第20話 エラー

「ええ。だから余計に映像がないことに混乱しているんですよ。それに凶器も見つかっていません。ここにいる方たちしかあり得ないんですが、特定する要素は一切ないんです」

 そんなきっぱり言っていいのか。部屋の中に美典がいた時とは違う、重苦しい緊張感が漂う。それに気づき、辻はまあまあと宥めた。

 誰のせいだ。

「あの」

 そんな重苦しい空気の中、食堂に顔を覗かせる人がいた。眼鏡を掛けたその人物は、気弱そうな雰囲気から憲太を想像させる。

「父の栗橋尚武くりはしなおたけです。ちょっと対人恐怖症なんです」

 憲太はそう言って、ちょっと恥ずかしそうに紹介した。なるほど、それで今まで出て来なかったのかと、納得できる。憲太よりも神経質そうだ。

「あの、先ほどは妹が失礼しました」

「いえ。お気遣いなく。こんな非常時にお邪魔しているこちらが悪いんですから」

 これまた吉田が対応した。この場合、慣れた人の方がいいだろうから、対応として正しい。尚武もほっとした顔になった。

「そう、ですか。あの、本郷先生というのは」

「俺ですが」

 まさか名指しされると思っていなかった聖明は、丁度口に海老天を放り込んだところだった。海老のしっぽが口から零れ出ている。

「あの、後で」

「父さん。俺がちゃんと頼んでおくよ」

「あ、ああ」

 何か相談があるんだなと、聖明は理解して頷いた。しかしまだ口からしっぽが出ている。

 この人、海老が好きだったのかと辰馬はその口を見て思った。何だか違うことを考えていないと、胃が悪くなる一方だ。これは聖明の思考法とは関係ない。

「実は、誰か相談できる人を連れて来てほしいと、頼まれていたんです。そこで辰馬に相談したところ、先生に言ってみてはどうかとなった次第で」

 ようやくこの家に来訪する過程が見えたわけだ。聖明は海老のしっぽを吐き出すと、相談相手に適任だろうかと自分で悩む。

「まったく関係がなく、しかし理系の人がいいと希望しているんです。きっと、祖父の研究に関して、客観的な意見が聞きたいんだと思います。父は神経を病むまでは、企業の研究職にいましたから」

 色々とあるんだなと、辰馬は思わず憲太に同情してしまった。

 今まで大学で仲良くしていたが、そんな悩みを抱えているなんて見せたことはない。病弱なところはあるが、芯が通っているのだ。

「まあ、そうでしょうね。これだけ多くの人が出入りして、ああだのこうだの言っているわけですから」

 本当に価値があるのか。疑うわけではないが、違う意見を聞きたい。それは解る心情だ。あまりに同じ方向の意見ばかりだと、不安になる時がある。

「今は、研究はされていないのか?」

「ええ。年も年ですし、早期退職をしたんですよ。今はこの近くで、木彫りの彫刻を作る仕事をしています。もともと、そういう木工に興味があったらしく、手先が器用なんですよ。作品はインターネットで売っていて、それなりに売れています」

 憲太はそれでほっとしていると言い切った。おそらく、対人恐怖症に掛かった当初は大変だったのだろう。

「へえ。じゃあ、話を聞いたついでに見せてもらおうかな」

 聖明はそう言っていたが、それが果たされることはなかった。

 翌日に話し合う予定は、様々な出来事と、何より尚武が死んだことで不可能となったのだった。




 最初の異変に気付いたのは、なんと刑事の田村だった。一度署に戻るということで、夜の十時くらいに出ようとした時のことだ。

 それまでは、酒も入ったためか、食堂で和やかに親睦を深めることとなっていた。軽いつまみを三浦が出してくれ、結局なし崩しで聖明も未来も飲み始めた時のことだ。憲太は呼吸器の調子を考えて遠慮すると、この時も飲んでいなかった。

「玄関の鍵が開きません」

 そんなだらだらした食堂に、険しい顔の田村が戻ってきたことで飲み会気分は少し変化した。が、まだこの時はそれほど深刻な事態だと誰も考えていなかった。

「開かない。そんなことはないはずです。ちょっと待ってください」

 動いたのは、この時も吉田だった。この家の勝手を一番知っているのは、この吉田ということになる。そうして二人で連れ立って玄関へと向かったのだ。

「システムのエラーですかね」

 憲太は聖明に訊いていた。それに聖明は、その可能性が一番高いだろうねと応じた。それほど機械に詳しくないが、他に考えられそうにない。しばらくすれば吉田が直すだろうと、食堂の中はまた飲み会の雰囲気が戻っていた。

「憲太君って、若い時の栗橋先生に似ていると思わないかい」

 川口がスマホで亜土の写真を表示し、周囲に見せたことで余計に空気は緩んだ。

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