第4話・極楽寺

 忍性の目的を、そして実時の狙いを解した重時は、眉をひそめて唸った末にきびすを返した。これに実時は口を結び、忍性は癩者の世話と重時の、どちらを取ればよいのかと狼狽えていた。

「どちらへ参られますか」

「ここは落ち着かぬ、深沢に戻るぞ」

 話をする気があると知り、実時は安堵に緩んで重時に続いた。忍性は、また来ると癩者に詫びてそのあとを追う。


 しばらくすると重時は、吐き捨てるように実時の意図を確かめた。

「地獄谷の癩者は良観房に任せ、この老いぼれに稲村ヶ崎を守護せいと、そういうことだな?」

「長きにわたり得宗家とくそうけを支えた伯父上が、我らの頼りにございます」

 実時は申し訳なさそうでありながら、感情なく淡々と答えた。この固く冷たいながらも、火柱のような熱さを兼ね備えるところが実時らしいと、苦笑するほかない重時である。忍性は断りもなく癩者を任され、少し困ったような顔をしている。


「拙僧を頼りにして頂けるのは、まことに有難きことにございます。今すぐにでも貧者癩者に施したく思うておりますが、鎌倉に移るならばすぐにとは参りませぬ。西大寺の師にこれを伝え、三村寺に拙僧の代わりを立て、僧を集めなければならぬでしょう」


 これに実時は、重時に訴え出るように忍性の話に乗った。

「要るのは、僧だけではあるまい」

 忍性はおずおずと、指折り数えるように必要なものを伝えていった。

施粥せがゆの米、施薬せやくと薬湯の薬、雨風をしのげる宿も建てねばなりませぬ」

「それは、如何ほどか」

「西大寺は、大和において貧者癩者に施しをしております。それより勘案するに、地獄谷が埋まるほど要るでしょう」

「それほどに、か」


 重時は地獄谷の口で足を止め、腕組みして唸りを上げた。忍性が行おうとする施しには、かなりの人手と物資、時間を要するからだ。長考の末、探るように問いかけた。

「良観房の言うように、すぐには出来ぬ。米や薬が泉のように湧くでも、宿が草木のように生えるでもない。これを西大寺の僧のみで成せるはずがなかろう。何か考えがあるのではないか?」


 尋ねられた実時は、用意した文書を読み上げるようにつらつらと答えていった。

「和賀江島の権益を良観房に与えましょう、関米せきまいを粥や薬の施しに用いればよいかと」

「和賀江島を、か!? それはかたきことぞ!?」

「時を要するのは承知の上でございます。しかし穴があると気づきながら、見過ごすことなど出来ませぬ。評定衆のひとりとして皆の者を説き伏せます故、どうか執権にお口添えを願いたい」


 現執権の父として働けと、実時は礼を尽くして頭を下げた。他の北条一族がそれぞれに鎌倉の口を守護する以上、動かせるのは重時のみだと懇願している。

「幾つと思うておる、儂は六十二になるぞ」

 重時は、呆れたように呟いた。実時はただひたすらに頭を下げるのみである。

「わかった、最後の務めだ。寺を移し、良観房とともに地獄谷から鎌倉の西を守護しよう」

 観念した様子であったが承諾を得られ、実時はそっと胸を撫で下ろした。


 しかし、ひとまずである。重時に伝えたような幾多ものの務めが実時の眼前で転がりはじめた。忍性の準備が済むまでに、執権に次ぐ地位の連署や、政務をともに司る他の評定衆を説得しなければならない。

 氷のような瞳を燃やす実時に、重時は眉をひそめて口をへの字に曲げていた。

「しかし和賀江島を手放すなど、許しを得られるものだろうか。中には、六浦を手放せと宣う者もおるだろう」


 口を開こうとした実時より先に、忍性が狼狽えながら言葉を放った。

「あれほどの湊を明け渡すなど、余りあります。それがどこの馬の骨ともわからぬ僧では、誰しも納得されぬでしょう。そう急かさずに、西大寺流の働きをご覧になられてから決めてくだされ」


 赤鼻の周りも真っ赤に染めて慌てふためく忍性を、重時が割れんばかりの声で笑い飛ばした。

「良観房! すでに和賀江島を得たつもりか!? そうやすやすとはいかぬ話だ!」

 急かしていたのは拙僧だと忍性が自嘲し、頬を違った赤に染めた。実時はこれを笑いつつ、忍性という不思議な僧侶に深い興味を抱いていった。


 すると重時が、夢想する実時の肩を叩いて現世へと引き戻す。

「和賀江島は、越後守えちごのかみに任せるがよい! 鎌倉には欠かせぬ男だ、よい働きをしてくれよう!」

 面と向かって褒めちぎられて、困り果てて苦笑する実時である。幼き頃から二十五年にもわたり三代の執権を支えてきた、その報いだと思うしかない。


 忍性はわかったような、わからないような感嘆を「ほうっ」と漏らした。

 どうやら忍性は僧には珍しく、身体で考え答えを導くたちらしい。頭で考えて答えまで導く実時のほうが、よっぽど僧侶らしくある。

 このふたりが逆であれば、いいやそれでは凡庸だと思い直して、重時は微かに嘲笑った。


 忍性がハタとして、重時を真顔に戻した。急にどうしたのかと思ったが、些細なことで拍子抜けさせられた。

「この地に移るのは、何という名の寺でしょう」

「深沢の我が寺じゃな? 極楽寺と称す」

 重時は、だから何だと軽く放った。だが忍性は大層なことのように息を呑み、くたびれた法衣を土に被せた。

「地獄谷に、相応しい名にございます。この手でこの地を、その名のとおりにして見せましょう」

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