第14話 書斎
「この人に不快な思いをしたら、すぐに知らせてください」
そして、それに気づいた未来が横から、大学の庶務課の連絡先を渡す。いつでもセクハラで訴えてくれていいとまで言った。
この人はこの人で酷い。
「は、はあ」
そこでぼんやりしていた自分の状態に気づいたようで、中野は気の抜けた返事だけして書斎に引っ込んでしまった。
「まったくもう。イジメですよ」
「イジメるとは何だ。人の顔をぼんやり見ることはイジメにならないのか」
聖明がそんな反論をする。
が、あなたはもういい大人で、しかも准教授ですよと未来に注意された。
至極ご尤もな指摘であり正しい注意だ。
「ちっ。社会的地位ってのも時に面倒だ」
聖明はそこで諦めたようで、むすっとそれだけ言う。
周囲はもう笑いを堪えるしかない。
「いやはや、顔で苦労されるとは羨ましい限りですね」
「いや。物理学者に顔は必要ないですよ。日本だとほぼ男ばかりの学問ですしね」
リケジョブームも一時期でしたねと、聖明は溜め息だ。
おい、横にいる未来をカウントしろと、周囲は冷や冷やしてしまう。どういう偏見だ。
「先生の場合、人類の分類から学んだ方がよろしいですね」
未来からは、そういう冷たい一言だけが飛んできた。
人類規模にするなと、辰馬は気疲れで死にそうだ。
おそらく、聖明は物理学を志した時点で、女性とカウントしていないってことなのだろう。過去に何かあったに違いない。
「気を取り直して、メインの書斎に行きましょう」
吉田が再度仕切り直して、全員で書斎へと入った。この書斎。大人が五人以上余裕で入れるほど広い。しかも機械類や本棚、机が三つもあるのにだ。
部屋の中には先ほどの中野以外にもう一人、若い男性がいた。二人揃ってその三つある机の上に乗るパソコンを操作している。
「はあ。書斎というより制御室というのが正解ですかね」
その様子がより書斎というより制御室の印象を抱かせ、聖明は言っていた。ここは完全にコンピュータが中心となっている。
「そうですね。元書斎というのが正確です。先生の研究室、ラボなんですよ」
吉田がそのとおりと頷いた。ここでやっていたことは研究であり、自らの人工知能を試す実験場なのだ。
「そうですね。しかし、人工知能を使えるのはここだけですか」
「ええ。演算をするサーバーはそこと、上の機械室ですね」
それ以上の計算は、この規模では無理だという。どこかのスパコンを借りたことはないので、これで全部だと吉田が言い切った。
「ふむ。つまり、外部から何らかの影響を受ける可能性はないわけか」
やはりあの監視カメラのエラーが気になるのだ。他にも操作できるところがあれば、あるいはと推理していたらしい。
「ええ、そうです。おかげで問題はより厄介なものとなりました」
同じことを吉田も川口も考えたという。だからすぐに調べたのだ。しかし、ネットワークはこの家だけで完結しており、クラウドを使って外部のサーバーを使った形跡もなかった。
「なるほど。だから容疑者はこの中に限られたってことですか」
ますます面倒ですねと、聖明は辻を見た。
その辻は、書斎の入り口から余計なことをしていないかと目を光らせている。しかし、電話が掛かってきたようで、スーツのポケットからスマホを取り出すと、どこかに行ってしまった。
「まあ、事件に関してはどうでもいいか。それより、見学させてもらっても」
「ええ。小川君、先生に説明してあげて」
聖明の申し出に、先ほどいざこざのあった中野は避け、吉田はもう一人に説明を求めた。もう一人の人物は小川佑太といい、まだ二十八だという。
「ということは」
「ええ。先生が大学にいる間に教わることはなかったです。しかし、面白いものを見たいならばどうだと、吉田先生に誘われて」
なるほどと、聖明たちは吉田を見ていた。彼が紹介したわけだ。つまり、小川は吉田のところで研究していることになる。亜土からすれば孫弟子のような存在というところか。
「学生の頃から優秀だったからね。先生の研究に触れるのもいいだろうと思ったんだよ」
吉田の意見に、聖明も未来も大きく頷く。
研究者にとって、他の人の研究に触れることは重要だ。しかもそれが一流の研究者となれば、その後の研究人生に大きな影響を与えるはずだ。そんな二人の反応に、小川は困ったような恥ずかしいような、そんな表情をしていた。
「ああ、すまない。それで、この人工知能は」
「はい。この家の総ての動きを学習しています。画像認識には頼らず、モーションや振動を数値化し、それを評価関数としているんです。それで誰がいつ、どういう動きをするのか。二十四時間でパターン化し、自動で風呂を入れたり電気を付けたり、そういう日常生活の補助を行います」
小川の説明は非常に明確で解りやすかった。これでこの家の絡繰りの大部分を理解できたようなものである。
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