第28話・西大寺

 健治元年、遥か西の暦では一二七五年の三月。

 極楽寺が炎に包まれ、灰燼に帰した。


 和賀江島の関米や切通しの木戸銭に眉をひそめる者はあったが、火を放たれるほどの恨みは買っていない。

 昨年、日蓮が赦しを得て鎌倉に帰っていたが、火付けなど卑屈なことはせず、真正面からぶつかってくる僧である。苛烈な説法は変わらないが、かつてほどの勢いはなく、それも後ろ盾となっていた教時が討たれたためと思われた。

 結局、極楽寺炎上は火の不始末が原因であろうと検分により落ち着いた。


 さて、幕府の信任を得る救済の寺が、灰のままというわけにはいかない。仮の堂宇で貧者病者を救う一方、伽藍を再建させなければならないが、大寺院となった極楽寺では幕府のみでは力が足りず、朝廷からも寄進を求めなければならなかった。

 それがために長老の忍性自らが、京に近い大和は西大寺へと上っていった。そうとなれば、まず挨拶を交わすのは師の叡尊、十三年振りの再開を互いにしみじみと噛みしめていた。


 災難に見舞われた弟子をねぎらい、朝廷への口利きに力を尽くすと述べてから、気になることがあるのだと叡尊は、ややそわそわとした。

「越後守殿は、息災であられるか」

 鎌倉に下るよう熱心に請い願い、新清凉寺釈迦堂へと足しげく通った実時が、十三年を経てどうしているのかが気がかりであった。


 忍性は針で突かれたような顔をして、重たい唇を慎重に開いた。

「極楽寺炎上とときを同じくして、病を患い金沢かねさわは称名寺へと身を引いておられます」

 それは何と、と叡尊は痛ましそうに眉を寄せた。忍性はそれを払い除けるため、赤鼻を叡尊へパッと向けた。

「これまで集った蔵書をまとめ、文庫ふみくらを築いておられます。南宋より来たる本も止めどなく、納めても納まりきらぬと仰せにございます」


 それほどにまで本が好きだったのかと叡尊は目を見張り、金沢持仏堂を訪れなかったことを少々悔やんだ。

「お武家様が文庫を築くとは、初耳だ。伊勢参宮の折、宋本の大般若経を伊勢へと送ってくれたのも、その御助力か」

「いかにも。朝夷奈を越えた先は、六浦むつらと智慧の海が広がってございます」

 忍性の言うとおりだと、叡尊は深く頷いた。鎌倉下向に前向きな返事をして、送られてきた一切経は金沢が抱える智慧の一端に過ぎない、そうと思えば益々口惜しい。時頼への授戒をよい契機にすればと後悔するばかりであった。


 しかし、このご時世に海と聞けば蒙古の脅威が連想される。執権幕府の頭脳として長らく仕えた実時ならば、国難に立ち向かうべく、今も頼りにされているのでは、と叡尊はその身を慈しんだ。

「残りのときを、本という智慧の海にゆるりと身を委ねて頂きたいものだ」

 一方の忍性は、時宗を操ろうと企んでいる頼綱に悩まされる実時の安寧を切に願い、叡尊と同じ言葉を導き出した。

「そうですな。一冊でも多くの本に浸れるよう、病の平癒を祈りましょうぞ」




 さて、その蒙古は一歩も退くようなことはなく、隷属させようとする姿勢を更に強めていた。四月、長門に上陸した使節団は七回目にもなっていたが、双方ともに交渉の余地を失っていた。

 その正使である杜世忠とせいちゅうをはじめとした五人だが、話にならぬ交渉の場を除いたときの行動が不穏に感じられた。


 武家屋敷などを、嗅ぎ回っておるのではないか。

 あれだけ強硬なれば、戦の備えをしておろう。

 ならば、使節とは名ばかりの間諜か。


 その疑いにより捕えられた使節団は、大宰府へと送られて疑念を晴らせぬ尋問を受けた。

「二度目の進軍に備えるべく、ほうぼう嗅ぎ回っておるな? 使節をかたり間諜などとは、卑怯な真似をしてくれる」

 確かにその任も担っていたが、騙ったと言われてしえば、正式な使節としては許せるものではない。

「先の進軍は、そちらの力を測るもの。間諜などをせずとも、戦を如何にして運ぶかは皇帝クビライの御心みこころにお有りだ。宋や高麗の二の舞いとなるか? 焦土となるを避けるのならば、無駄な抵抗をするでない」


 此奴らめ、と先の戦の傷が癒えぬ大宰府のすべてが怒りに震えた。許されるなら、ここにて今すぐにでも、という恨みがひとつになっていく。

 しかし、どのような非礼があっても相手は蒙古の官僚である。大宰府が勝手をするわけにはいかず、使節団を鎌倉へと護送した。


 送られたのは人だけではない。大宰府からの報告に、幕府は重い蓋が飛ぶほど怒りに沸いた。

「何たることよ、我らを従わせるつもりのみぞ」

「蒙古に下れと宣うか、我らを何と心得る」

「もう一戦交えてみせよう、観念させてくれる」

 憤怒の形相が並ぶ中、凍てつくほどに冷静なのは時宗と、その側仕えの頼綱だけだった。


 執権屋敷が熱に浮かされ像を見失ったとき、頼綱が重く低く、熱を込めて問いかけた。

「執権殿、如何に」

 御家人の火焔は、時宗ひとりに託された。この炎が焼き尽くすべきものは、ただひとつ。これのほかに移してしまえば、この執権屋敷から鎌倉のすべてへと燃え広がり、骨の髄まで灰にする。


 時宗は意を決して、望まれた答えを導き出した。

「使節団五名、龍ノ口にて打首に処する」

 ほんの少し前ならば、熱を秘めた実時がこの場を冷ましたことだろう。今は、朝比奈の向こうで沈黙しているほかなかった。

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