第5話 ややこしい
「今回はお引き受けいただき、ありがとうございます」
「ん? 引き受ける?」
何のことだと、挨拶してきた憲太に聖明はきょとんとする。これは辰馬の説明不足のせいだ。
「ああ。ちゃんと言ってなかったんだよ。先生。今回あの屋敷に行くのは、学術調査ということになっています。はい。それで、その監視役というか、壊さないように見張っておく係というか、そういうことなんですよ」
辰馬は焦ってしまい、上手く言葉に出来なかった。
それに憲太はまあ、そういうところですがと頭を掻く。
「ややこしい」
「実は辰馬にも言っていないんですが、お弟子さんやら身内やら、何だか乗り込んで来るみたいでして」
遺産絡みでしょうねと、憲太は重い溜め息を吐き出す。
すでに何かあったのか、疲れも見えた。
「なるほど。未発表の研究をあそこで試していたとなると、弟子だと名乗る連中が躍起になるのも無理はないかもな。土地や建物は価値があるものなのか」
あの適当に引き延ばされた写真しか見ていない聖明は、大きさを正確に知らない。ただ、T県の山奥のかなり大きい土地だと聞いただけだ。
「土地自体はそれほどでも。なんせ不便な山奥ですから、売り払っても二束三文にもなりません。ただ、建物は昭和初期に建てられたものだということで、文化的価値のあるものです。俺はあの家を見て、建築を学ぼうと思いましたから」
しかし、亜土が随分と改造してしまったのでどうだろうかと、憲太は首を傾げる。外装こそそのまま残っているが、中は多くの機械類が取り付けられている。間取りも少し変化しているのではないか。ここ数年、事件が起きるまで憲太はあの家に入ったことはない。
事件が起きて呼ばれたものの、詳しく中を見ることもなかった。だから今日、憲太もまたあの家を調査するような気持ちでいた。
「それは市原から聞いたよ。よほどいい家なんだろうね。まったく、何が人に影響するか解らないものだな。建築学は楽しいかい?」
「はい、それはもう。自分にぴったりの学問に出会えたと思っています」
これは胸を張って答えられると、憲太は頷いた。もし無理やり祖父と同じ情報工学に進んでいたら、大学院まで進学しようとは思わなかったことだろう。どうも馴染まないのだ。
「それは良かった。自分が好きだと思える学問に出会えるか。これは人生において大きな差となる。うん」
それは凄い主観なのではと、辰馬は思ったが突っ込まなかった。世の中、研究に進まない人の方が多い。が、憲太は嬉しそうにそうですねと同意しているので、何も言わないのが無難だ。
「それでだ。その問題の栗橋亜土、つまり君のお祖父さんはどういう研究がメインだったのか。それは知っているかい。何冊か本を読んだんだが、数学から工学に移ったという感じだね」
「ええ。かなり移り気な人だったんです。一つのテーマをじっくり考えるより、あれこれ考えるタイプと言いますか。それで数学よりも発展し続けるコンピュータの方が面白くなったみたいですね。そして最後の方は」
「人工知能か」
聞いているだけも、新しいものが好きだったことは理解できる。だが、普通は気になるからといって簡単に研究分野を変えられるものではない。それだけ、亜土は天才的な頭脳を持っていたということだろう。
過去にも同じように、物理学から工学までこなす学者はいたものだ。最近でこそ少ないものの、そういうタイプだったと考えることも出来る。
「ええ。まあ、人工知能に関しては異分野からの参入も多いようで、むしろ祖父は異分子でも何でもないんですけどね。それでも、独自の研究を進め、あの家に組み込むことに成功したんです。いくらIoTが盛んになったとはいえ、まだ総てを人工知能に任せシステム化するところまでは出来ていません。かなり、先進的な研究成果ということは門外漢の俺でも理解できるくらいです」
憲太は困ったように答えた。
なるほど、この先進的だったということが問題を大きくしているらしい。
「その、お弟子さんの中に犯人がいるって可能性は?」
「それしか可能性がないようです。あの事件は警察もお手上げのようで、一年経っても進展しないようですね。まだ何人かの刑事が、あの屋敷の捜査に入っているみたいですけど」
事情聴取でも聞かれたのか、憲太はうんざりした表情になる。それに聖明はすまないと謝った。
「興味本位で訊ねていい内容ではなかったな。それに君はそのお弟子さんたちを知らないわけだし」
「ええ、まあ。顔見知りの人もいますが」
聞かれても困るが謝られても困るものだ。憲太はついそんなことを言ってしまった。それに聖明の目が少しだけ鋭くなる。
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