第32話 遊ばれている

 手荷物検査はそれぞれの使っている部屋で行われた。

 三人とも長期滞在しているとあって、それなりに物が多かった。事件があって一度帰ったものの、また戻ってくるからと本や必要な道具は置いて行ったためだ。

「雑然としていてすみませんね」

 まず入った吉田の部屋は、本気で散らかっていた。さすがに食や洗濯という部分は三浦がやってくれているからか、生活の形跡で汚れているというのではない。言うならば研究室と同じ汚れ方だ。本や書類、パソコンなどでテーブルや床が占拠されてしまっている。

「これ、寝る時に困りませんか」

 ここまで散らかっていると思っていなかった辻が、思わずそう訊ねるほどである。すると、布団が半分敷ければ大丈夫だと笑われてしまった。

「はあ。そうなってくると、刑事と変わらないですね」

「そうですか。まあ、どうぞ。手荷物検査ですよね」

 それと、服の上から触らせてもらいますねと、その役目を何故か聖明に押し付ける。

「何故」

「いやあ。この人、確実に犯人ではない感じなので」

 そうでなければ正面からケンカを売っていないと、よく解らないことを言う辻だ。この人のコミュニケーションは独特であるらしい。

「はあ。では失礼して」

 一番の理由は、おっさんの身体を触りたくないだけではないか、というのは穿った見方だろうか。こういう役目は普段、若い警官の仕事のはずだ。今回は聖明を連れてくるということで、若手を呼ばなかった。そのせいだと思う。

「こう、上から叩く感じでいいんですか」

 仕方ないなと、聖明はぺちぺちとやる気なく吉田を叩く。

「先生。それ、嫌がらせにしかなってないですよ。でも、ポケットだけ入念にお願いします」

 そんな聖明に、辻は諦めてポケットだけ捜索してくれと頼んだ。その指示に、適当だなと笑ったのは調べられている吉田だ。

「手を突っ込んでもらって大丈夫ですよ」

「もはや自分でやってもらった方がいいですよ。何も残っていないか、上から触りますから」

 意味ないだろうと、聖明はそれでいいですねと辻に確認を取った。何だか年上二人にからかわれている。

「ははっ。それが手っ取り早いですね」

「解ってて言ってただろうに」

 笑う辻に、マジで勘弁してくれと聖明はげんなりしていた。リラックスさせるためだったのか。その後の捜索はすぐに終わった。

「次が本番です。お願いしますね」

「吉田さんで肩慣らしさせないでください」

 吉田の部屋を出る前のそう言った辻に、聖明はやっぱりなと溜め息が出る。完全に遊ばれていた。

「いやいや。先生、お願いしますよ。その、どちらも疑いたくないですが、二人しか可能性はないんです」

 深々と頭を下げて頼む吉田に、聖明は頷くしかない。なぜ、自分を頼りにするのか。吉田は最初からそういう傾向にあっただけに、疑問が過る。

「それは」

「どちらかの可能性が高い。他の可能性はないと、気づかれていたのではないですか」

 聖明の質問に、吉田は申し訳なさそうな顔をした。本来ならばすぐに警察に言うべきことだ。それを黙っていたために、尚武の事件が起こってしまった。その後悔が読み取れる。

「まあ、吉田さんにとっても弟子ですからね」

「ええ。と言っても、中野君は違います。ご存じのように、彼女は引退前、栗橋先生が直接指導していました。その縁でここの研究も手伝っていたんです。とはいえ、現場で指導するのは俺ですから、弟子だと思っています」

 吉田はそう言ってもう一度頭を下げ、間違いを早く正してやりたいと言った。教育者としての責任感もあるのだ。

「いい先生ですね。俺には無理です」

 部屋を出てから、聖明は思わずそう言っていた。それに辻は、先生も准教授でしょと驚く。

「いやあ。研究が出来ることと、ちゃんと指導できることは別ですよ。ああいう、両方がしっかりしている人がいると、誰もが出来るように思われるかもしれませんが、大学の教員は基本的に自分の研究が第一ですからね。それをするために、なっているわけですし」

 なぜこんな話を辻にしているのか。不思議な気分になりつつも、聖明はそんなことを言っていた。これは日頃考えていることだからだろう。果たして自分は准教授のポジションにいるべきか。最近は大学での指導にもチェックが入る。昔のように放任していても大丈夫ということはない。

「ふと思うんですよね。ちゃんとやれているのかって。大学院生たちの将来が掛かっていると思うと尚更。悩むところです」

 話し出したら中途半端に止められず、結局、本音まで漏れていた。聖明はしまったと頭を掻くと、廊下を早足で進もうとする。

「先生って、真面目なんですね」

「そう、ですか」

 そんな聖明に、辻はしみじみと言うので、どうしたのかなと振り返る。

 すると辻は、普段とは違う優しい顔をこちらに向けていた。その顔に、聖明は戸惑うしかない。そういう、年上からの視線に慣れていないのだ。

「ははん。先生。割と早く出世したから、そういう意見って聞かれなかったんですね」

「そういう言い方が辻さんらしいです」

 そっちの方が助かると、聖明は肩から力が抜けた。そうだ、吉田に言われた言葉のせいで、妙に肩に力が入っていたのだと気づく。

「さ、行きましょうか。問題は二人に絞られましたが、どちらも猟奇殺人を犯すようには見えない。まあ、犯人ってのは往々にして、それらしくない人物ですけどね」

 辻としては、聖明はまともな教育者としての一面があることを知れたのが心強い。間違っても安易な指摘はしないはずで、慎重に捜査してくれるはずだ。

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