第6話 レイモンド視点 恋しい人

 自分の部屋に戻ろうと、片手をつきヒョイと隣のベランダに飛び移る。


「おかえり。ずいぶん楽しそうなことになってるじゃん」

 猫毛の赤髪を短く切りそろえ、旅支度を終えた男がニヤニヤして女性物の靴を片方、俺の前に差し出した。

 相変わらず気配をまったく感じさせない登場だ。


 俺の従者なんかやってないで騎士になった方が出世できるんじゃないのか?

 そう思ったが、口には出さない。

 腕は確かだが、性格に問題がありすぎるのだ。

 無口なくせにかもし出すオーラが不遜で、無礼な態度だといつも誤解される。

 いや、半分以上は故意かもしれない。挙げ句の果てにそれが俺の指示だと思われ、こっちにまでとばっちりが来る。


「フィリップ、見張っていたのか?」

「まさか。俺は言われた通り朝一番で出立できるよう準備を整えていた。それなのにいくら待っても来ないから様子を見にくれば……裸の女を抱きかかえてベランダを飛び越えているなんて」

 大袈裟に眉を顰めたが、好奇心いっぱいの瞳は隠せていない。

 絶対に面白がる気だな。


「裸じゃない、シーツを巻いていただろ」

「あんな場面を俺以外に見られていたらまた王妃様の攻撃材料になっただろうな」

 確かに、王族の資質がどうのとギャアギャア騒ぎ立てることだろう。

 別にどうでもいいが。


「扉からじゃなく何でベランダの下にいたんだ?」

 目が合ったとき、思わず声に出てしまったがアンジェラには気づかれなくてよかった。

 従者に裸同然の格好を見られたと知れば、ショックを受けるだろうし、愛しい人のあんな姿を他の誰にも見せるわけにはいかない。


「どうせ他の貴族と話をしたくないからベランダをよじ登ろうとしてたんだろう」

「人のこと言えないだろ。見送りが面倒で朝早く出立することにしたんだから」

「視察で泊まっただけなのに、ここぞとばかりに娘を紹介しようとするからだ」

 まったく、どいつもこいつも呆れる。

 俺の悪い噂は聞いているはずなのに、それでも権力のために娘を差し出す。愛人でもいいと言い出す貴族までいる。


「ああいうのにはうんざりだ」

「仕方ないだろ。第2王子でも運良くお手つきにでもなれば大出世だ。来るもの拒まず歓楽街に入り浸りの碌でなしでもな」

 なんでこいつは俺相手だと無口じゃ無くなるんだ?

 自分で流したものだとはいえ、アンジェラに会った今、この噂はまずい。

 近いうちにあそこのアジトは引き払うか。



「それで、この靴の持ち主は誰なんだ?」

 いつにもましてしつこく、フィリップが食い下がる。

 そんなに気になることか?


「別に誰だっていいだろ」

「いいわけないだろ。ただ誘惑するために寝込みを襲ったのか、それとも暗殺目的か確かめないと」

「暗殺じゃない」

「女嫌いのお前が断言できるってことはやったのか?」

「女嫌いじゃない」

「そうなのか? 初恋の相手には振られ、家庭教師には夜這いされてすっかり女嫌いなのかと思った」

「うるさいぞ」

「まさか初恋を拗らせていたお前が、ついに大人の階段を上ったか。心配するな、後腐れないようにきっちり相手の弱みを握ってやるから」

 フィリップは何が楽しいのか馴れ馴れしく肩を組み、胸の辺りを拳でぐりぐりしてくる。


「そんな必要はないから」

「オイオイ、自分の立場を忘れたのか? 仮にも王子だぞ。数年後あなたの子ですって紹介されるとか勘弁だからな」

 そんな無責任な男に育てた覚えはないぞとフィリップは大袈裟に嘆いてみせた。


 お前に育てられた覚えはない。


「心配されなくてもきちんと責任はとる」

「それまじか? 夜這いしてきた女だぞ」

「勘違いしているようだが、寝込みを襲われたわけじゃない……いや襲われたことは確かだが、お前が考えているようなことじゃない」

「まさか。この家の娘に惚れたか? 一応身分的には辺境伯だからギリセイフ?」

「ここの娘でもない」

「じゃあ、誰だよ。お前の隣の部屋ということはかなりの身分の娘だろ?」

 鋭いな。

 どちらにしても、フィリップには秘密にしておけないか。


「アンジェラ ランカスターだ」

「ランカスター? ってあのランカスター公爵か?」

 フィリップは本気で驚いたのか、大声で迫ってくる。


「そうだ」

「そ、それはお前……本気か?」

「本気だ」

「……」

 数秒の重い沈黙の後「そんなのダメに決まってるだろ」とフィリップは不機嫌に言い捨てると、どかりとソファーに腰を下ろした。


「子供の頃ランカスター家には一度婚約を断られているのを忘れたか?」

「知っていたのか」

「ああ」

 フィリップの母親は俺の乳母だったので、兄弟同然に育ってきた。従者になる前、当時は8歳の遊び友達だったはずなのに気づいてたんだな。


「あれは国王が王妃を牽制するためにランカスター公爵家を俺の後ろ盾にしようとゴリ押ししたでけだ」

「でも結局、当のお嬢様はアスライの方を気に入ったんだろ」

 よく知りもしないで。

 したり顔でいうフィリップを無視し、俺はアンジェラの残していった片方の靴を手に取って繁々と眺めた。

 華奢な作りだ。よくもこれでベランダを飛び越えたな。

 昨夜のことを思い浮かべると自然に笑みが溢れた。


「大丈夫、俺には約束があるからな」

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