第2話 純潔を奪った責任 (キュン6)
「私帰ります。今日のことは忘れてください」
こんな完璧なイケメンとこれっきりというのはかなり惜しいが、酔った女を連れ込んだ時点でこいつはクズだと思おう。
未来のない相手と関係を楽しむほど、私はもう若くはないし。
「ちょっと待って、まさか俺が純潔を奪った女性を忘れるとでも?」
何だこの芝居がかった展開は、お酒の勢いの過ちを蒸し返すなんて男としてどうよ。
ここは笑って「じゃあ」って別れるところでしょ。
「酔った勢いのことだし、純潔でもないので。それより早く帰って仕事に行かないと」
キョロキョロと私は自分の着替えを探すのに部屋を見回した。
ため息が出るほど豪華な部屋はどこぞのホテルのスイートだろうか。
いったいいくらするんだこの部屋?
あ、もしかして宿泊詐欺?
私より先に出て、残った私に料金を払わせる気じゃ?
いや待て、どこかのイケメン御曹司って……ことはないか。
ここで玉の輿って喜べないのが今までの男運のなさを痛感して悲しい。
「顔色が悪いけど、吐きそう?」
そんな心配そうな顔をしても無駄です。
この部屋、下手したら100万とかぼったくられそうだし。
「私の服はどこ?」
「服? これのこと? 自分で着れないでしょ?」
彼側のベッドの下に落ちていたのか、ひょいと掴んで手渡してくれる。
ひらひらのレースがいっぱい付いた見るからに高級そうなドレスが無惨にもくしゃくしゃだ。
どこでこんなのレンタルしたんだろう?
まじ、反省しないと。
「荷物はどこか知りませんか?」
「そんなもの持っていなかったよ」
あちゃぁ〜。酔ってどこかに置いてきちゃったか。
裸よりましだし、どう見てもこのドレスをなくしたら保証金が高そうだ。
フロントで事情を話して、バッグをさがしてもらおう。
私は仕方なく、ドレスを手に取ると、タグがどこにも見当たらないのを確認して取り合えずこれを着ることにした。
「仕事に遅れるのでこの辺で失礼します」
「本当に帰る気なんだ」
私が複雑に作られたドレスをどこから着るか思案していると、イケメンが呆れたように聞いてきた。
「さっきからそう言ってますが」
「俺はレイモンド・スチワート・ビアトリアだぞ」
「そうですか」
てっきり、胸に紋章の入れ墨しているから、主人公のアスライのコスプレかと思った。
この紋章は王族に稀に現れる祝福の印。弟のレイモンドにはない設定だったはずだけど違ったみたいだ。
まあ、コスプレイヤーにとってストーリーより注目を浴びる方を重視してる人もいるからね。
レイモンドは結局、主人公であるアスライの当て馬的存在だけど、顔だけはとびきりいい。
そのイケメンぷりからファンは多くて、悪役令嬢のアンジェラに毒殺されたときは作者のSNSが炎上したとか。
ん?
アンジェラ?
なんか引っ掛かる……。
アンジェラも不幸キャラだけど、その派手な見た目からコスプレ人気はあったわよね。
「アンジェラ。初婚の令嬢が純潔を失って隠し通せると思ってるのか? もしかして純潔の本当の意味を知らないとか?」
その設定いいかげんにやめて欲しい。
「アンジェラ?」
「もう、私はアンジェラじゃないから。責任なんかとってもらわなくて結構、なりきるのもいいかげんにして」
シャワーを浴びたいが、その間に置き去りにされ精算を押しつけられたらたまったもんじゃない。まずはこいつより先に部屋を出ないと。
シーツを引きはがして私は身体にぐるぐる巻いて、ベットから降りようとした。
「ちょっと待って」
自称レイモンドが後ろから抱き付いてくる。
「アンジェラ、いくら違うと言っても君の紫の髪と紫の瞳はこの国のどこを探しても他に見つからないよ」
めんどくさ。
でも、さらさらと肩に流れ落ちる髪は確かに本物ぽい。
キラキラした銀髪をまるで藤の花で染め上げたように輝いている。
アンジェラが一番好きな色で、毎朝メイドが丁寧にブラシしてくれる時間がすごく幸せなのだ。
ん?
