第26話・六波羅

 使う手足に操られている、そのような不気味さが時宗から感じられた。操っているのは平頼綱、側近として忠実に任務をこなしているようで、その実は思うがままにしているのでは、と疑わずにはいられなかった。

 いや、疑いと済ませていいものではない。


 朝廷の務めとはいえ、毎年のように届く蒙古の国書に時宗は、警戒を募らせるのみで真摯に取り組もうという気が見られない。六浦むつらにはじまる海路を担う実時の助言も、時宗の耳には届かない。

 そのようなことを続けて文永九年、遥か西の暦によれば一二七二年。蒙古の国書は居丈高になり、今や朝廷や幕府の怒りを買うだけになっている。


「元は我らを見下しておる。怒りを買うのは、仕方なかろう」

 そう眉をひそめて吐き捨てたのは、実時邸を訪れた安達泰盛。義兄として時宗への理解を示していたが、定まらない視線から実時と同じ思いをひた隠しにしているのが垣間見える。


「捕えた対馬島人を歓待し、脅し迫るつもりはないと申したそうだ。すべてを信じぬともよいが、すべてを疑わぬともよいではないか」

 実時の説得に、泰盛は噤んだ口をへの字に曲げて唸りを上げた。何を信じ、何を疑うべきなのか精査しなければならない、と。


「外交とは交渉だ。強く出てはへりくだり、譲れぬところを残しては、落としどころを探るものよ」

 実際に交易をしている実時の意見に、泰盛はぐうの音も出なかった。それで膝を打てるわけではないが、心が揺さぶられたのは間違いない。


 これを時宗が聞いても、蒙古を拒み抗う姿勢は変わらないのか。


 と、ふたりはぴたりと息を止め、遠くの地鳴りに耳を澄ませた。


 馬だ、早馬だ。


 異常があったに違いないと、屋敷を出たふたりは蹄の向かう先を探った。

「名越だ、名越に向かっておる」

「者どもよ、刀を下げ名越へ向かえ!」

 実時館の侍が鎧を身につけ刀を下げて、ふたりのあとに続いていった。先陣を切る実時は、流れ出る冷や汗を二月の海風に凍てつかせていた。


 行き着いた先に、実時率いる軍勢は戦慄した。

 そこは、名越北条屋敷。入らずとも荒らされたと知れる邸内は、名越の配下が累々と死していた。

 しかし、おかしなところが同時にあった。早馬が行ったはずなのに、名越が有する馬しかない。

 疑問を抱えたまま刀を抜き、亡骸を避け、部屋をひとつひとつ探りながら進んでいき、ようやく生気を感じられたのは奥の間であった。


 そこには、だらりと刀を下げている五人の御内人みうちびとが、血の海に沈むふたりの男を見下ろしていた。


 ひと目見て、わかった。


 名越北条教時、そして時章の兄弟だ。


「引っ捕らえよ!!」

 泰盛が吠えると、御内人は抵抗もせず捕縛され、空虚の視線をこちらに向けた。目的を果たして先を失い、茫然自失とする彼らの中に想定していた顔はなく、その襟首に実時が掴みかかった。

「この狼藉、誰の差し金だ」

 押し殺した声で尋ねたが、拳に下がっている顔は隠しあざむく様はなく、見当もつかぬと言っている。


「この場を頼めるか、執権殿に知らせねばならぬ」

 泰盛が深く頷いたので名越の馬を借り、伝播する動揺を追い抜いて飛び込んだ執権館、実時の報を聞いたのは時宗と、そばで仕える頼綱だった。ふたりの態度はさして変わらず、わずかに目尻を緩ませているのみである。

「越後守殿、これは執権殿の指図にございます」

 腰巾着を装っている頼綱に、実時は沸き立つ怒りを奥歯に噛んだ。

「得宗家寄りの兄までも殺めたのですぞ。これには無実の疑いがある」


 時宗は、そうなのかと微かに目を見開いた。頼綱はピクリと片眉を跳ね上げる。

「越後守が言うなれば、評定衆を募り調べねばなるまい」

 二月の風より冷たく話す時宗に、計略はこれのみではないと実時は悟り、疑念はここで晴れるのだと察して尋ねた。

「早馬が行ったが、あれはどこへ向かったのだ」

「京は六波羅にございます。探題南方が朝廷に接近し、謀反を企てておると報がありました故、討伐に向かわせております」


 時宗の異母兄、時輔まで討つのかと、目に映ったふたりの像が渦を巻く。謀反の嫌疑をかけるため、執権の脅威となる時輔を討つための、朝廷に近しい六波羅行きであったかと、これもまた策略なのか、その背後には頼綱があったのかと、実時は思考に目を眩ませた。


 言葉を失う実時を、淡々とした口調で説き伏せたのは頼綱だった。全幅の信頼を寄せる時宗は、ただ頷くのみである。

「得宗家、執権殿の前に一枚岩とならねば蒙古には抗えませぬ。わずかでも疑義を抱くものは討つべしと、執権殿のお考えにございます」


 朝廷にも幕府にも対話をする気はさらさらなく、戦いも辞さない蒙古への態度に、実時は絶望した。交渉をせず、こちらの矜持を明らかにせず、南宋を追いつめる国と戦うのかと。


 そのときだ、時宗子飼いの御内人が部屋の前に膝をついた。

「申し上げます。南宋を介した間諜の疑いがあり、建長寺の蘭渓道隆らんけいどうりゅうを捕えましてございます」

 時頼の頃より厚く信じ、頼りにしていた僧までも疑うのか、時宗はこれから何を信じるのか、疑念が疑義を生んでしまう、実時はそう危惧していた。


「越後守、どこへ流せばよい」

 時宗に問われ、縁が遠く頼りのときに呼び戻せるところと考えて、実時は甲斐がよいと進言をした。時宗がそれに従うと、頼綱は不敵な笑みを戦慄する実時に向けた。

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