第10話・扇ヶ谷

 忍性を迎えて早々、思わぬ申し出をされた実時は少々驚き、言葉をそのまま返してしまった。

「極楽寺には入らぬと申すか」

「念仏の寺に入るのは憚られます故、無縁の寺が宜しゅうございます」

 それを聞いた実時は腕を組み、どこかいい寺はないものかと頭の中で鎌倉の地図を広げた。しばらくすると思い立ち、肩をすくめて小さくなった忍性に真っ直ぐ目を向けた。


扇ヶ谷おうぎがやつの新清凉寺釈迦堂を手配しよう」

 扇ヶ谷は鶴岡八幡宮の西、その名のとおり幾つもの谷戸が扇状に広がった土地である。極楽寺は離れているが、得宗家屋敷や時頼が住まう最明寺には近く、名越は遠い。国賊の汚名は払えぬが、貧者病者の救済を北条が庇護するにはうってつけの地であろう。

 平伏する忍性に、その代わりとでも言うように実時は早速依頼をした。


「五代執権、最明寺殿の祈祷でございますか?」

 体調の思わしくない時頼の病気平癒を祈祷しろと言う。だが忍性が鎌倉入りした目的は貧者病者の救済で、それも準備に手間取り二年もの歳月を要してしまった。大仏のお膝元や地獄谷の光景が思い出されて、歪めた唇を噛んでしまう。

 忍性の心情を解して、実時が用意していた言葉で諭した。


「口惜しかろうが、良観房の身ひとつではすべての貧者病者、そして癩者は救えぬだろう。まずは施粥の米を得ろ、施薬の薬を買え、そのためには何が要るのか」

 厳しくも考え抜かれた問いかけに、うつむいたまま忍性は歪めた唇から歯を離す。

「信頼、でございましょうか」


「如何にも。衆中の助けを行うに、誰の力が要るのか、だ。力添えは大きいほどよい、ならば鎌倉で最も力ある最明寺殿の信頼を得るのが、多くの救いになるのではないか」

 信念を髄に通した実時に、重時から聞かされた昔話を思い出した。忍性は、これは従うしかないのだと悟って平伏した。


 その観念した様子に実時は、そばに置いた一冊の本を手に取った。

「先に非礼を詫びさせてくれ。祈祷を信じぬわけではないが、良観房ひとりにはせぬと医術の本を持参しておる」

 忍性は、実時に後光を見た。目を丸くして赤鼻を床に押しつけると、実時が堪らず苦笑した。

「蔵書の山から探すのに難儀したわ。それもこれも最明寺殿のため、鎌倉のため、そして良観房のためだ」

 忍性は感謝とともに、一世一代の祈祷をすると心に決めた。




 忍性は昼夜問わず経を上げた。焚いた護摩に顔を焼かれた甲斐あってか、実時の蔵書が役立ったのか、まだ予断ならぬ状態ではあるものの時頼は次第に快方へと向かっていった。


 その数日後、忍性を労うために実時は新清凉寺釈迦堂を訪れた。床から上げた忍性の顔には疲労の色が透けて見える。

「ご苦労であったな。あれ以来、良観房の祈祷は効くと評判のようだ」

「いいえ。最明寺殿のお力と、越後守殿の智慧にございます」


 張りのない声で忍性が謙遜したとおり、時頼の若さと体力に加え、実時の医療にまつわる蔵書も陰ながら役立っていた。

 これには伯父、政村が『さすが本の虫よのう』と、空が割れるほどの高笑いをしてみせた。父、実泰との因縁と竹を割ったように吹き飛ばされては、実時は子供の頃に戻ってしまう。


 困り顔を一瞬見せた実時は、ちらりと外へ目をやった。障子の向こうで使いの者が、今か今かと声が掛かるのを待っている。

「良観房、外に出られるか」

 はあ、と生返事をして忍性は釈迦堂を出てあとに続いた。さすがに坂を登れなかったか、と実時と使いの者が交わす会話に、朝靄のような期待感が湧いて出た。


 谷戸の終わり坂の下、扇ヶ谷の付け根には牛が牽く車があった。

 そこには、これでは扇ヶ谷を登れまいとひと目でわかる、積める限り積み上げられた米俵。靄が晴れ、差した光に照らされて、忍性は言葉を失い全身の毛穴が逆立った。


「これは……」

「最明寺殿から祈祷の礼だ、受け取るがよい」


 これだけあれば、どれほどの貧者病者が救えるだろう。粥にして、どれほどの量になるだろう。鍋を用意しなければ、人を集めなければならぬ、新清凉寺の僧は手伝ってくれるだろうか。それに火だ、水だ、どこから汲めばよいのだろう。

 忍性の思考は、光の速さで渦巻いた。頭の中の整理がつかず、今にも目を回しそうになり、放つ言葉が追いつかない。


「これを運んではくれまいか。由比ヶ浜、いや長谷大谷戸、稲村道は越えられぬか。私は新清凉寺の僧を、それより鍋は、井戸は近くにございますか」

「落ち着け、米は逃げはせぬ。それと、おのれの米くらいは釈迦堂に運べ。お主が飢えては、誰が貧者を救うのだ」


 そうであったと忍性は顔をしかめて頭を叩き、興奮する自身を戒めた。それを笑った実時は使いに米俵ひとつを担ぎ上げさせ、新清凉寺へと運ぶよう命じた。僧に声を掛けなければと、そのあとを追う忍性は実時によって呼び止められた。

「読経、大儀であった」

 忍性は向き直り、深々と頭を下げて改めて実時に礼を告げた。

「拙僧のために貴重な本をご持参くださり、ありがとうございました」


 実時が言ったとおり時頼、忍性、鎌倉のための蔵書貸出であったが、それは同時に信頼を掴み、支援者を得るためでもあった。師、叡尊の理想を実行に移した西大寺とはわけが違う。行動の人、忍性が救済の旗手となるならば、如何にして信頼を掴めばいいのか、それを実時は教えてくれた。


「智慧など所詮、使わなければ意味をなさぬ道具だ。その智慧を活かしてくれた良観房に、感謝を述べたい」

 実時は腰を折り、おもてを上げると忍性の背をそっと押し、僧を集めばならぬと告げて新清凉寺へと向かわせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る