第三話 悪友襲来

「確かに、俺は特殊でしょうよ」


 なにせ死なないのだから、すくなくとも正常ではない。

 そんなおかしくなった俺が、今日まで正気を失わずにすんでいるのは、センセーという相談相手がいたからだ。


 大学生になり、村を出て都会へやってきた日から、命の危険と遭遇そうぐうする事態は比較級数的に増大した。

 文化。環境の違い。人間関係。主因りゆうはいろいろあっただろう。

 それでも死に続ける日々はあまりに耐えがたく。

 泣きついた相手が、俺の中で唯一まともな大人のイメージである、センセーだったわけである。


 彼は怪異の専門家として、なによりも人生の先達として、精神のたもち方を教えてくれた。

 信頼できる相手と話すこと。

 秘密を抱えているだけでも、ストレスは大きいとさとしてくれたのである。


「なんで、センセーには感謝してますよ」

『だったら、もっと話を聞かせてくれてもいいんだぜ。悩みもそうだし、体験談もね』

「そう言われましてもね……ほんとう、俺は赤い女の子を、幽霊屋敷の中で見かけたってだけで」

『怪異頻発性体質。歩いているだけで受難を引き寄せる君が、本当にそれだけだと? 少し納得しがたいものがあるね』

「…………」


 センセーの言うことはもっともだ。

 これまでも、随分と恐ろしい目には遭ってきたし、そのたびに死んできたわけだし。

 信用できないのはよくわかる。


『加えて言えば、君の生い立ちからして、もうすこし含みがありそうだと思ったが?』

「俺の生まれなんて平凡なものでしょう」

『どうかな? 祈りの手段すら風化したとはいえ、君の地元は、かつて隠れキリシタンが暮らしていた村じゃないか。だからこそ、その身体には奇跡が起きている。不死という奇跡が。違うかい?』


 表面だけ見れば、彼の言葉は正しかった。

 確かに、あの村は古い切支丹きりしたん末裔まつえいだ。

 けれど村長ですらを唱えることは出来ないし、とっくの昔に、みな清貧せいひんな教義など手放してしまっている。


 村には神社も寺もおいなりさんだってあるのだ。

 隠れキリシタンを名乗ったら、きっと本当の隠れキリシタンの皆さんに怒られてしまうだろう。

 そのぐらい別物で、風化しきった因習しかない村だ。


『ゆえにこそ、君は奇跡の残り香なんだろうさ』


 真面目くさった顔で、センセーは言う。


『そんな切人くんだからこそ、重ねてたずねるよ。ほかに、気になることはないかい?』

「今日は、やけに踏み込んできますね。センセーのほうこそ、なにか含むところがあるんじゃないですか?」

『…………』

「いや、ほんと、気になることなんてなくて――」



   『〝まさん〟を食べて?』



 廃屋で耳にした、呪われた言葉がよみがえる。


「――いま話したことが、全部ですよ」


 肝心な部分だったのかも知れないが、俺はあえてもくすることを選んだ。

 あの言葉を、他の人間に聞かせてはいけないと、どうしてか胸の奥が警告を発していたからだ。

 それ自体が、むべきものであるかのように思えてならなかったのだ。


『……ふむ。まあ、いい。だったらアプローチを変えよう。その〝赤い少女〟の正体こそを、探っていこうじゃないか』


 わずかな黙考もっこうのあと、彼は気を取り直したようににっこりと笑ってみせた。

 そうして、すぐに別角度から話題を検証しはじめる。マジで行動的だ。


「しかし、ですよ」


 自分で電話を掛けておいてなんだが、そこまで興味を持たれるような内容ではないと思う。


『君が死んでるんだ、大事おおごとだとも。まあ、確かに、筋書きとしてはありきたりだ。入っては行けない場所へと立ち入り、恐ろしいものを見た。これだけだからね。それでも、考察する余地は多分にある。そこが面白い』


 例えば?


