだ。近くで作業していると知っていても、正確に場所を知ることは出来ない。
「会っていますよ。さすがに生活させてもらいますから、挨拶をしておかないと。それに急に知らない人と鉢合ったら、驚かせることになるでしょ。基本的にいないとはいえ、たまには父親に会いに顔を出していましたからね。俺がいれば、それほど緊張はしないだろうと思って、二人を紹介しました」
「その時、二人には元研究者だと伝えた」
「ええ。企業で働いている時に出した論文も見せましたよ」
ここまではクリアか。
あの二人は尚武が工学者であることを知っていた。そして、それなりに優秀であることも理解していた。動機が形成される土壌はあったわけだ。
しかし、あんな殺人を犯すまでに至るか。ここは解明されない。
「二人の反応はどうでした。研究に関してでも、尚武さんに関してでも、気になったことはなかったですか」
あの二人の中にいると、吉田も仮定しているのだ。そう聖明に問われ、必死にその当時の様子を思い出す。
「ちょっと待ってください。それほど特殊なことはなかったですよ。二人と尚武さんは、そう、この屋敷で会っています。論文も事前に渡していて、二人が簡単な質問をしていたんですよ。ええ」
しかし、吉田はそこではっとした顔をする。そして思い出したと手を打った。
「そう言えば一つ、かなり突っ込んだ議論をしましたね。尚武さんが勤めていたのは大手電機メーカーだったので、その時の研究についてです。そうそう、たしか人工知能の自然言語解析についてだったかな。訛りや癖をどう見分けて正しく理解させるか。そんな研究をしていたんですよ。それについては、ここの人工知能とは別分野になりますから、詳しく話を伺っていたんです」
吉田はそうだったと思い出し、懐かしむような顔をした。
元気だった、いや、生きていた時を思い出し、寂しくなったのだろう。尚武の死が確認されて、まだ六時間しか経っていない。話題にしたことで、急にその死が現実味を帯びたのだ。
「色々、本当に色々なことがここでありました。意地になったように研究データを見ていましたが、きっとそれが思い出の一部だったからなんですね。ここで、栗橋先生と議論したこと。いや、それ以前に、この屋敷を訪れたことなんかも、思い出です。栗橋先生は夏にここで過ごすことが多く、学生や研究仲間を昔からここに招いていたんですよ。その頃はまだ奥様も現在で、三浦さんはいなかったけど、楽しかったな」
すでに遠い昔になってしまったと、吉田は目を細めて窓へと目を向けた。
そこからは、庭の開けた風景が見ることが出来る。憲太が小さい頃遊んでもらったというのは、おそらくあそこなのだろう。
「栗原亜土さんは、人付き合いの言い方だったんですね」
「ええ。新しい知識を取り入れることに貪欲な方でしたから、異分野の方とも積極的に議論されていましたよ。生きておられたら、きっと本郷先生とも話したがったことでしょう。物理学にも非常に興味を持っておられました」
この家に大人数を招くことを想定していたという、三浦を雇った経緯からも、それは何となく解っていたが、なるほどと聖明は頷く。明るい性格だったということも、そこから推測された。
「ということは、尚武さんも、ああなられるまでは社交的だった」
「ううん。いや、内向的だったと思いますよ。日本の研究者に多いタイプというか、まあ、理系らしい人だったね。だから潰されたのかもしれない」
言語系を研究していたのに、コミュニケーションが下手だった。いや、むしろ下手だから、人工知能で言語を解析しようとしたのか。知りたいと思う動機は人それぞれだ。それに関して、勝手に推測しても仕方がない。
「親子で性格が反対ってのは、よくあるパターンだと思いますよ。俺の親父は凄いむすっとした人でね。ああはならないぞと思ったものです」
悩む聖明に、辻がそう言って笑いを誘った。辻とは真逆の父親を誰もが想像し、それは嫌だなと笑う。
「そこまで言わなくても。でもまあ、研究者としての成功に関してもそうですが、何かとプレッシャーだったでしょうね」
あまりに笑われて苦笑いになった辻は、話を戻しますよと吉田に訊ねた。
「そうでしょうね。大学に残らなかったのも、父親を気にしてのことでした。いつか同じ場所で研究することになるかもしれない。それを恐れているようなところがありました」
「なるほど。そうなると、企業という選択は妥当ですね」
聖明は親子関係が複雑だなという思いになっていた。彼のあのおどおどした性格は、もともとあったものではないか。それを、何らかのストレスが全面的に押し出してしまった。そんな印象になる。
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