第20話・星ノ井
文永四年、遥か西の暦では一二六七年。重時の七回忌法要を契機として、ついに忍性が極楽寺へ入寺した。志を同じくする僧を伴って、和賀江島で得た関米を車に載せて運び入れる、その途上。
井戸のそばで、如何にするかと見上げたのは、険しい極楽寺坂切通し。通行出来るよう切り下げたものの、荷車が通るには厳しさがある。
「極楽寺より僧を呼んで参ります」
と、押していた荷車の脇をすり抜け、駆け出したのは若い僧。はじめてのことであったので、何をするにも意欲に満ち溢れており、頼もしい。
「若いとは、ええことじゃ」
そう微笑ましく見つめていたのは、様子を見に来た実時だった。忍性はじめ僧が一様に礼をすると、実時はおもむろに車の後ろに手をついた。
忍性も居並ぶ僧も、畏れ多いと血相を変えた。実時は微かな笑みを浮かべて制す。
「齢四十四とはいえ侍だ、力仕事のひとつも出来ねばならぬ。良観房、手伝わせてくれ」
「まだお若い、拙僧は五十になりました」
隣についた忍性は極楽寺の僧を待ってから車を押して、実時に話しかけた。
「坂の下にございます井戸、星ノ井といって行基上人ゆかりだそうですな」
「貧者に施しをした行基上人ゆかりの井戸、そのそばで施しをする良観房も、いずれは同じように謳われるだろう」
「いやいや、拙僧などは不勉強にございます故。切通しの
忍性はよいところに入れたと、地獄谷に住まう文殊菩薩の化身と重時、そして実時が結んだ縁に心から感謝をしていた。
車はその成就院門前で一旦停まった。これより先は長くはないが下り坂、慎重に歩みを進めなければならない。
実時は坂に注意を払うより、成就院を見つめていた。
「そうだ。この成就院は、三代執権
父に代わり小侍所別当を継いだ際、ただひとり責任を持ち推挙した伯父泰時を懐かしんだ。それと同時に、得宗家の祖でもある泰時は、時頼が地固めをし盤石になっていく時宗の地位を、如何に思っているのかと考えを巡らせていた。
いいや、今は悩むときではない。この米を極楽寺まで届けるのが先決だと車の前へ回り込んだ。
「さあ皆の衆、残りわずかだが気を抜くな。手綱を緩めれば、際限なく転がり落ちるぞ」
牛より遅く荷車を下ろすと、今度は実時から口を開いた。
「この関米、如何にするつもりだ?」
「今まで念仏の寺にございました故、西大寺流の施しをするには足りぬものがございます。まずは伽藍を整えようかと」
わかっておるな、そう実時が頷くと、これほどの米をすべて粥には出来ませぬ、と忍性が困ったように笑ってみせた。
「何を建てる、申してみよ」
「貧者や病者のためには薬師堂、癩宿に癩病院、薬湯室に無常堂、施薬悲田院が要りましょう」
ずいぶんと物入りだなと実時が表情を固くしたが、忍性の笑みは緩んでいった。
「和賀江島が得る関米があれば、出来ぬことではございませぬ。欠かせぬものから少しずつ伽藍を整えて参ります」
なるほどと納得しかけた実時は、ちらりと僧に目をやった。ここは救済のみならず、多くの僧が修行をする寺である。分け隔てない施しも、文殊菩薩への帰依と修行になるとはいえ、僧としての勉学を
忍性はそれに気づき、声を引き締め伽藍の整備について語った。
「我らは真言僧にございます故、護摩堂も建てねばなりませぬ。万人への授戒をすべく、戒壇堂も要りますな。また
「左様か。
もちろんにございます、と返してから話が金沢に飛んだことに意図的なものを感じ、気持ちまでをも引き締めた。
「持仏堂に西大寺流の僧を招きたい。良観房、
実時が極楽寺を訪ねた目的はそれだったのか、誰か相応しい僧はいないか、そう考えを巡らせた末、ひとりの僧が思い浮かんだ。
「審海という僧がよいでしょう。拙僧など足元にも及ばない、修行に熱心な僧にございます」
「ならば、良観房より頼んでくれるか」
「
「待つのはよい、西大寺の流儀には慣れたわい」
自身の鎌倉入りや叡尊の鎌倉下向など、事あるごとに実時を待たせてしまっていたのだと、返す言葉もなく詫びる忍性であった。
極楽寺門前で実時と別れてすぐ、忍性は審海に宛てた手紙を
鎌倉に来て以来、ずっと世話になり西大寺流に帰依してくれた、他ならぬ実時の頼みであるから諦めるわけにはいかなかった。
謙遜せずに金沢へ来てくれ、金沢を審海に託したい、実時が審海を必要としている、審海のほかに相応しい僧はいないのだと熱心に手紙を送り、ようやく叶い金沢称名寺の開山となった。
「よき僧を招いてくれた。恩に着るぞ、良観房」
そう実時には喜んでもらえたが、今までかけた迷惑が身に沁みて、改めて詫びるしかない忍性であった。
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