第2話・長谷大谷戸

 由比ヶ浜は墓場であった。牛馬も人も一緒くたに埋葬される。土地の少ない鎌倉である、石塔の下で眠りにつけるのは有力御家人と高僧だけだ。

 ちょうど墓掘りに出くわして、埋葬される亡骸を忍性は痛ましそうに合掌していた。顔を上げ、眉をひそめて実時を見る。

「ずいぶん痩せておりましたな。やはりここも、飢えのせいでしょうか?」

「長きにわたる雨と、そして嵐だ。一昨年は地震もあった」


 鎌倉は天災が連続していた。何か手立てはないものかと、実時は溢れ返る蔵書に答えを探した。それは和漢を問わず史書や兵学、宗教、医術など広範で、時の執権も頼りにするほどであったが、何ひとつ得られるものはなかったのだ。


「まだ、ここはいい。この先だ」

 実時が振り切るように歩みを進めると、忍性は名残惜しそうにあとに続いた。

「まだいい、というのは……」

「死んでしまえば弔うことしか出来ぬ。真に救いを求めているのは、今を生きる者ではないか」

 左様にございますか、と寂しく呟く忍性の足が早まった。その意気やよし、と実時も口を結んで目を鋭くし、早足になる。


 弓のように緩やかな浜がり出す辺りで、ボロを纏った貧者がすり抜けたので、実時が止めるも聞かず忍性はその後を追った。

 そこで忍性は、息を呑んだ。

「あれは……」

「大仏だ。お主は、大和と申しておったのう」

「大和は西大寺にございます。今は常陸ひたちの三村寺に身を寄せておりますが……しかし、これは」

「所詮、朝廷の真似事よ」


 忍性の視線の先は、実時が吐き捨てた大仏ではなく、そのお膝元に向けられていた。

 そこには飢えた領民が大仏に縋るように力なく腰を下ろし、うなだれ、寝そべり、死んでいた。腕も脚も胴さえも痩せ細り、骨と皮だけになっている。何かを求めて彷徨っている人間も、生きているようには映らない。大仏の向こうに目をやれば、深々と刻まれた長谷大谷戸の奥深くにまで、その光景が続いていた。

 そのうち忍性は痛々しく歪んだ眼差しに血の気を流し、どういうわけだか輝かせ、そちらのほうへ一歩踏み出そうとした。


 それを実時が引き止める。

「何をするつもりだ、良観房」

「何を、と申されましても……」

 忍性には、わかっていた。米の一粒も持っていない今の自身は、彼らにとって無力だと。たったひとりでは助ける前に、彼らの生命が尽き果てるのだと。


「慈悲をかけるのは、よい。だが、救えぬ者に手を差し伸べれば、与えた望みを絶つだけだ。それこそ酷ではなかろうか」

「仰せのとおりにございます」

 切っ先のような目尻が緩み、消え入りそうな光だけを残して灯った。その眼差しを唇を噛む忍性に向け、浜に向かって背中を押した。


 正面には鎌倉の西を守る小高い山が寝そべっており、その端は海へと落ち込んで、押し寄せる波を砕いた岩場が露出していた。

 これが稲村ヶ崎である。

 波濤が削った狭い足場が岩の裾に這っている、引き潮の波が穏やかなときだけ現れる稲村道だ。そう荒れることのない相模灘であったが、昨今の厄災を考えれば通行出来るのは運がいいと思えてしまう。


 しかし、険しい道である。忍性も、実時でさえも足元ばかりに注力し、一心不乱に足を捌いた。


 南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう

 南無大師遍照金剛

 南無大師遍照金剛……


 忍性が命乞いでもするように唱えているのは、弘法大師のお題目。波飛沫に濡れながら、そうか忍性は真言しんごん僧、いや律宗僧ではなかったかと思索を巡らす。

 しかし、すっかり朝廷のものとなった密教だ。鎌倉に集う僧は皆、衆中への布教を目指して経典や粋を見出し、禅や念仏、踊り念仏で敷居を下げている。


 良観房忍性よ、お主は何を見せてくれる。

 我ら北条に、また朝廷の真似事をさせる気か。

 弘法大師が拓いた道を、如何にして衆中に説くというのか。


 海へと落ち込む岬を回り、鎌倉の外へと出る。そこには期待を込めた笑みを浮かべる伯父重時が待ち構えていた。

「稲村道が開いたか! 念仏を唱えておった甲斐があったわい!」

 豪快に笑う重時に礼を述べ、忍性の名を告げて実時は稲村ヶ崎の裏へと進んだ。忍性が何の疑いもなくあとに続くと、重時は躊躇いを露わに足を止め、ふたりを言葉で制していた。

「これ、深沢ふかさわではないのか」


 狼狽えている重時に、振り返った実時が波濤を砕く岩のように固く重く、深々と沁み入るように問いかけた。

「鎌倉の守りを今一度、お聞かせ願いたい」

「我が深沢と大仏おさらぎ流のみでは西が薄かろう。それを如何にするのではないのか」

「左様。潮が引いたときのみなれど、このように稲村道が開きます。深沢から駆けつけるには遠くはございませぬか?」


 来た道のりを反芻して納得の唸りを上げた重時は、はたと気づいて泰然とする実時に丸くした目を突き出した。

「もしや、寺を移せと言うのではあるまいな」

「左様にございます。伯父上には深沢から、ここ稲村ヶ崎へ移って頂きたく、お呼び立てした次第にございます」

 感情を押し殺し淡々と話す実時に、重時は顔を歪ませわなわなと震えた。それは怒りであって、恐れであって、苛立ち、拒絶、忌避、蔑視、様々な負の感情が渦巻いていた。

 そしてついに耐えきれず、重時は燃え盛る怒号を実時に浴びせた。


「この儂に、地獄谷に住まえとのたまうか!」

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