第21話・沙羅双樹
八年ぶりに鎌倉を訪れて、切通しに木戸があるのに驚かされた。守りを固めるための狭く険しい切通しに、守りのための木戸がいるのかと疑問が生じた。
それから求めに応じて松葉ヶ谷へ向かう道中、こちらのほうが近道だと裏通りに導かれた。八年前にはなかった橋があり、名越への抜け道が増えていたのだ。
これを
「邪魔で仕方ない木戸と橋は、誰が設けた」
「極楽寺の良観房忍性にございます」
「忍性だと? これだけの橋、如何に架けた」
「和賀江島の権益を得て、その関米で架けたそうにございます」
「和賀江島を!? 北条は気が触れたのか!」
久々の鎌倉入りを祝い
名越の奥、忍ぶには都合のよい深い谷戸の中腹に、その草庵は建っていた。忍性への怒りが冷めやらぬまま扉を開けると、そこにいたのは──
「これは、お久しゅうございます」
名越北条教時であった。日蓮が平伏しても、主のように泰然と座し不敵な笑みを浮かべている。
にじり寄り、平伏した日蓮にも教時は微動だにせず見下ろすのみだ。
「どうだ、久方ぶりの鎌倉は」
「木戸やら橋やら、あまりに様相が変わっており戸惑ってございます」
戸惑い? と問う教時は、口角を上げたまま眉を歪めた。
「憤怒しておるのではないか? 扉を突き抜けて参ったぞ」
この人にはすべてお見通しだと顔を上げた日蓮は、怒りを言葉に変えていった。
「良観房忍性が和賀江島を得たとは、
「極楽寺とともにのう」
それを聞いた日蓮は、くわっと目を見開いた。鎌倉の変わりように動揺し、胸に収めた紅蓮の炎が燃え上がる。
「極楽寺とな……極楽寺観覚殿の、極楽寺とな」
無間地獄の業とした念仏に帰依していた重時であったが、日蓮は人格者だと尊敬していた。その重時の寺に入り、幕府にとって重要な和賀江島を得た忍性を恨まずにはいられなかった。
そしてついに日蓮は、国賊め! と鎌倉を震わさんばかりに声を荒げた。
その忍性は、病者を薬湯から上げていた。肌の病はすっかり癒えて、
「お陰様で癩が治りました。何とお礼を申し上げればよいのでしょうか」
感謝の言葉をもらいながらも、忍性は難しい顔をして崩さなかった。同じようにした癩者には、癒えずに血膿が吹き出し骨が歪み、末梢の感覚が消え失せて、目が見えなくなるものが多くいた。
「その病は、癩ではなかったのやも知れぬ。それが何かはわからぬが」
何か手がかりはないものか、実時の蔵書ならばわかるだろうかと頭の中が渦巻くばかりである。
それでも治癒したのだから、病者から医王如来と崇められた。忍性はそれを避けるように、身体を清めた病者たちを癩病院へと導いた。
「だいぶ膿を出したようだが、痛くはないか」
「痛みを感じぬようになりました。私も文殊菩薩に近づいているのかと存じます」
それは症状が進行してるせいだと、忍性は黙り込んでうつむくのみである。
病の根本がわからなければ、癩者に本当の救いをもたらすことなど叶わない。衆中から医王如来と呼ばれるたびに、忸怩たる思いに苛まれた。
しかし、救うべき貧者が待っている。今は目の前で苦しむものを立ち止まらずに救うのみだと、無常堂へと足を向けた。
そこに見慣れぬ顔を見かけたので、忍性はそのそばへと歩み寄った。
「そなたは、この無常堂にいつ入った?」
「今し方のことにございます。田が枯れて露頭に迷っていたところ、ここに来れば雨風をしのげると伺いまして」
それは不憫な、腹が減っているだろうから粥を用意させようと無常堂を出たところで、忍性は足を止められた。
「雨乞いの名手である忍性にも、田を潤すことは出来ぬのか」
日蓮である。教時から忍性の話を聞いて、居ても立っても居られずに極楽寺に押しかけたのだ。
言葉に詰まる忍性に、日蓮は追い打ちをかけていく。
「この日蓮と雨乞いの対決をせよ、法華経の法力を見せつけてくれるわ」
これが、いつか実時から聞いた名越の声高な僧かと思い出した。
法華経は、西大寺流でも重視している。だが、それだけを唱えていればいいわけではない、釈迦の教えのすべてが大事で戒律が僧の基本、これもまた西大寺流の考えである。
そこまで考え至っても、忍性は口を開こうとはしなかった。
これに日蓮は激昂した。無視をして、粥の準備へと向かう背中に夥しい罵声を浴びせた。忍性は振り返りもせず、口を噤むのみである。
「木戸や橋など煩わしいと、北条に言うておけ! 関米を巻き上げ、諸人を憤らせるでない!
苛烈な批判を、ただひらすらに耐え忍んでいる忍性を、若い僧が粥の支度をしながら
「あれだけのことを言われ、やり返さずによいのですか」
「釈迦が
甘く優しい粥の香りに誘われた貧者や病者は、慈悲に溢れる忍性の説法に感銘を受け、涙を流すものさえあった。
その様を山門越しに見た日蓮は、こんなものはまやかしの救済だと吐き捨てて、立ち去った。
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