第19話・若宮

 それは発想の飛躍ではないか、御家人の反発を招くのではと懸念したものの鎌倉殿、宗尊親王への我慢は限界をとうに越えており、実時は苦渋の決断を迫られていた。


 文永三年、遥か西の暦では一二六六年の六月。

 執権政村、時宗の義兄の安達泰盛やすもり、そして実時の越訴頭人おっそかしらにん両名が、連署時宗が住まう執権館にて密議を行っていた。

「良基なる護持僧が御息所みやすどころと通じておったのは、まことであるな」

 慎重に問いかける政村に、泰盛は一分いちぶの迷いもなく真であると返答した。


 宗尊親王の正室、宰子さいしが出産した折に身体鎮護を祈祷して、近しい間柄となったのだろう。それ以来か宗尊親王と宰子の関係は険悪であり、その関係に益々拍車がかかり、ついにはこうして露呈した。

 恐れをなした良基が鎌倉から離れたので、この深秘の沙汰が開かれたのだ。


「人目を憚り通じておるとは、我ら北条への不満を募らせ、謀反を計ったと見てよいだろう。春、病に伏せりながら歌会を開いたのも、企てのため近臣を集める口実であろう」

 と、読み上げるように放ったのは時宗である。この推論に基づけば、狙われているのは次期執権の時宗自身になるだろうが、恐れる様子は微塵もない。

「ならば、良基とやらを捕えるがよいか」

「いいや、たかが破戒僧ひとり。真に刃を抜かぬのならば、それでよい」

 それは謀反のみならず、真相を口にしなければというのも暗喩してした。時宗は、宰子と三歳の嫡男惟康これやす、そして宗尊親王の座を奪えれば十分であった。


「捕らえぬのならば、俗世の土を踏まぬよう高野山に封じるがよかろう。使いを走らせ、そう差し向けようではないか」

 実時は説得でもするように提案し、これに皆が納得すると、決めごとを読み上げる素振りで時宗が続いた。

「御息所とその子女は、山ノ内の別邸にかくまおう」

「わかっておろうが、新たな鎌倉殿なるぞ。丁重に扱わねばならぬ、よいな」

 そう諌めたのは、政村である。次期執権の準備が進むに連れ、時宗に伝えるべきがあまりに多く焦りを感じているのが見て取れる。


 御意のままに、と平伏する時宗は素直で真面目であるものの、少々度が過ぎるのではと気がかりでもあった。教育を担った実時から見て、時宗が独り立ちしていくのみならず、どこか違う遠くへ向かっているような気がしてならず、その先行きに不安を覚えた。

 いずれ脅威になるからと、連署に就くと異母兄の時輔を六波羅探題へと上洛させて、監視の目を光らせている。得宗家に力を集約させるためとはいえ、京に封じれば十分では、疑心暗鬼に過ぎるのではと思えてしまう。

 今の時宗は誰を頼りにしているのか、誰が裏で糸を引いているのかと、実時は考えを巡らせた。


 この深秘の沙汰を終えた、三日後。宰子とその子女を山ノ内の時宗別邸に匿った。嫡男の惟康を鎌倉殿に就任させて、宗尊親王を廃位とさせた。

 これに鎌倉中の御家人が騒然として馳せ参じ、謀反を企てる鎌倉殿から得宗家を守るのだ、次期執権の時宗を守護するのだと執権館を取り囲み、抗うのは無駄なことだと北条の力を見せつせた。

 時頼が目指して長時、政村と繋いだ得宗家専制政治が形を成した、残すところは時宗に渡すだけだと思われた。


 着々と進んだ計画は、懸念が現実となって立ちはだかった。


 幼い嫡男に座を奪われ、女房輿に乗って鎌倉を去る宗尊親王を引き止めたのは、名越の北条教時が率いる騎馬の軍勢であった。

「謀反など、讒言でございましょう。この裁きは誤りにございます。若宮へとお戻りくだされ!」

 そう指し示した若宮幕府は、執権館とは目と鼻の先である。これに時宗が気づかぬはずもなく、囲む御家人を引き連れて馬上の教時を一喝した。


「評定衆が、得宗家に楯突くか! 無礼者、馬を降りよ!」

 教時は馬から降りず、真の得宗は我らだと睨む時宗を見下した。

「偽りばかりの得宗が……。そうまでせねば家名を保てぬか」

「名越の家名に泥を塗るのは、やめぬか」

 吐き捨てられた台詞を拾い、熨斗をつけて返すのは遅れて参じた実時である。怒りの業火が移らぬようにと、冷淡なほど鎮めた声を発している。


金沢かねさわめ……。六浦むつらを抱えながら和賀江島を明け渡す越後守の差し金ならば、鎌倉殿も讒言により追われよう」

 教時の挑発に乗ってはならぬ、さすれば鎌倉が燃え広がると、実時は唇を噛み耐えていた。

「それとも、得宗家の犬ともなればみそぎが済むとでも伝えに来たか」

 父実泰の失態を蒸し返された実時は、胸に意識を募らせて湧き上がる血を押さえ込んだ。そこに時宗を制する余裕はなく、感情のおもむくままに開く口を止められなかった。

「野犬風情ふぜいが何をのたまう」


 教時が腰に手をかけ、それに時宗も呼応する。騎馬を囲む御家人がすわいくさかと続くので、実時はふたりの壁となった。

「これまでにせい、輿の前は御前と変わらぬぞ」

「手遅れだ、越後守。せいぜい得宗の尻を拭っておれ」

 嘲笑した教時はきびすを返し、軍勢を率いて名越へと帰っていくと、この騒動に募った御家人も散り散りになり去っていった。


 辺りが静寂を取り戻した頃、女房輿から実時へ声がかかった。

「越後守、まだおるか」

 は、とだけ返事をすると、宗尊親王は鎌倉での十三年をしみじみと振り返った。

「長らく世話になりながら、越後守にこのようなことをさせてしまうとは。芸能のみをしておれば鎌倉にいられたのであろうか、のう」

 答えに迷った実時は、輿の御簾みすに今生の別れを告げた。

「歌で敵うものは、おりませぬ。長い旅にございます、どうか美しい歌とともに」

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