第24話・七里ヶ浜

 極楽寺の僧を引き連れ七日間、更に多宝寺から呼び寄せて七日間、江ノ島に籠もって祈雨祈祷を続けたものの忍性の祈りは通じなかった。

 澄み切った青空は、絶望の色だと仰ぎ見る。

 江ノ島から対岸のたつくちへ、そこで待ち構えていたのは幕府の要人、もちろんその中には実時もいた。祈雨祈祷は大事な行事であるから、そして僧の多さと期間の長さが気にかかった、というのが実時の表情から伺い知れた。


此度こたびは長きに渡る祈雨祈祷、大儀であった」

 労われて腰を屈める忍性であったが、周りの僧が支えるほど疲弊していた。今までは雨乞いの最中に祈りが通じていたが、今回は願いが叶わず終わってしまった。

 今後を祈るものであるから、すぐさま叶わなくともいいとはいえ、期待を裏切ったのだと思えば口惜しい。


 小動こゆるぎ岬を越えた先、七里ヶ浜を横目に極楽寺へ戻っていると、突如暗雲が空を覆いぽつりぽつりと赤鼻を濡らした。

「……雨だ」

「雨が降ってきたぞ!」

 雨足は次第に強さを増して、乾いた土を潤して辺り一面をけぶらせた。僧も迎えの御家人も歓喜に湧く中、山から浜へと下りてくる人の気配に実時は身構えた。


 袈裟を濡らし、不敵に笑う日蓮だ。先頭に立つ忍性と対峙すると、雨音を払わんばかりに銅鑼声を上げた。

「祈雨祈祷をして十四日、一粒の雨も降らせず帰るのか! それがどうだ!? この日蓮が祈祷をしたらば、たちまちに雨が降りおったわ! 末法の世には戒律などは無用だ、負けを認め法華経に帰依せよ、良観房!」


 忍性は血の沸く若き僧らをいさめていたが、それ以上のことはせずに黙った。前に出ようと構える御家人を止め、忍性のそばで声を掛けたのは実時ではなく、ふつふつと胸を沸かせる平頼綱。これには忍性、怪訝に眉を歪めてしまった。

「お耳に入れたきことがございます。お疲れでございましょう、極楽寺にてお話します」


 再び無視を決め込もうとしたが、どうもそれは叶わぬらしい。そう察した忍性は、お茶をご用意させましょうと頼綱を極楽寺に招くことにした。


 すると日蓮、雨の隙間に視線を逸らすと誰かの指図でも受けたように、その場を去って高笑いをした。恐らく名越北条教時の差し金、もう十分だ帰れと合図をしたのだろうと、実時は背中の気配から読み取った。


 日蓮の袈裟が雨に消えると、頼綱は居並ぶ衆に声を張り上げた。

「あの僧の処遇は、侍所さむらいどころにお任せくだされ!」

「処遇と聞けば、越訴頭人おっそかしらにんとして聞き逃さずにはいられぬわ。新左衛門、如何にするつもりか」

 前に出たのは実時、安達泰盛。ふたりに睨みを効かされて、頼綱は泥鰌どじょうのようにするりとかわす。


「お手を煩わせぬ故、この新左衛門にお任せを」

 何を話すつもりなのか、頼綱やはり油断ならぬと、実時は忍性に目配せをした。

 その忍性は、長きに渡って築いた実時との関係が、頼綱によって奪われてしまうような気がして不安を顔色に滲ませていた。




 それから幾日が過ぎた夜。頼綱が何を話したのかと、実時は極楽寺を訪れた。迎えた忍性はといえば、ほとほと参った様子である。

「法華経を守るためにと、武具を草庵に忍ばせておると伺いました」

「武具だと!? 謀反を起こす腹づもりか!?」

 実時は前のめりに膝を立てた。日頃は見ぬ武家らしさに忍性はたじろいでいる。

「そのようだと伺いました。拙僧は戦など起こすつもりは毛頭ございませぬが、極楽寺はおろか建長寺も危ういと、そう仰せにございます」


 信者は決して少なくないが、まさか寺を討とうとは、いいや苛烈な日蓮の恨みが募ればやりかねない、しかし法華経を守るのならば謀反を起こすつもりはないのか、と実時は答えを探して考えを巡らせていた。

「して、新左衛門は何と」

「鎌倉の安寧を願うならば、建長寺とともに日蓮を訴えぬかと。評定では遠島になるだろうと仰せにございました故、命があるならばと思い、拙僧も訴状に署名を致しました」


 それを聞いた実時に悪寒が走った。あの頼綱が遠島のみで済ませるだろうか。

「邪魔をした、これにて失敬する」

「馬病舎に癒えた馬がおります。お急ぎでございましょう、お使いください」

 貧者病者、尼僧に飽き足らず馬にまで救いの手を差し伸べるとは、忍性の慈悲は過ぎたものよと実時は頬を吊り上げた。


 馬を走らせ名越へ急ぐと、侍所に捕らえられた日蓮と鉢合わせ、睨むような笑みを向けられた。そのすぐそばには、頼綱がいる。

「これは、越後守殿。この僧は、松葉ヶ谷の草庵にて武具を隠しておりました。謀反を企てた疑いがあり、捕えた次第にございます」

 勝手な真似をと睨みを効かせても、頼綱は非礼を詫びる形のみ、腹の底は別にあるのだと透けて見える。


「恐れながら申し上げます。証拠を見つけておきながら、見過ごすわけには参りませぬ。火急にはございますが、越訴頭人として裁きをお願いしたく存じます」

 淀みなくつらつらと述べる様子から、すべては頼綱の計略であろうと覗えた。これまでも、これより先も。

「謀反企ての疑いならば、佐渡への遠島が妥当であろう。これ以上も、これ以下もない」

 そう、これも計略のうちだ。駆けつけたのは悪手であったと、実時は苦々しく唇を噛んだ。


 すると頼綱は不敵に笑い、牡丹餅ひとつを日蓮の鼻先に突きつけた。

「引き回した折に恵まれた慈悲だ、食らうがよい」

 日蓮が自由の利かぬ手でそれを掴むと、頼綱は礼を尽くして実時をあしらった。

「お手を煩わせることは致しませぬ、我ら侍所にお任せを」

 実時が去るのを待ってから頭を起こした頼綱は、牡丹餅を食う日蓮を極楽寺坂切通し、七里ヶ浜へと引き連れた。

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