第42話 印象の差
「じゃあ、議論されている時も、それほど覇気はない感じでしたか」
「いや。そこはさすがに研究者ですよ。はきはきとした受け答えで、そうですね。もちろん、昔のようにとはいかなかったですけど、ちゃんとした議論でした」
吉田はどうして今まで思い出さなかったのだろうと、自分の記憶に笑ってしまっていた。それは年を取った証拠か。
「では、二人とは良好な議論をしていたわけですね」
「ええ。そうです。尚武さんがちゃんと議論をしていた。それ以外に変わったことは何もなかったですね」
吉田のその話は、二人と尚武の接点をもたらしたものの、より謎を深めるものとなったのだった。
どちらを先に呼ぶか。悩んだ末に小川から呼ぶことにした。
小川とは先ほど話したばかりだし、中野とは前日にトラブったところだ。嫌なことを後回しにするのは良くないのだが、聖明はその順番で行くことにした。またしても宮下に呼びに行ってもらう。
「ああ。こんなことになるのなら、いつもの調子で言い返すんじゃなかった」
「本当に、そういう点に関しては馬鹿ですよね。中野さんが見惚れているくらい、許す度量はなかったんですか」
今更後悔する聖明に、未来は冷たかった。
こういう度量の狭さが駄目なのだと、未来は聖明がモテない理由だなと常々思っている。とはいえ、未来に必要なのは学者としての聖明なので、この欠点に関して直せとは言わない。
「ううっ。でもなあ。初対面の人に毎回毎回顔をじっと見られるこっちの身になれよ。結構辛いぜ」
「美形特有の悩みは、誰も共有できませんね」
そこまで言ってふと、未来は中野に関するあの問題を思い出した。そして、このまま言わないでおこうかなと考える。聖明の場合、配慮というものが出来ないのだ。ということは、わざわざ指摘することは、新たなトラブルを生むかもしれない。
もし犯人だったとしても、関係のない要件だ。それに田村はすでに気づいているから、ちゃんと配慮してくれることだろう。
「失礼します」
そんなやり取りをしていると、小川が現れた。
今度は何だろうと、少し警戒した様子である。容疑者として扱われていると知っているだけに、下手な発言は出来ないと考えているようだ。
「やあ、論文で忙しい時に済まないね」
聖明がそう声を掛けると、小川は少し警戒を緩めたようだ。いきなり事件のことを聞かれるよりは、まだ心が休まるということらしい。
「いえ。もう大分出来上がっていますから。ただ査読があるので、間違いがないか。そのチェックが残っています」
小川は四人の前に座ると、大変ですともう一度言った。それは早く済ませてくれというアピールでもある。
「査読ってなんですか」
しかし、門外漢の辻には、それがどういうものか解らない。
「論文が雑誌に載る前に、同じ分野の人がその論文が正しいか検証するんですよ。権威ある雑誌だと、多くは査読があります。それにパスしないと、雑誌には掲載されないんです。論文はそういう雑誌に掲載されることで、価値を認められるんですよ。お墨付きを得るようなものです」
辻の質問に答えるのも慣れたものになってくる。自分たちにとって常識であることを、辻はほぼ知らない。そういう理解に切り替わったからだ。
「ほう。そういうものなんですね。それで忙しいと」
「ええ。どれだけ正しいと思っていても、他の人が読むと違うと感じることがあります。それが極力ない形で提出したいので」
小川はそこでどうぞと、質問を受ける姿勢に入った。ようやく気持ちが落ち着いたようだ。
「今回お話を伺いたいのは、亡くなった二人の印象についてなんです。どういう方だと思ったか。それを率直にお願いします」
そのまま辻が質問をする。
すると、今更印象ですかと、小川は驚いたようだ。腕の発見を知らないから、それは順当な反応だろう。
「どうと、言われても」
「それじゃあ、研究を手伝っていた亜土さん。こちらから伺いましょう。どういう方でしたか」
具体的にどちらからか、そう示したのは聖明だ。本当の目的は尚武の印象だが、それを気づかせない方がいい。
「そうですね。かなり変わった方だなと思っていましたけど」
「ほう」
これはまた違う印象だなと、聖明は思った。
人それぞれ受け取り方は違うものだが、なかなか面白い差異だ。
「変わったというのは」
辻がそれを掘り下げて訊く。
ひょっとして変わっているから脳みそを取り出したのか。そんなことを思っているのだ。
「学者によくあるタイプですけど、よく話が飛躍するというか。次々と違うことをやるので、こっちはついて行くのが大変でしたね。まあそれも、俺が凡人のせいかもしれないですけど」
変わっているというのは普通だと、小川は辻の疑いに気づいて言い切る。
それはそれで奇妙な日本語になるのだが、聖明には言いたいことが解った。
「つまり、理解するのに時間が掛かると思っていたんですね」
「ええ。一度だけでは解らないこともよくありました。その点、中野さんはすらすらと理解できるみたいでしたね。ひょっとしてあの二人、とか、思ったこともあります」
そう言えば、小川は当初から控えめな感じで、そしてこの研究に積極的だという印象がなかった。
吉田にいい勉強になると連れて来られたわけだが、本人は納得していないのだ。だから、ここでも論文を必死に書いていたのだろう。
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