第15話・亀ヶ谷坂

 申し出をキッパリと断られたので、時頼の使者は困ってしまった。いくら説得しても山のように動かないので、足しげく叡尊を訪ねる実時を頼みの綱とした。

「授戒を最明寺では行えぬ、とな?」

 実時が片眉を上げて尋ねると、使者はほとほと疲れてうなだれた。その様子から、どれだけ長く説得し、頑なに断られたのかが伝わってくる。


「最明寺殿の病状は、伝えておるのであろう」

「は……。しかし、最明寺殿が新清凉寺を訪れるべきと仰せにございまして……それがまた、一向に譲ってくださらぬのです」

 重病を患う時頼に、亀ヶ谷坂かめがやつざかを越えられるはずがない。病気平癒の祈祷を頼んでいるのに、それではかえって悪くなってしまう。

 その時頼が新清凉寺に来るべき、とする理由は何か聞かねばならぬと、実時は新清凉寺釈迦堂を訪れた。


 幕府の重鎮である実時が、五代執権時頼の要請なのだと伝えても、叡尊は態度を崩さなかった。

「仏法に貴賤はございませぬ。五代執権であろうと貧者病者であろうと、等しく戒律を授けるのが正しい仏法にございます。真に授戒を願っておられるか、伝え聞いたのみではわかりませぬ。また最明寺は禅寺と伺っております。禅には禅の筋道というものがございましょう」


 実時は、そういうことかと理解した。

 朝廷の支配から脱却し、衆中への授戒を目指しながら、その朝廷から信頼を得て渡り合っている叡尊だ。北条に対しても、同じように接するのが当然だろう。また禅に帰依する時頼の最明寺には押しかけられない、信心を妨げてしまうと配慮しているのだ。

 しかしなるほど、これでは使者が不憫である。


「最明寺殿の病状を鑑みれば、亀ヶ谷坂を越えるのは酷というもの。どうか授戒に出向いてはくださらぬだろうか」

「病ならば、我が弟子を向かわせましょう」

 弟子ではいけない、叡尊から戒律を授かるのが時頼の本望なのだと食い下がる。

「ならば、最明寺殿を見舞ってはくださらぬか。願っていた貴殿の下向が叶いながら、未だ挨拶も出来ておらぬ。最明寺殿に亀ヶ谷坂を越えられるのか、授戒は真意か、確かめるのがよかろう」


 叡尊はこれにようやく観念し、挨拶のみなればと渋々言って釈迦堂を出た。

 扇ヶ谷から亀ヶ谷坂を越えた先、最明寺で目にした時頼はとても動けそうにはなかったが、叡尊を見るやいなや鞭を打って身体を起こし、叶った願いを瞳に映して、朦朧としながら喜びを浮かばせていた。

「戒律を授けてくださるか」

 そう切れ切れの声を弾ませる時頼を前にして、叡尊は強く断ることができず狼狽えた。

「授戒には戒壇を設けなければなりませぬ。手配が整っておりませぬ故、遅れてしまったご挨拶に参りました」


 そう非礼を詫びて、招いてくれた感謝を告げて平伏し、墓穴を掘ったと気づき顔を歪めた。これでは、最明寺に戒壇を設ける手配をすると言っているのと同義ではないか。

 その様子を伺って、実時と時頼が目配せをして叡尊の退路を断ちにいく。

「今の身体では、授戒は困難でございましょう。心身ともに戒律が沁み渡るよう、焦らず急かさず病を癒やすのが先決にございます」

「そうだのう。しかし、伏せっておるのが長過ぎた。平癒したとて、この脚で亀ヶ谷坂を越えられようか」


 そう言って、すっかり痩せ細ってしまった脚をさすった。これまで救った病者より細い、叡尊は返す言葉を探していたか、決まらぬ見つからぬと固まっている。

 ことを動かさなければと実時が声を掛け、時頼がそれに乗る。

「今日は挨拶のみとは言わず、戒律にまつわる話を最明寺殿にも聞かせてくれぬだろうか」

「越後守は毎日通うておるそうではないか、是非ともお聞かせ願いたい」


 談話ならばよいだろう、と叡尊は姿勢を正して実時にもした話をはじめた。

「『仏道は戒なくしてなんで致らんや』と、弘法大師の遺戒にございます。心身を清らかに保ち、戒を破らぬようにせねば、仏道の極致には至れぬのです」

 時頼は感心してみせ、これを毎日通って聞いている実時を羨むと、病を押して身を乗り出し叡尊に尋ねる。

「その戒がわからねば、破らぬようには出来ませぬ。禅のみでは至れぬ極致、どうかご教示願えぬだろうか」


 ならば弟子に、叡尊がそう言いかけたところへ実時が行く手を阻む。

「戒律の真髄を知る思円上人よりご教示を願うが故、通うておるのです。それは最明寺殿とて同じことと、おわかりになられたでしょう」

 とうとう、代理に弟子を向かわせることも出来なくなった。亀ヶ谷坂は越えられぬ、授戒を強く願っている、叡尊でなければいけない論拠を実時によって裏づけられた。


 そしてついに、叡尊が落ちた。平伏すると覚悟を決めたような口調で告げた。

「いつまでも西大寺を空けるわけには参りませぬ故、最明寺殿の一日も早い平癒をお祈り申し上げます」

 叡尊による授戒が約束された。時頼が亀ヶ谷坂を越えられなくとも、必ず戒律を授けると。


 疲れを見せる時頼に代わり、実時が礼を返す。上げたおもては役目を果たした満足感と若干の気疲れが垣間見えた。

 そして、ふとした疑問が湧いた。

 忍性であれば躊躇いなく出向いて戒律を授けるところ、師の叡尊はわずかな揺れを許さないほど頑なだ。この師弟の乖離は何か、何故忍性を許すのか、と。

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