第三話 神に叛逆、奉る

 颯爽さっそうひるがえる緋色のコートは、すそが九つに裂けて波打つように風へとなびき。

 その下に着られた鮮やかな緑色の和服が楚々そそと咲く。

 四肢は長く、しなやかで、野生動物のごとく。

 金糸をたばねたに等しい亜麻色の髪が、大きく広がる。

 天界の工夫くふが手がけたに等しい美貌びぼうは、恐ろしいほどに白く透き通り、切れ長の瞳はつり上がっていて、目元がほんのりとあかい。


 斑屋まだらや鞠阿まりあ

 かつて小春を救ってくれた恩人が、いま悪神を崇拝する者どもへと、立ち向かう。


「三の四倍、その十二倍の試練をよくぞ、よくぞ乗り越えたな、菱河切人。私も見込んだだけに鼻が高い。じつによくまっとうしてくれたなぁ」


 こちらを安心させるように、穏やかな声をかけてくれた彼女は、俺たちをそっと背後にかばい。

 威風堂々と、珠々らを見据える。


「一方で、貴様らは随分と好き勝手をやってくれたらしいじゃあないか。ぺえとろ使徒頭の門? 違うね。ありゃあ、地獄の門だ」

「いいえ! これは〝主〟の導きによって作られた、〝ぱらいそ〟へと繋がる門なのです! 我ら我はいよいよ、天へと召し上げられるのです……!」


 碓氷さんが大声で反論し、天空を見上げる。

 両手を広げ、「珠々様、おちからをお見せください!」と彼女が叫べば。

 赤黒い少女は、門をそっと指差してから――腕を、勢いよく振り降ろした。


 開く。

 門がギシギシと、構成素材となった少年少女たちの阿鼻叫喚あびきょうかんと共に開いていく。

 ボタ、ボタタ……


 降り注ぐモノは黒い雨。

 粘着質な、油のごときモノ。


が、ここに落ちる』


 珠々のかすれた声と共に、ぱちりと小さな火花が弾けた。

 燃え上がる。

 黒い雨が、油が、炎が空から降りしきる。

 教会が、街が、世界が燃えていく。


「……え?」


 これに、碓氷は首をかしげた。

 目を丸く見開いて、口を半笑いの形にして。

 なにが起きているのか解らないといった顔で、珠々をかえりみて。


「〝主〟よ、これは、いったい……」

『犬辺野の望みを叶えているの』

「しかし、これでは世界が滅んで……〝ぱらいそ〟の悦びは荼毘だびに伏されては、灰となっては受けられず……」

「そりゃあそうだろうよ」


 阿呆らしいと嘆きながら、鞠阿さんが口を挟んだ。

 全員が彼女を見て、彼女は珠々だけを見詰めていて。


――煉獄れんごくのことだ。天と地の狭間にあって、人が生前の振る舞いすべてを清められる場所。その炎は、この世すべてを焼き尽くしても消えることはない」

「そん、な」

「碓氷雲斎だったか? 所詮しょせんは貴様ももてあそばれていただけということさ。こいつには玩弄がんろうしかない。犬辺野という名字が、どこから生まれたか教えてやるよ」


 それは。


犬辺野いぬべの――――〝地獄〟さ。おまえたちは、この世に地獄を産み堕とすためだけに、酷使されてきたってわけよ」



§§



「――――」


 碓氷さんが崩れ落ちる。

 俺と小春は、唖然としている。

 鞠阿さんはつまらなさそうに突っ立っており。

 珠々だけが、声を上げて笑ってみせた。


『教えちゃうんだ。優しいね。それとも愛玩あいがん?』

「皮肉のつもりか? まがものが、いっちょ前に感情を語るなよ。愛玩も一文字とれば愛だろうが。食い物にも出来ない分際が、ふかしてるんじゃあない」


 ペッと唾を吐き捨てる黄金。

 珠々はなお、おかしいと言わんばかりに笑う。


『真実を告げるなら、全部教えてあげればいいのに。きっと、いみもわからないまま唱えていたのよ、この子ったら。知らずに呪文を口にしたのよ、これこそが自分たちを狗神の呪詛じゅそから救うカミサマだって信じて』

「なにが狗神だ。おまえはもっとずっとたちの悪いモノだ。〝ぬえ〟。雷によって楽園を追放され、天より地へと墜とされたモノ。地に落ちることすら許されず、中天ちゅうてんでいつまでも雷にさいなまれるモノ。人の欲望に取り憑き、形作られるおぞましき化身」


 鞠阿さんがチラリとこちらへ目線をやりながら、告げる。


「……いいか。菱河切人。苦難の中でみがかれた、たままなことくと視ろ。おまえを害し、無辜むこの民が人生を数多あまた糜爛びらんさせた、なにもかもを台無しにせんとするあの邪悪の名を」


