第17話・最明寺

 時頼の体調が落ち着いた頃を見計らい最明寺を訪ねた叡尊は、定められたとおりの結界を本堂に築き、決められた手順で戒律を授け、締めくくりに法話を説いた。

 快癒しない病に苛まれた末、縋りついたのが僧として名高い叡尊だった。禅だけでは得られない仏の教えを賜って、また朝廷が牛耳る儀式を朝廷の断りなく執り行って、病を押して頼んだ甲斐があったと時頼は満足そうである。


 先に戒律を授かっていた実時が儀式の終わりを見計らい、やや疲れを見せる時頼に寄り添った。これに叡尊も、一歩遅れておもんばかる。

「お身体に障りませんでしたか?」

「いや、清々しい心地であれば、身も軽くなる」

「最明寺殿、休まれては如何か」

 と、ふたりがかりで気遣っても大事ないと無理を押す時頼である。どうやら伝えたいことがあるらしく、身体を微かに揺らしながらも真っ直ぐな視線を叡尊に向けた。

「大義であった。叡尊殿に礼を授けたい──」

 時頼がそこまで言うと、叡尊は毅然とした態度で開いた手の平を前に突き出し、頭を沈めた。

「結構でございます、資縁のために戒律を授けたわけではございません」


 務めの対価を拒絶され、時頼はわけがわからず戸惑っている。礼を尽くさぬのは武士の名折れ、前執政として許されぬと我に返って食い下がる。

「務めの礼は、至極真っ当ではあるまいか。布施を授かってはおらぬのか」

「十分に頂戴しております故、そのお気持ちだけで結構にございます」

 時頼はスッと息を呑んで眉をひそめた。布施が目当てでないのはよいが、感謝の意を形にしないわけにはいかない。


「それ相応の務めを果たされた、寺領を授けてもよいほどだ」

 しかし、叡尊の態度は変わらない。それどころか、益々強く拒んでいるような気さえする。

「寺領など身に余ります。大和は西大寺にて精進しております故、結構でございます」

 住まうには無縁の寺がよいと言い、授戒の礼は拒絶する。こちらの事情を鑑みれば失敬で、迷惑千万と思ってしまうが、為政いせい者に頼ってしまっては戒律を破ってしまうのか。


 実時は、平たくなった叡尊に声を掛けた。

「何故、それまでに謝礼を拒むのか。務めの対価ではなかろうか」

 叡尊は少しだけ頭を浮かせ、畳に向かって非礼を釈明しはじめた。その口調からは、強い意志が感じられた。

「報酬のために戒律を授けているわけにはございません」

「ならば単なる寄進として授かればよい。良観房もそのようにして受け取り、衆中を救っておる」


 頭を上げても叡尊は畳を睨みつけ、長い眉毛に歪む瞼を隠して唇を噛んだ。

「拙僧の唱えを形にした良観房の施しも、一度は手元に収まっております故、破戒にございます。救わねばならぬ、救うために得れば破戒となる、そう葛藤しております」

「得てすぐ手放すのだ、それは無縁であったとはならぬか。そして衆中を救っておるのは確かだ、これが仏の道から外れた所業と言えようか」


 実時が智慧を絞ってなだめても、叡尊の意志も迷いも変わらなかった。救済をその手で行う忍性ならば受け取るだろうと、他の北条一族に授戒をさせて、叡尊が断った寄進を忍性に回そうと実時は思い至った。


 さて、授戒を終えた叡尊は弟子を伴い、山ノ内から巨福呂坂を越えていき、新清凉寺釈迦堂へと帰っていった。

 その行きすがら、施粥を終えた忍性とバッタリ出くわして足を止めた。忍性は弟子を伴いながらも、首根っこを掴まれた猫のように肩をすくめて大人しくなってしまう。

「最明寺殿のもとで、戒律を授けられたと伺っております。お疲れでございましょう、ごゆるりとなさいませ」


 いたわられても燻る言葉は消えてくれず、これも師の務めだと説教が口を衝いて出てしまう。

「今日も施しか。感心であるが、勉学には励んでおるか」

 痛いところを突かれたと忍性は返事に窮して汗をかき、頭を下げるのみである。そんな姿をじっと見下ろし、いつかの地獄谷を思い返した。


 粥を配り、乞食をさせて、沸かした薬湯に癩者を入れる。それらを手伝うつもりだったものの、かえりみれば叡尊は足手まといにしかならなかった。

 手際よく粥を配れず、薬湯もよい塩梅には沸かせず、湯に浸けるにも癩者のどこに触れればよいのか迷う。代わりましょう、と快く言われて忍性やその弟子に譲ってしまった。

 場数や歳のせいもあるだろうが、それだけではないと叡尊自身が痛感していた。


 掲げた理想に感銘を受け、西大寺流に加わったのは忍性だ。

 その理念と文殊菩薩を結びつけ、戒律の普及に力を尽くしてくれたのも、また忍性だ。

 官僧を辞し、遁世僧になりながら朝廷の帰依を受けられたのも、忍性の活動あってのことだ。

 忍性ならば幕府にも必要とされる、そう踏んで関東での布教を認めたのだ。


 理想だけでは、叶わない。それを地獄谷で思い知った。

 だが形にした理念だけでは、その真意は伝わらない。それが、今の忍性だ。

 良観房忍性よ。真の救済とは何か、突き詰めてくれ。さすれば、この叡尊では辿り着けなかった境地に西大寺流を、現世を導くはずだ。

 そのために学べ、迷え、戒律の中で衆中を救い出せ。

「多宝寺の住持として精進せい、良観房には智慧者がついておる」

 その夏、体調を崩した叡尊は思いを置き去りにして西大寺へと帰っていった。託されたのは忍性と、鎌倉における最大の理解者である実時だった。

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