第16話・多宝寺
ひと月ばかりで僧を伴い鎌倉へ帰った忍性は、あんぐりと開いた口を塞げずに棒立ちしていた。そのすぐそばでほくそ笑むのは重時の息子、忍性の世話も引き継いだ
「これは……」
やっとの思いで口を動かし、それから続く言葉が見つからなかった。無理もない、そう苦笑した業時は肩か背中を叩くように声を掛けた。
「良観房の寺だ、多宝寺と号す」
「拙僧に……寺でございますか?」
「そうせねば、良観房を慕う僧が納得せんのだ。是非、
寺の門前には僧が居並び、忍性を招き入れんと頭を下げた。貧者病者への施しに加わるうちに、西大寺流の志に感銘を受け、宗旨変えした念仏僧である。
その要望に応えるべく、貧者病者への救済を更に広めるべく、そして鎌倉の治安維持に尽力する忍性に相応しい地位を与えるべく創建させた多宝寺だった。
常陸より参じた僧たちは、呆ける忍性の背中を押して多宝寺に入るよう促した。
諸手を挙げて乱舞するかと思いきや、忍性は眉をひそめて狼狽していた。僧であれば誰であろうと喜ぶはずと思った業時、これには狼狽えずにはいられない。
「如何致した」
忍性は、業時に深々と頭を下げた。それは感謝を示すというよりは、辞退を申し出ているように映った。
「良観房、いらぬと申すか?」
顔を上げた忍性は、それも非礼だと慌てて取り繕っていた。多重の申し訳なさが、丸めた背中にのしかかる。
「寺を与えてくださって住持として務めるなど、拙僧にはもったいのうございます。師の叡尊に、何と申せば宜しいのか……」
業時は、消え入る言葉に困り果ててしまった。
それを
業時は、腰を折って懇願した。忍性は益々困るばかりである。
「良観房を慕う僧が、多宝寺に入りたいと申しておる。それだけの務めを果たしたのだ、謙遜せず住持に収まり、僧を迎えてはくれぬだろうか」
「恐れ多くも、拙僧などにそのような……。どうか、お上げくださいませ」
「それでは、引き受けてくれるか」
忍性が観念した様子で頭を下げると、業時は父が遺した家訓に従い、扇ヶ谷いっぱいに笑い声を上げていた。
住持となっても、忍性の活動に変わりはなかった。身分に関わらず戒律を授けて説法し、布施の米を粥にして貧者病者、孤児に施す。
違うところは活動をともにする僧が多宝寺の、つまり忍性の弟子であることと、忍性の師である叡尊が近くに暮らしていることだった。
忍性は多宝寺門前の建屋から米と鍋、薬を運び出して扇ヶ谷をあとにする。すると、谷戸の付け根で叡尊が弟子の到着を待ち構えていた。
これは、と一同が頭を下げると叡尊は、忍性の隣に歩み寄る。
「この米や薬は、布施か? 如何にしておった」
「門前の
詭弁だが、そうしなければ衆中への施しを行えない。
如何されましたか、と忍性が問うので叡尊は気を引き締めて背筋を伸ばした。
「施粥をさせてはくれまいか」
多宝寺の僧が、どよめいた。叡尊ほどの高僧が自らの手で施すのかと、誰もが耳を疑っている。
真意を捉えた忍性は、強張った面持ちで会釈をし、参りましょうと歩みを進めた。
向かった先は極楽寺、その裏側は地獄谷。
火を起こし、鍋に水と米を入れ、粥を炊くと、その匂いに引き寄せられて癩者が集まってきた。誰もが手をすり合わせ、忍性を菩薩のように拝んでいる。
これに叡尊は眉をひそめた。拝むべきは僧ではなく仏である、と。
しかし衆中は、見慣れぬ叡尊に視線を向けた。そうなれば紹介しないわけにはいかず、西大寺の長老、思円房叡尊だと告げた。
はるばる大和より忍性の師が参られた、そうとわかった衆中は一心不乱に拝みだす。これに叡尊は辟易として、彼らの興味が仏に向くよう説法をはじめた。
「粥が煮えたぞ! 急かずとも、存分にある! 椀を持って並ぶがよい!」
説法の終わりを見計らい、忍性が声を張り上げ粥を配った。身体の自由が利かぬ者は、忍性自ら手渡しに行く。叡尊は、その様子を所在なさそうに見るだけだった。
と、そこへ通りがかりの者が並ぶ。叡尊は彼を制しに向かうが、それを忍性が止めに入った。
「粥を所望か、ならば並ぶとよい」
これには流石の叡尊も、意見せざるを得なかった。鍋に戻る忍性を呼び寄せ、荒げぬように声を沈める。
「良観房、あの者も文殊菩薩の化身と言うか」
貧しくもない、病に苛まれてもいない、ただの通りがかりの者である。救いが必要ない者にまで施粥をするのかと諌めている。
しかし、忍性は揺るがない。
「救う救わぬを分けてしまっては、新たな差別が生まれます。分け隔てなく救済するのが西大寺派の流儀にはございませぬか」
そう言い切ると、椀を空けた貧者たちが
理想を掲げる叡尊と、それを実行に移す忍性の間に乖離が生じた。
西大寺派が今ほど拡大出来たのは、間違いなく忍性が貧者病者に手を差し伸べたからだ。しかしその理念とは叡尊が築いたもので、忍性によって形が歪んでしまった。
理想を実現させた目の前にある現実に、叡尊の気持ちは揺らぐばかりだ。
叡尊は、垣根なく粥を啜る衆中を見渡して
「良観房は、慈悲に過ぎた」
そうぽつりと呟いた。
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