 犬辺野珠々。

 悪魔。

 いや、角抱く赤黒い少女こそ。


「〝ルシフェルじゅすへる〟――己が神に比肩するとおごり高ぶり、楽園から追放された悪魔が頭目とうもくの姿だ」


『よくぞ見破った!』


 珠々が笑った。

 楽しそうに、たのしそうに笑った。

 豹変ひょうへんした声音は低い男のもののようで、ぞっと身体が震える。


 珠々の額にブチリと切れ目が入り、第三の瞳が現れる。

 感情が読めない、山羊にも似た瞳が、ぎょろりと俺たちを睥睨へいげいし。

 小さな肉体が、弾けるようにして肥大化。

 三メートルを超える体格。

 山羊の頭。

 猪の手足。

 その背中では、コウモリのごとき羽が広がる。

 赤黒い獣が、嘲笑を浮かべた。


『しかし、その名を口にしたのは間違いだ。ちりぢりに砕かれたこの身が、いま一つとなって、名前を抱き、完成する。名前とは本質なのだから。嗚呼、珠々なる矮小な器は酷く窮屈きゅうくつだったが、ようやくここまで辿り着いてくれた。我はじゅすへる、我はルシフェル。人が望んだ……〝神〟である!』

「はン!」


 悪魔は、悪びれることもなく堂々と自らが神であると僭称せんしょうした。

 それを、鞠阿さんは鼻で笑い飛ばす。

 つまらない冗談でも聞いたように、彼女は顔を歪めて。

 俺たちへと、視線を落とした。


「おまえたちは、どうして欲しい?」

「……どう?」


 この場にいることすらおこがましい俺が言えることなど、何かあるだろうか?

 悪魔だとか、神様だとか、わけのわからないことばかり起きている現状で。

 怖いことが嫌いなだけの俺が、意見を口にしても許されるのだろうか?


「……彼奴きゃつの狙いは熟した果実。〝まさん〟となった小春の命をおまえに奪わせ、地獄の門を完成させること。ひいては、反キリ番目アンチクリストとして完全になったおまえと子をし、偽の王へと擁立ようりつ、この世を支配し、人間に無限の苦しみを与えることだ。けれど、おまえは小春を殺さなかった。踏みとどまった。その〝愛〟に対する報奨ほうしょうを求めることが、何故いけないと思う?」


 彼女の言葉は、慈愛じあいに満ちていた。

 誠実で、まっすぐだった。

 賞賛ではなく、事実をひたむきに述べてくれているのだと、信じることが出来た。

 だから俺は。

 菱河切人は。


「きりたん……あたし、ぜんぜんわかんないんだけどさ」


 腕の中で、虚ろな眼差しの小春が、うわごとでもつぶやくように声をらす。

 彼女の口元に浮かぶのは、微かな笑み。

 勝ち気な、いつもどおりの幼馴染みの表情で。


「このままじゃ、終われないよね。だから――やっつけてよ」

「……ああ」


 悪友のまぶたが、ゆっくりと閉じて、寝息を立てはじめる。

 やっつけて、か。

 なるほどこいつらしい。


「暴力怪獣女め」


 暴力って言うな。

 怪獣って言うなと、あとで怒られることを願いながら。きっと生き延びてくれると信じながら。

 俺は、ようやく鞠阿さんを見上げる。


 黄金の彼女は、小さく頷き。

 望みを口にしろと、うながした。


 世界を見る。

 燃えている。


 碓氷を見る。

 もはや心は壊れている。


 十辰――珠々だったモノを見る。

 嘲笑をあげながら、まるで演奏でもしているかのように、太く毛むくじゃらの腕を振り回し、門から降り注ぐ炎の雨を眺めている。


 どう考えても俺は場違いだ。

 こんな重要な判断をするべき立場にはない。

 俺は物語の主人公などではない。


 だからこそ、腹が立ってきた。


 どうして友達がこんなに酷い目に遭って。

 幼馴染みを殺す殺されるというところまで追い詰められて。

 おまけに、帰る家もなにもかも燃やされなきゃいけないんだ?

 凡人ただひとがそれほどの苦難を担う必要が、一体全体どこにある?


 理不尽、不条理、荒唐無稽。

 だったら言ってやりたいことのひとつもある。

 俺にだって、そのくらいの権利はあるだろう。


 小春を床へと降ろし。

 しっかりと二本足で立ちながら。

 悪魔を正面切って睨み付け。


 菱河切人は、宣言した。


「なにが神様だ、詐欺師崩れめ。仮におまえが神様だとしても、こっちから願い下げなんだよ」


 いいか、このスットコドッコイ?

 おまえみたいな厄ネタの塊のことをな、この国ではこう呼ぶんだよ!


「――疫病神やくびょうがみってなぁ!」


 そうだ、本当のカミサマとは。

 心底どうしようもないとき、伸ばした手をそっと握ってくれる人のことを言うんだ!

 鞠阿さんのような人のことを言うんだ!


 だから、決然と言い放つ。

 恐いものなんて。

 俺たちの日常を奪う恐怖悪魔なんて――要らない……と!



「おまえなんて――消えちまえニセモノが!!!」

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