第25話・龍ノ口

 気がかりなことがあって寝つけないと、若い僧が忍性の寝所を尋ねてきた。その僧は、仕舞ったものを取り出して結び目を探るように問いかけてきた。

「日蓮なる遊行僧が侍所さむらいどころに捕らえられ、門前を通っておりました」

 頼綱に頼まれ署名をし、もう裁きが下ったのかと素早い対応に驚かされた。が、あのとき実時が駆けつけたから、火急に下したのだろうと思い至った。


「如何なる裁きが下ったか、存じておるか」

「配流と伺っております」

 聞いたとおりの裁きが下り、生命があるなら何度だってやり直せると、忍性は微かに頬を緩めていた。

 西に向かっているならば、伊豆にでも流されるのかと思っていたが、若い僧はその予想を裏切ることを口にした。

「それが行き先を尋ねたところ、佐渡に流すと仰るのです」

「佐渡だと? 佐渡ならば北の巨福呂こぶくろ坂を越えるのではないか?」


 忍性は驚きを隠せず、身を乗り出した。北に向かうはずが何故、西へ向かっているのかと。これには若い僧も忍性も、わからぬと首を傾げるしかない。

 執権館や若宮幕府、訴えをした建長寺を避けたのか。いいや、訴えをしたのは極楽寺とて同じこと。

 名越に別れを告げさせようと慈悲をかけたのか。いいや、それでは日蓮への信心を鎌倉に残し、また炎が灯ってしまう。

 祈雨祈祷が捕縛の契機、ならばその舞台となった七里ヶ浜や江ノ島を拝ませようとしたのだろうか。

 そこで忍性は、ハッと気づいて立ち上がった。


「江ノ島……龍ノ口、刑場だ」


 忍性は門前に飛び出すと、馬と鉢合わせになり尻餅をついた。それは極楽寺にて癒した馬、その上に跨りどうどうと馬を諌めているのは実時だ。

「良観房か。新左衛門が我らを差し置き、狼藉を働くつもりだ。日蓮が危ない、龍ノ口へ急ぐぞ」

 立ち上がった忍性は、馬を前にして戸惑った。急ぎと言えど、馬に乗ってしまえば──

「戒律に触れるか?」

「壮健な足のある拙僧には、贅沢にございます」

 実時がひらりと下りて、馬を返した。忍性は頭を下げると、月明かりに照らされた七里ヶ浜を走り出し、それに実時も続いていった。




 龍ノ口刑場の土牢から呼び出され、日蓮は松葉の隙から覗く夜空を仰いだ。あの苛烈な日蓮も静寂の夜にはしおらしくするのかと、頼綱はほくそ笑んでいる。

「とくと目に焼きつけよ、これが今生の別れとなるのだ」

「今生の別れだと?」

 日蓮は、力強く眉を歪めた。佐渡への遠島ではなかったのか、この侍は実時の裁きを無にするのか、名越の教時は扇動に利用しただけだったのか。


「勝手な真似を。越後守をないがしろにしては、ただでは済まぬぞ」

「さすが、北条には明るいのう。誰から聞いた?」

 問われた日蓮は、口を噤んだ。言ったところで、死に際に醜態を晒すだけだ。己を助けるのは己のみだ、と。

 首を跳ねる敷皮石へと連行されている、その間。そして敷皮石に座らされても、日蓮は御題目を唱え続けた。


 南妙法蓮華経

 南妙法蓮華経

 南妙法蓮華経……


 日蓮の脇に侍が立ち、刀を抜いて振り上げる。刃が月明かりを照り返し、御題目を唱え続ける日蓮を闇夜に浮かび上がらせた。


 南妙法蓮華経

 南妙法蓮華経

 南妙法蓮華経……


「やめよ! 斬るな!」


 龍ノ口刑場に辿り着いた実時が声を上げると、月を突く切先は立ち込めた暗雲が覆い隠した。


 と、次の瞬間。


 目が眩むほどの稲光が闇を斬り裂き、松を苦悶にくねらせた。照らし出された龍ノ口は時が止まり、御内人みうちびとはその場に倒れ、構えた刀はのたうちまわり手から離れた。実時も忍性も異様な光景に息を呑んでいたが、日蓮だけは変わらず御題目を唱えていた。


 雷鳴の余韻が消えた頃、険しい顔の実時が平伏ひれふす頼綱へと歩み寄る。

「佐渡への遠島と言ったはずだ。越訴頭人おっそかしらにんの裁きに異議を申すか」

「申し訳ございません。執権殿が統べる世の安寧を祈るばかりに、出過ぎた真似を致しました」

 時宗を盾にされ、はらわたがふつふつと煮えるような怒りを覚えた。厳罰を下してしまえば、越後守は執権殿をお守りする気がないのだと、頼綱ならば吹聴しかねない。


 蓋をした腹の底に水を差し、裁きのとおりにせよと指示をする。地面を睨む頼綱は、表向き忠臣として振る舞って斬首を中止し、日蓮を佐渡に至る道へと引き連れた。


 緊張の解けた忍性は力を失い、萎れるように膝をついた。それに驚いた実時が、片膝をついて忍性を支えた。

「如何致した!? いかづちに当たったか!?」

「いえ、お武家様の厳しさに、少々当てられてしまいました」

 立ち上がった忍性は龍ノ口から離れようとせず、これまでを悔やんで唇を噛んだ。

「処罰を下すよう署名をするなど、誤りにございました。これが極楽寺の長老とは、まったく情けのうございます」

 実時は、僧らが心配しておる、前に進めと促して忍性を極楽寺へと向かわせた。七里ヶ浜を横目にし悶々と歩く忍性は、稲村ヶ崎で足を止めた。


「これを省み、仏法への誓いを改めましょう」

 それは実時を証人とすると同時に、遠く大和の叡尊にも届けと立てた誓いであった。

「如何なるものか、聞かせてくれぬか」

「そうですな、病のときでなければ豪華な輿こしや馬に乗らぬ、なぞ」

「今し方、しておったではないか」

 実時が笑うと、つられて忍性も嘲笑わらった。

 雲が晴れた月明かりの下、ふたりは極楽寺へと帰っていった。

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