第13話 甘い男 (キュン9)

 無言のままエスコートされ庭まで来ると、後ろをついて来た赤髪の補佐官がレイモンドに向かってヒラヒラと手を振った。

 どうやら自分は庭の入り口で待つということらしい。


「アンジェラ、さっきはすまない」

 レイモンドはピッタリと身体を寄せ優しく耳元で囁いた。応接室で自己中心的に喋っていた男とは別人のように熱く私を見つめている。


「何についての謝罪ですか?」

 手を振り払い身長差のある彼に負けないように、胸を張ってドスの効いた声で言ってやった。


 それなのに、レイモンドは首を傾げ嬉しそうに私の顔を眺めると「怒った顔も可愛いね」と目を細めて笑う。

 プッツンと何かが切れた。


 ドスッ。

 人を馬鹿にした態度に、思いっきり拳でお腹目掛けパンチをお見舞いする。


「イッ……タイ!」

 あまりの痛さに自分の拳を握りしめてうずくまった。

 お腹なのに、なんでぷにってしてないの?

 拳がジンジンと痺れる。

 まるで板!

 板にパンチしたの私?


「大丈夫か?」

「大丈夫なわけないでしょ。なんでそんなに腹筋が硬いのよ。手が折れるじゃない!」

 勢いよく立ち上がり、痺れた拳をプルプルさせて目の前に突き出して見せた。


「それは大変だ」

 レイモンドは私を抱き上げるとイングリッシュガーデンの中を通り抜け、バラで作られた東屋のベンチに私ごと座った。


「ちょっと、おろしてよ」

「ベンチが汚れているから下ろせない」

「はぁ? 公爵家のベンチが汚れているわけないでしょ」

「それより、手を見せて」

 レイモンドの綺麗な顔が至近距離に迫り、心臓が飛び出しそう。

 ドキドキしてヤケクソで拳を見せると、後ろから私を抱きしめ、手を包み壊れ物を扱うよに確認する。


「折れてはいないようだが、ちょっと赤くなっている。屋敷で冷やしたほうがいい」

 抱きかかえられたままレイモンドの顔を見上げると、刹那げに私を見下ろす瞳と視線が絡む。


 なんて顔をしているの?


「くすぐったいし」

 いつまでも離さないレイモンドの手を振り切り、私は素早く膝の上から降りた。

 さっき平気な顔で私のことは愛さないと宣言していた奴が、まるで捨てられた子犬のようにシュンと私を見つめる。


「怒ってるよな」

「別に。怒ってないです」

「今日、突然会いに来たことも?」

「ええ」

「可愛い口パクを無視したことは?」

「それは怒っているわ。私が困るのを楽しんでいたでしょ」

「ごめん、本当に可愛いくて」

 今更どの口がほざく。

 さすがチャラ男。舌の根も乾かないうちにこんなセリフを吐けるとは。


「じゃあ、政略結婚することで後ろ盾が欲しいって言ったのも?」

「どうでもいいわ。もともと政略結婚をしたいって言ってたのは私だし……もちろん相手はあなたとじゃないけど」

 ふん、っとそっぽを向くとレイモンドはベンチから立ち、斜め上から私の顔色を伺う。

 八重の蔦バラがレイモンドの後ろで咲き乱れていて、まるで一枚の絵画のようだ。

 見惚れてしまいそうになり、ぎゅっと目を瞑る。

 ダメダメいくら寂しそうな顔をしても、態度をころころ変える人間は信用できないんだから。


「俺が欲しいのはアンジェラからの愛ではないって言ったのは気にしてない?」

 急に耳元で囁かれ、私は耳を押さえてレイモンドから距離を取った。

 吐息をかけないでよ!


「ええ、まったくこれっぽちも怒っていないわ!」

 ゾワゾワとする背筋がたまらなくて、大声で叫んでから私は庭の奥にどんどん進んで行った。


 悔しい。

 レイモンドには怒ってないって言ったけど、私は怒っている。

 この怒りの意味は今は考えたくない。

 それなのに、レイモンドが後からトコトコついてくる。


「ついてこないで、庭の案内はもうおしまいよ」

「ちょっと待って」

 レイモンドが腕を掴み、私たちは睨み合う。


「アンジェラ、手を離しても逃げないで」

「いやよ」

「じゃあ、仕方ない」

 何が仕方ないよ、と言い返す前にレイモンドはあろうことか私に見せつけるように、手の甲にキスを落とす。


 チューされた!!

 顔にボボボッと熱がいっきに集まってくる。


「君はもう俺から逃げられない」

「何するのよ。離して!」

 力一杯腕を引くがびくともしない。


「離せば逃げてしまうだろ」

 当たり前でしょ。

 日本人を舐めるな!

 あんたにとっては挨拶でも、私にとって初体験なんだから。


「アンジェラに誤解されたままでは帰れない」

 誤解?


「大丈夫ですよ殿下。誤解など一つもないですから」

 私は渾身の力を込めて、掴まれていない手でレイモンドの頬を平手で叩いた。


「自分が何に怒っているかわからなかったけど、今わかったわ」

 驚いて目を見開いているレイモンドの腕から逃げる。



「今日あなたが突然尋ねてきて、驚いたけど嬉しかったと思う」

「アンジェラ……」

「私たちはお酒を飲んで、ついうっかり一夜を共にしただけ。私は呪われてるし殿下は王子様だし。それでも何かが始まるような気がしてワクワクした。でも、それも今日で終わり」

 そう、私はレイモンドに愛さないと言われて悲しかったのだ。そして、あんなに冷たくされたのに、またこうして甘く囁く男をうっかり許してしまいそうになった。


 こんなやつに振り回されてやるもんか。


「話を聞いてくれないか」

「嫌。ついさっきお父様のいる前で好きな人がいると言ったでしょ。いくら政略結婚がしたくても他に好きな人がいる人間と結婚するのは無理」

 もうそれが本当の理由ではないことは自分でもわかってしまった。



 私はレイモンドに「呪いの解呪方法は自力でなんとかするからもう近づかないで」と言い捨て横を通り過ぎた。

 切ない瞳で許しを請うレイモンドは色気がダダ漏れだったけど、今なら引き返せる。

 チクンと胸が痛んだ。

 これは恋の始まりに蓋をする痛みだ。


 私自身、こんなにダメ男に弱いなんて思ってもみなかった。


 恋愛初心者を弄ぶなんて、絶対に婚約の話は断らないと。








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