第6話・金沢

 朝夷奈あさいな切通しを越えた先、風待ちによい複雑な入江を擁する六浦むつらを臨む丘の上、金沢かねさわの地に実時の持仏堂が佇んでいた。屏風のように並んだ山に取り囲まれた、それはさながら──

「まるで、小さな鎌倉……」

 そう呟きかけた忍性は血相を変え、これは大変なご無礼をと平伏した。それに他意はないと実時は解して、微かに唸るのみである。


 寺は修行ばかりではなく、守りの拠点としての役割も担う。時頼が鎌倉の北に建長寺を創建したのも、そのためである。前述のとおり、極楽寺の移転も同じことだ。

 そして鎌倉は、僧侶の忍性が気づくほど守りに適した土地である。実時が、それによく似た土地を探して持仏堂を開いたのも頷ける。


 しかし、本当によく似ている。切り通しはないものの山に囲まれ一方だけが開けており、そちらを真っ直ぐ下っていけば、南宋と交易をする六浦の海だ。持仏堂が鶴岡八幡宮、海への道が段葛、六浦を由比ヶ浜と材木座海岸になぞらえることは容易である。

 鎌倉の実時邸は、鎌倉を開いた頼朝の墓のそばにある。北条家ならば当然とも言えたが、畏敬の念が形になっているのだとも思えた。


 持仏堂の扉を開け放つと、薄明かりに浮かぶ光景に忍性が息を呑んだ。そのすぐそばで実時は、はにかみながらも誇らしげに目を背けた。

 そこには夥しい数の本が並び、溢れて積み上げられていた。

「これは……何という数の書物でしょう」

「六浦から太宰府まで至る海路は、我が金沢かねさわ流の所領ゆえ。それより集いし本のみならず、南宋から難を逃れ渡った本をも、ここ金沢にかくまっておる」

「鎌倉には置いておらぬのですか?」

「火の手が移り、灰となってしまったのだ。これもまた匿っておるというわけだ」


 本の虫に相応しい蔵書の数から北条の、そして苦々しくする実時の力が伺い知れた。それと同時に海路より伝わる膨大な智慧、南宋の学識の一端を垣間見て忍性は堪らず身震いしていた。

 その様子に、ふとした疑問が実時に浮かんだ。

「お主は、南宋に渡っておらぬのか」

「恥ずかしながら、学ぶより動いておるほうがしょうに合うようでございまして」


 鎌倉での忍性を思い返して、実時はなるほどと納得をした。由比ヶ浜、長谷大谷戸、地獄谷では感情に揺さぶられ、考えるより先に身体が動いてしまっていた。手を動かすうち、あれが要るこれが足りぬと見えてくるのに違いない。

 観察、調査、熟考してから課題に取り組むよう望んでいたが、このやり方が忍性に合わなかったのは実時の誤算であった。

 しかし計算違いではあったものの、決して無駄にはなっていない。手を差し伸べられずに鎌倉を去る無念が、忍性を強く突き動かしたのは間違いない。

 しかと準備を整えてから鎌倉に戻り、大事業を成し遂げるよう期待した。


 一方、忍性は本の山を見回すうちに、みるみる青くなっていった。恐る恐る向き直り、鎮めた声を実時にかける。

「南宋は、如何なる難に襲われておるのでございましょうか」

 積み上がった本の数から、尋常ではない事態が起きていると忍性は悟った。流出してしまっても守りたい学識が、ここにある。裏を返せば、流出させなければ守れない智慧なのだ。


「西より、騎馬隊に攻め入られておる。本ばかりではない、僧も難を逃れに渡っておるのだ」

 長らく常陸ひたちにいたために昨今の情勢を知らずにいた忍性は、衝撃を受けて絶句した。西大寺からも南宋に僧を留学させている、情報のない地に留まってははいけないと忍性は固唾を呑んだ。


「安心せい、今は持ち堪えておるそうだ。智慧を得て、海を渡りし僧より学ぶ、そのような時だ」

 実時が言うように、鎌倉はあらゆる理由で渡来した僧を招いて仏教を発展、普及させている只中にある。時頼が招聘した蘭渓道隆らんけいどうりゅうを皮切りに、多くの渡来僧が建長寺に集まっている。


 しかし、忍性は安堵することが出来なかった。遥か海の向こうとは言え、南宋ほどの大国を追い詰める危機がそばにあると思えば、緊張せずにはいられない。そしてついに黙っていられず、憚りながら実時に問うた。

「それまでもが海を渡ることは、ございましょうか」


 当然、実時も懸念していた。もう二十五年も前になるが、宋の北にあった金王朝は彼らによって滅亡している。東を目指しその勢力を広げているのは確実であり、海を越えることはないと言えるはずもない。

 ところが実時、不敵に笑ってみせて積んだ本に手を添えた。

「この智慧、何と引き換えに得たと思うか」

 確かに交易なのだから、一方的に得られるはずもない。しかし僧の忍性には思い当たるものが何もなく、はてなと首を傾げるのみだ。


「金銀に銅、硫黄に木材、そして刀剣よ。我らの武具は、南宋の救いとなっておる」

 南宋が善戦する影には北条の力があるのだと、実時は微かな笑みを浮かべた。武家の子であった忍性は感嘆し、誇らしさに憂慮を振り払った。


 話が地につき、本で埋まった持仏堂に馴染んだ頃を見計らった実時は、安堵に緩む忍性を夕餉に誘ったものの、これはあっさりと断られた。

「申し訳ございません、非時食戒ひじしきかいに触れます故」

 日が傾きはじめてからは食事をしてはならぬ、という八戒斎はっかいさいのひとつである。在家でも仏門に帰依すれば守らなければならないのだから律宗の、もとい僧の基本であった。


 しかし金沢から朝夷奈を越えて地獄谷まで往復したのだ、破戒僧にする気はないが腹が減らぬのかと気がかりである。

 すると忍性は小瓶を取り出し、白湯を求めた。

「我ら西大寺流は、茶をたしなんでおるのです」

 聞けばそれは、宇治川の殺生を禁じた際、漁師に代わりの仕事として栽培させた茶をだという。

「ご一緒に如何でしょうか?」

 忍性の誘いに実時は乗り、甘く豊かな香りを心ゆくまで楽しんだ。

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