『そうだな……女の子が着ていた服の色が、なぜ赤色だったのか、とかだ』


 通話が始まって三十分。

 センセーは仕事机の横に山と積まれた資料から、数冊を取り出して見せた。


『大昔なら、口裂け女。トイレの花子さん。赤マント。最近のトレンドでいえば、大陸――台湾の紅衣小女孩フォンイシャオニィハイあたりが、真っ先に思いつくね。この数年で、赤い服の少女といえばこれ、という感じになった。いわば流行はやりだ』


 彼は本気で、怪異の正体を突き止めたいらしい。

 理解できない思考だが、俺は協力する。

 ……理由があった。


 このセンセーは、非常に物事をわきまえており、俺の身に降りかかる怪談を語って聞かせると、興味深さに応じて金一封ほうしゅうを与えてくれるのだ。

 正直、貧乏学生として、これ以上ありがたいものはない。

 だからこそ、気軽に話が出来るというのもあった。


「その、ふぉんい、なんとかってのは……なんです?」

紅衣小女孩フォンイシャオニィハイ山姫やまひめと同じく、山岳部に現れる怪異……都市伝説の類いだね」


 なんでも、山登りをしていると、赤い少女と出くわす。

 その少女は老婆のような顔をしていて、登山客を山の奥深くへと連れ去ってしまうのだとか。


『連れ去るだけではなく、入れ替わる、という場合もある。どうだい、その女の子、おばあさんみたいな顔をしていなかったかな?』

「髪が顔にかかってて、表情とかぜんぜん解らなかったんですけど……」


 しかし、年老いていたようには感じなかった。

 むしろ、まだ幼かったとすら思う。


『そうか。まあ、この都市伝説は比較的近年に成立したものだし、仕方がない。怪異とはそもそも、が多い。そういえば、大陸で女性、赤色と言えば、ぼくは〝冥婚めいこん〟――死後結婚に使われる紅包ホンバオを真っ先に思い浮かべるけど……切人くんはなにかイメージするものがあるかな?』


 問いかけを受けて、大陸と赤で連想ゲームを始めてみる。

 ……駄目だ。

 国旗を背にして、肉まんの入ったせいろを掲げるチャイナドレスの美女しか思い浮かばない……。

 あとは、村でよく見た、宗教画の赤い服を着ている女とか……。


『出てくるのがチャイナドレスと〝罪深き女〟か。ははは、らしいと言えばらしいところだ。どちらも君にとっては性的だろうし、それが健全な男子というものだろう。むしろ、そのほうがいいのさ。僕のようには、なっちゃいけないぜ、切人くん』

「無理でしょ。だって俺は」

『たくさんの恐ろしいことを経験してきた、かい? いいかね、切人くん。この世には確かに、怪異的なことが実在する。君の体質とかがそうだ。しかし、しかしだよ。君が生きているのは、日の光が降り注ぐ日常なんだ。そこは陽の当たる明るい場所なんだよ。それを、よくよく覚えておいてくれたまえ』

「センセー……」


 不覚にもジーンとしたところで。

 彼は口元を、好奇心の形に歪めた。


『でないと、怪談を素直に怖いと感じられなくなってしまうからね。ぼくは、君の〝ナマ〟の反応が欲しいんだよ……!』

「こ、この男……!」

『暗がりからは灯りの下にいる君がさぞかしよく見えて、だから怪しいモノは寄ってくるのだろうね……! さあさ、もっといろいろ語ってくれよ。怪談蒐集しゅうしゅうだけがぼくの生き甲斐なんだ』


 あまりにあんまりな物言いに、思わず通話を打ち切りそうになったとき。

 ピーンポーン。

 と、インターホンが、鳴った。


『こんな夜中に、誰だい? まさか怪異が』

「……違うと思いますよ。たぶんです。なので、俺が死んだことはオフレコで」

『致し方ないね。ぼくもそこまで鬼じゃない。ああ、鬼と言えば――』

「じゃあ、離席します」


 まだ続きそうな話を切り上げ、マイクをミュートにして、入り口のドアへと向かう。

 魚眼レンズを覗くと、そこは真っ暗で、なにも見えなかった。

 どうも、あちらからもこちらを覗いているらしい。

 まったく。


「冗談はそこまでにしておけよ、小春こはる


 言いながら、扉を細く開ける。

 すると。


「えっへっへ! びっくりした? あー寒い。早く中に入れてよ」


 ドアの隙間から滑り込んでくる、小さな影があった。

 よくもまあ、その狭さをくぐり抜けられるものだ。

 見事な身のこなしとたたえておくべきか。


「小さいって言うな! 平たいって言うな!」

「言ってないだろ」

「なによー、予定すっぽかしたのはそっちじゃん! よーし、今日は〝きりたん〟と飲み明かすぞー!」


 そう言って彼女――あちこちにピアスやアクセサリーを身につけた、小柄でそばかすのある悪友おさななじみ――小田原おだわら小春は、缶チューハイが山ほど詰まったビニール袋を、掲げて見せたのだった。

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