第12話・名越

 倒れてから六ヶ月、一時は快方に向かっていた重時がこの世を去った。先は永くないと悟った日から念仏を唱え続け、穏やかに迎えた最期だったと嫡男の長時が語っていた。


 葬儀の折、忍性が唱える経の中、実時は絶え間なく注がれる視線を背中に感じた。葬儀が終わると名越北条の教時のりときが歩み寄り、兄時章ときあきに帰るようにと促してから、少し話さないかと声を掛けた。

 視線の主は、教時だったか。

 実時は強張る顔を意識して、それを緩めてから教時に極楽寺裏へと導かれた。


 教時は辺りに人気がないと確かめ、始終注いだ視線を投げてぽつりと放った。

「極楽寺殿は、誰が継ぐかのう」

 葬儀の日、執り行われた寺のそばでそれを言うかと、実時は顔をしかめずにはいられない。

「評定衆が噂話など、感心せぬな」

「風を読み、先を測るのも役立つと思うがの」


 深い考えなどせず言葉どおりに捉えるならば、嫡男の長時が出家をしてから継ぐだろうが、執権として多忙である。その弟の時茂ときしげは六波羅探題に詰めている。その下で鎌倉にいる義政よしまさ業時なりときが、極楽寺から西を守るのだろうと考えられた。


 そういう話ではないと実時は最初から気づいている。

 執権に次ぐ地位である連署は、重時の弟で実時の伯父、政村が務めている。しかし実際は前執権の時頼が出家してなお幕府執政を掌握し、それを前連署の重時が支えていた。


 つまりは亡き重時の後、誰が時頼を支えるか、という話であった。

 素直に考えれば、齢五十七にして爽健な政村が正式な連署として引き継ぐのだろう。しかし教時の考えは違うのだと、浮かべる薄ら笑いから読み取れた。


「ここに極楽寺を移すよう進言したのは、越後守ではあるまいか?」

 これが明るみになっては、伯父を差し置きしゃしゃり出たとされて、実時の立場が危うくなってしまう。だから表向きは、重時の判断で極楽寺を移したことになっていた。

 違うと言っても、教時はなお食い下がる。


「経を上げた良観房とやら、真言僧ではないか」

 念仏の寺、念仏に帰依した重時の葬儀に、密教法具が並んでいたことに教時は疑問、いや疑念を抱いたようである。

「真言僧であり、律宗僧でもある。大和は西大寺から参じた」

「今は扇ヶ谷の新清凉寺におるそうだのう。祈祷が効くと評判ではないか」

 実時は速やかに、かつ慎重に相槌を打ち教時の狙いを探った。


金沢かねさわの持仏堂でも、念仏を唱えておるのではないか? 何と号しておる」

「称名寺と号す」

「称名念仏から称名寺と、なるほどな」

 つまらぬ名だと言うように、教時は嘲笑った。実時が尖る目頭を諌めると、その苛立ちを教時が奪い取ってものにした。


「念仏に帰依する越後守、禅に帰依する最明寺殿までもが良観房を重用するのは何故だ」

「地獄谷と呼ばれたこの地に極楽寺を移せたのは、良観房あってのことではないか」

「その良観房を招いたのも、越後守であろう」

 教時は、実時が裏で糸を引いて重時はおろか時頼まで動かしたのだと勘づいている。これまでの話を繋げれば、重時の後釜は実時だと名指ししているのと同じである。


「良観房を招いたのは、極楽寺殿だ。しかし誰が招いたかを問うのは何故だ」

「春に極楽寺殿が伏せったのは、癩者らいしゃごうによるとは思わぬか」

 教時の狙いを、実時は解した。重時が伏せった責任を負わせ、失脚させようと企んでいる。重時を亡き者にしてその座を奪い、時頼を傀儡にするため画策している、そのために忍性を招いて北条に接近させている、そのような筋書きにしたいのだろう。


 実時は小さく息を吐き、わずかな隙をこじ開けようと鷹の目をする教時を見据えた。

「わかった、ひとつずつ答えよう」

 留まっていては思考も止まりらちが明かぬと実時は、極楽寺門前へと歩きだした。教時は不敵な笑みを浮かべつつ、慌て気味に後を追う。


「執権殿に請われれば如何なる役目も果たす覚悟だが、率先して要職に就こうとは思わぬ。身の丈に合った務めを果たし、務めを果たすべく学ぶ、それだけだ」

 げにつまらぬ男だと、教時は呆れきっている。しかし務めとはそういうものと、実時は追う足音を鋭く睨む。


「確かに極楽寺を地獄谷に移し、良観房を鎌倉に招くよう進言した。守るために移し、移すために救う、ただそれだけだ。これは極楽寺殿にご納得頂けておる」

 本当にそれだけか、と教時は不敵な笑みを浮かばせた。視線を浴びても実時は一切動じない。


「病は地獄谷に起因すると申すならば、病者癩者を棄てねばならぬ貧しさや、侮蔑のせいだ。評定衆ならば病者を非難するではなく、病者を棄てる者を取り締まるのが務めではないか」

 淡々と突きつけられた事実を前に、教時は息が詰まったように顔をしかめた。返す言葉を失った口惜しさに唇が歪む。


「そして癩は病だ、前世の業ではない。良観房は大和で多くの癩者を救っておった。この鎌倉でも施粥や施薬をしておるが、良観房は驚くほど爽健ではないか」

 忍性による貧者病者の救済を、知らぬ者は誰もいない。救われて帰依する者や、その活動を評価して支援する者も日に日に増えてきたと聞く。


 だからこそ、教時には忍性が怪しく映った。忌み嫌われる癩者を進んで救うなど、何かやましいことがあるのでは、と疑わずにはいられない。

「あの良観房なる僧は何者だ! 我ら北条にすり寄り、最明寺殿に取り入っておる! 念仏に帰依した極楽寺殿に何故、経を上げた!? 良観房忍性の狙いは何だ!」


 声を荒げる教時に、実時は冷たく静かな視線を流して溜息を殺し、しずしずと口を開いた。

「良観房の目的は、貧者病者や孤児、癩者の救済のみだ。そればかりではなく、我ら北条も衆中も分け隔てなく救おうとしておる」

「そんなこと、一介の僧に出来るはずが」

 実時は言葉を制し、鎌倉に抜ける切通しを指差した。変わらず冷たく静かであったが、胸に灯る炎が透けて見えた。

「この切通し、良観房が指揮したと知らぬのか」


 一歩踏み出した実時は、思い直して振り返り、言葉に窮する教時に視線を刺した。

「ああ、ひとつ忘れていた。我らが読むべきは噂ではなく、本だ。お主も広く学ぶとよい」

 呆然とする教時を置き去りにして、実時は極楽寺坂切通しを越えていった。

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