第30話・称名寺

 六浦むつらの海を臨む丘の上、屏風のような山が囲んだ称名寺を訪れて、出迎えたのは無理を言って住持に収まってくれた審海だった。

正慧せいけい殿は、如何に過ごしておられるか?」

 そう問うて、固く口を結んだ審海から実時の容態が悟られた。永年の労苦が祟ったのか、あまりよくないらしい。


 審海は暗雲を振り払い、頬を歪ませ笑みを忍性に送ってみせた。

「生涯かけても読めぬ本を、虫のように読んでおられます。読み終えるまでは浄土へ行けぬと、文庫と庫裏くりを往来されておりますぞ」

「まったくだ。しかし、読む進めるそばから新たな本が届いては、現世に留まっておるしかないのう」

「左様にございますな、本が届いたと聞けば小躍りしていらっしゃる。故にご覧のとおり、造営が済みませぬ。未来永劫、浄土へは参らぬやも知れませぬな」


 ふたりして笑い合い、広い境内を通り抜け、庫裏へと入り奥へと進むと布団に潜り、本を読み耽っている実時がいた。忍性を見て身体を起こすが、それが軋むように痛々しく笑みは暗くやつれている。

「すまぬのう、極楽寺は如何に」

「ご無理はなさらず。ご挨拶が遅れてしまった非礼を詫びさせてくだされ」

「いいや、一刻を争う再建だ、構うでない。摂津の再興も大儀であった」


 そこまで言うと、実時は病苦を出さんと長く長く息を吐いた。忍性がため無理を押していると吐いた毒気から感じ取れ、心の臓を掴み取られたような気がしてならない。

 話題の舵を切らねばと、忍性は布団のそばに寄り朦朧と回る視線を捉えた。

「摂津では六郎殿がご挨拶にお立ち寄りくださり、家訓を拝読させて頂きました。その内容たるや見事にございます、滲み出る御心みこころに感服致しました」


 忍性が深々と頭を下げると、実時は微かな照れと恥じらいからハタと生気を取り戻した。

「お世辞はよい、人に見せるものでもないわ」

「いいえ、広く知らしめても恥じることのない名文にございます。永く、多くを読まれたが故にございましょう」

 実時は褒めちぎられて、珍しく参ってしまった。執務で報奨を得るのとはまるで違い、落ち着きなく浮ついてしまう。

 そこへ忍性が、摂津から温めていた提案をした。


「いっそ、本をお書きになられては如何でしょう」


 これには実時も審海も、目を丸くして絶句した。が、忍性の真っ直ぐな眼差しを浴びるうち、それが次第に現実味を帯びていった。

「本か……。よいやも知れぬ、本の虫の集大成だ。しかし様々に備えねばならぬ、家訓をしたためる折も、多くを記しまとめたものだ。先に骨子を組まねばならぬだろう」

 露わになった意欲を目にして、忍性と審海が子供のような笑みを交わした。その様子に実時は、何が可笑しいのかといぶかしげに片眉を上げた。


「妙なことを言っているか」

「いえ、記される本が楽しみにございます故。何を書かれるおつもりでしょう?」

 そうだのうと呟いてから長考した末、数多ある本に記されていないことがあると気づいた。

「鎌倉を書こう、未だまとまった本は出ておらぬ。しかし、永らくかかりそうだ。これでは極楽浄土が遠のいてしまうのう」

 すると忍性は立ち上がり、がらんとした称名寺の境内を臨む戸を開け放った。


「ここを極楽浄土にされては如何でしょう。心字池を掘り、橋を架け、麗しき庭を造るのです」

 その提案に、審海は目を見張った。経典を学び、修業に邁進する身にはない発想であった。

「それはよい、西大寺流には庭のある寺はない」

 実時が境内に思い描いたのは、いつか忍性を伴い見せた永福寺ようふくじだった。あれを金沢かねさわに造るのか、想像するだけで天にも昇る心地であった。


「極楽浄土を形にすべく作庭に勤しむ高僧は、多くおられる。しかし、それを行うのか」

 空想が形作られるに連れて、謙遜からの躊躇いが生じた。戸惑い目を泳がせる実時の背中を、忍性は正道へと導いていく。

「執権殿を支えられた智慧をお持ちにございます、それは高僧にも並ぶほどにございましょう。それが証拠に、拙僧を幾度となく助けてくださった」

 お世辞はよい、と苦笑いする実時に、本心にございます、と忍性が苦笑を返した。それを受けた実時は、呆れたように笑うしかない。


「本を書け庭を造れと、仏門に身を投じようとも、休ませてはくれぬのだな」

おのがためにお過ごしくだされ。今は、そのときにございます」

 実時は膝を打ち、空想の橋を渡っていった。忍性も審海もそれに導かれ、未だ見ぬ庭を眺めていた。

「ここ称名寺が浄土ならば、本尊は弥勒菩薩がよいだろう。山門に配す仁王には、武家の意地を見せてはくれぬか」


 そう言って身体を伸ばし取り出したのは、小さな大威徳明王像。力強く深い、緻密な彫りから慶派、それも運慶の作だとひと目でわかる。

 これは見事な、と忍性も審海も揃って息を呑む。

いみなとともに、かつての将軍家より賜りし品だ。鎌倉を源氏が開いたことを、ここ金沢かねさわにも伝えようぞ」

 実時は赤子のように像を抱え、生涯が交わることのなかった源氏最後の将軍、実朝に思いを馳せた。


 そしてふと思い立ったように、審海に願い出た。

「すまぬが、席を外してはくれぬだろうか。良観房と、ふたりで話したい」

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