第29話・摂津多田院

 杜世忠とせいちゅうらの首が晒され二ヶ月が過ぎた健治元年、遥か西の暦では一二七五年の十一月。

 摂津多田院に寄ったのは、異国征伐大将軍に任ぜられ鎌倉から大宰府へと向かっていた実時の庶子、実政であった。


 清和源氏の祖廟なれど、源氏将軍家の断絶により衰退し荒れ果てていた。多田院の再興は北条得宗家の悲願であったが、これがなかなか叶わずにいた。

 そこへ白羽の矢が立ったのは極楽寺再建のために西大寺へ身を寄せて、実政が訪れたならと招いたのは、多田院再建を託されていた忍性であった。


「遅々として進まなかった造営が、こうも瞬く間に進むとは」

 と、実政が包み隠さず驚いたように、忍性の手腕によって新たな社殿が建設されて、多田院は槌の音の活況に沸いていた。

「さすが、良観上人でございますな。朝廷はおろか得宗の信任を得られるとは」


 そう、これは得宗家から直々に依頼されていた。それに応じて叶えたのだから、幕府における忍性の地位は益々向上することになる。

「拙僧は、ただ頼まれた務めを果たしているのみにございます」

 本心から謙遜する忍性であるが、実政はことの裏を読み取らずにはいられない。それが父実時が懇意としていた忍性の、明るい話となればなおのこと。

「誰しもがなし得なかったことを、しておられる。そうへりくだらずとも、よいでしょう」


 忍性は、ほとほと参ってしまっている。

 朝廷からの力添えを早々に得られた手腕に時宗が目をつけたのだろう。しかしそれでは極楽寺の再建が伸びてしまう。だからといって、得宗家をないがしろには当然出来ず、和賀江島の関米や切通しの木戸銭の権益を譲られている恩義もある。

 ならば如何にするか、といえばただひとつ。

「これを済ませ、一刻もはよう極楽寺の谷へ帰りとうございます」


 忍性が漏らした泣き言のとおり、摂津多田院再興を急ぐしかなかった。これもまた時宗の策であったのか、そうだとしたら目的の達成には有効であるが無慈悲でもある。実政はねぎらい同情を寄せ、務めを無事に果たすよう神仏に祈るのみである。

「極楽寺や多宝寺の僧や、父上が帰りを待ちかねておりますが、焦りが遠回りともなりましょう、堅実にことをお進めくだされ」


 実政の遠くを見るような表情から骨を埋める覚悟を悟った。この大宰府行きが今生の別れになるのだと解し、忍性は泣き言を恥じた。

「先を急ぐ旅の折、わざわざお立ち寄りくださったにも関わらず、拙僧の愚痴などで汚してしまい申し訳ございません。どうかご無事に務めを果されますよう、お祈りを申し上げます」


 忍性が固く平伏すると、実政は笑いを上げた。

「型通りの挨拶など、もう存分に賜った。それより父上がしたためた家訓をご覧頂きたい」

 笑みを含んだ実政から書状を受け取った。家訓というにはあまりに薄く、その文章もわずか三十二行二ヶ条と短く驚かされた。

 が、その内容たるや──


 みだりに事を行わず詳しく道理をただし、貴をもなだめず賤をも捨てず、かたく賞罰を行なひて私心なからんにおいては、人はみな天のまつひの如く思ひて、恨みそねむ所あるべからず候──。


 長く得宗家をそばから支え、評定衆として多くの裁きに立ち会った実時らしい書状であった。人心にまで迫っており、冷ややかに映る目つきは冷淡でも冷酷でもなく、あくまで冷静だったのだと手にした忍性は思い返した。


「これは……名文でございますな。温かさまで感じ取れる」

「読むばかりと思うておりましたが、これほどまでに書けるとは」

「多くを読んで参られた故にございましょう。それに何より、心根だ。永らくの労苦に培われた心遣いが短い文章に表れておる」

 忍性は家訓を返し、遠く金沢かねさわに思いを馳せた。摂津多田院再興を早く成し、鎌倉に帰らなければと心に決めた。


 その願いが叶ったのは、明くる年のことである。寄進をもとに極楽寺を再建させて、飢えや病や風雨に苦しむ衆中に粥を振る舞い薬を施し、木の香りが漂う建屋へとかくまった。

 片時も離れられない忍性は、実時が訪れてくれると思っていたが音沙汰がない。病に侵され朝夷奈あさいなを越えられないのではないか、と再建が進むに連れて不安も募る。


「越後守……いや、正慧殿は芳しくないのか。誰か知っている者はおらぬか」

「金沢より参られることも、とんとなくなりましてございます。具合についても、伝え聞いてはおりませぬが……」

「再建の目処も立った頃だ、拙僧自ら朝夷奈を越えよう。今日のところは任せたぞ」

 と、忍性は極楽寺切通しへと足を向けた。


 施粥を行い説法をし、実時に救われた由比ヶ浜を横目に歩き、扇ヶ谷に身を寄せた頃、救済のために幾度となく往来した段葛を北へと進み、鶴岡八幡宮前で右に折れ六浦むつら道へと入っていった。


 ふと、左におわす荏柄天神で足が止まった。

 鎌倉入りし、実時を天神様になぞらえたが、今の印象は異なっている。

 幼い頃から立場をわきまえ、この世を憂いて幕府のため、執権のため、鎌倉のために智慧を尽くした俊傑、それこそが実時だ。


 その実時は、何を楽しみに残された日々を過ごすのだろう。そう考えを巡らせた忍性は、実時とともに朝夷奈を越えた日を思い返して、ハッとした。

「そうだ、本だけではなかった……」

 それからすぐに忍性は、はやる気持ちを足に込め朝夷奈切通しを踏みしめていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る