「……」
何? この記憶。
「うそでしょ」
レイモンドの手を振りほどいて、鏡台までふらふら駆け寄る。
そこには信じられないものを見たというように、紫色の瞳が揺れていた。
どう見てもコスプレなんかじゃないし、頭の中にアンジェラの記憶がよみがえってくる。
これってまさか、異世界転生。
しかも、「私がアンジェラ」
身体中から力が抜けて、その場でへなへなと座り込んでしまう。
アンジェラ・ランカスター。
16年公爵家の娘として生き、アスライの婚約者の座を虎視眈々と狙う女狐。最終的にアスライに気に入られるためレイモンドを毒殺してしまうのだ。
そして、父親の公爵と兄共々、断頭台に送られる。
そのアンジェラが、何でアスライの弟、レイモンドと一夜を過ごしているのよ?
*
「アンジェラ、床は冷たいからソファーに座ろう」
考え込んでいる私に、レイモンドがガウンをかけて両肩を支えてくれた。
白いシャツのボタンを留めずに羽織っているので、襟元から色気ダダ漏れの大胸筋か丸見えだ。
裸のときより、シャツを着ている方が艶かしく感じるのはなんで?
さりげなく覗くと、さっきまでこの胸にひっついていたのを思い出しポッと頬が熱くなった。
「そんなにこの紋章が気になる?」
不思議そうにレイモンドが首をかしげると、おもむろに私の手をとり自分の胸に押し当てる。
「なっ……硬!」
さっき顔を押し付けられたときは適度な弾力があったのに、今はカチコチ。
思わず指先に力を入れて触ってしまうと、レイモンドがビックンと肩を上げ驚いた顔で私を見た。
「ごめんなさい」
「別に構わない。昨日の方が硬かっただろ?」
「は?」
昨日の方がって……な、何言ってんのよ!
「思い出せないなら今から再確認するか?」
「再確認……って、するわけないでしょ」
「何でだ? まだ時間があるし、煽ってたんじゃないのか?」
くすくすと笑いながら流し目を送られ、思わず口をぽかんと開けて見惚れてしまった。
この瞳は反則だわぁ。
「あれは酔った勢いの過ちだから。あなたも忘れて」
前世を思い出す前のアンジェラがしでかしたことは不可抗力でしょ。
「過ちか……」
シュンとうつむき憂いを帯びた顔で私の瞳を覗き込むレイモンドに一瞬クラッと来てしまう。
だからその瞳は反則。
危ない、危ない。
ダメだ。これ以上くっついているのは危険。
「大丈夫、一人で歩けるから」
レイモンドの手を振り払おうとしたが、足ががくがくでよろけてしまい、それと同時にズキンと腰に鈍い痛みが広がる。
「痛っ!」
まったく、何この恥ずかしい痛みは。
腰を押さえ、じろりとレイモンドを睨むと「無理をさせてごめん」とニヤニヤしながら眼をそらす。
さっきの神妙な顔はどこへ行ったの?
もう恥ずかしくて死にそう。
壊れ物を扱うように、ソファーまで支えられるとそのまま隣に腰を下ろそうとするレイモンドを睨んだ。
仕方なさそうに、目の前にレイモンドが腰を下ろす。
「何でレイモンド様と一緒の部屋にいるのです?」
「やっぱり、記憶がないんだ」
傷ついた、とでも言いたそうに整った眉を下げる。たったそれだけなのに、私がとてつもなく非情な女みたいじゃない。
覚えてないのは事実だけどその顔ムカつく。
「昨日はあんなこととかこんなことしたはずなのに全く思い出せないなんて傷つくな。もう一度すれば現実だと感じれるかも……」
あんなことやこんなことって何!?
あらぬことを考えてしまって、私は己の煩悩の多さに絶望した。
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