第四話 神の家へと向かえ
「もはや語るまでもないけれど、古来より鏡は魔を封じるものとされてきた。だから、彼らはあつめたんだ。自分たちの先祖が
興奮などかき消えたように。
センセーは淡々と事実を解釈していく。
「そうであれば納得がいく。万物万象、あらゆる恐怖の形を取り、人間を堕落させ、神を
彼はガリガリと頭を掻き。
それから顔を撫でるように手で覆い。
ゆっくりとかぶりを振る。
「……違う。そうじゃないのか? そもそも魔鏡に悪魔が描かれていたとしたら、彼らの、犬辺野家の仲間は無数にいて――」
ぶつぶつとつぶやき思考を続けるセンセー。
小春と海藤さんは、浮かび上がった悪魔の像を見詰め絶句していた。
だから。
〝声〟に気がついたのは、俺だけだった。
微かな、空気を震わせることもないような笑い声が、俺の鼓膜を揺らす。
くすくすと、子どもじみた声音が、小さく、小さく響く。
ついで、影が揺らいだ。
〝悪魔〟の足下に、気がつけば赤い少女が立っていた。
犬辺野珠々。
生まれてくることもなかったはずの少女は、こちらを
子どもらしからぬ、
異常だった。
俺以外の誰も、彼女の存在に気がつかないのだ。
さらには、身体がいうことを利かない。またも金縛り状態に
その隙に少女は。
するりと、床を滑るようにして近づき、俺の耳元へ顔を寄せた。
『〝まさん〟を食べて』
食べない。
どうしておまえのいうことを利かなくちゃいけないんだ。
内心で絶叫すれば、少女は首を
『おにいさんが、生き残らせたから。その〝つみ〟を、つぐなわないといけないの』
まるで俺が間違ったことを言っているかのように、
罪。
俺の罪。
頭の中で、幾つかの事象が結びついていく。
点と点が線となり、図形を描き出す。
十二年前、全国で子どもたちが一斉に不審死をとげた。
同じ頃、小春が病に倒れた。
そして、神隠しが起きたのは――
まさか。
ああ、そんな馬鹿な。
だとしたら、俺は、俺は――
『生き残った子どもが、器になるの。おにいさんが、それを選んでしまったから。だから』
彼女が、スッと俺の背後を指差す。
そこにいるのは――いるはずなのは――小田原小春。
神様に助けてくださいと祈った、大切な幼馴染みは。
『だから、おにいさんが〝まさん〟を食べないなら。あのおねえちゃんを、もらっていくね?』
や――
「やめろぉおおおおおおおおおおおお!!」
絶叫する俺に、センセーたちがびくりと肩をふるわせる。
何事かと彼らがこちらを向くが、そんなことに構っている余裕はなかった。
振り返る。
そこに、彼女の。
小春の姿はなくて――
『奇跡の始まった神の家で待っているから』
ただ、犬辺野珠々の。
残酷なまでに舌足らずな声が、響くばかりだった。
§§
「向かうべきは
山肌を滑り降りようにして駆け下りながら、センセーが叫んだ。
もちろん周囲を探したし、小春の携帯にだってかけた。
けれど、返信なんてちっともなくて。
「思えば、ぼくは
センセーは激しく後悔していた。
そんなことはないと告げる余裕が、残念ながら俺にはなかった。
ともかく、奪われた小春を取り戻すため、いま俺たちは駐車場へと向かっていた。
「……ここに来るまで、奇跡の村の話をしたね。この地方には潜伏キリシタンがいたと。隠れキリシタンと、潜伏キリシタンは少し違うものだ」
顔色を青ざめさせたまま、センセーが続ける。
彼らは後に、キリスト教へと戻り、正当な信者となった。
これを、潜伏キリシタンという。
「一方で隠れキリシタンは、禁教令が消えたあとも教会へと戻らず、独自の信仰を貫いていった。君の地元に残る奇妙な風習はそれだ。〝丸やさん〟とは聖母マリア、おらしょとは〝賛美歌〟だ。つまり、話を統合すると、
知らなかった。
地元でもちゃんと意味を知っているひとなんていないし、爺さん婆さんたちはほとんどなにも教えてくれなかったからだ。
あるいは、そう。
生活の一部になっているから、いまさら気がつけないのかも知れない。
そうか、鞠阿さんが、聖母マリア――
「聖母マリアとマグダラのマリアは別物だ。いや、いまはその斑屋某のことはいい。君と同じ不死の存在というわけでもないだろうし、おそらくは名前を
この聖堂の名前こそ、鴻上天主堂。
つまり。
「犬辺野珠々が口にしたという、奇跡の始まった神の家とは、鴻上天主堂で間違いない。神の家とは、即ち教会を指す言葉だからだ」
だから、急がなくちゃいけない。
狗神トンネルから鴻上天主堂までは、どんなに車を飛ばしても半日はかかる。
その間、小春には危険が迫り続ける。
「…………っ」
俺は奥歯を食いしばって、さらに足を速めた。
「事態が急を要するのは解りますが、わたしを置いていかないでくださいよ!?」
海藤さんが悲鳴を上げても、ただ無心で走って。
なんとか、ダムの駐車場へと辿り着く。
全員が息を切らし、ハアハアと白い息を吐きながら、頷き合う。
車に乗り込み、目一杯に速度を出してもらう。
「手荒い運転になりますがね、目をつぶってくださいねぇ!」
いまさら誰も、文句など言わなかった。
センセーが、ペットボトルの水で口を潤し、それから顎を頻りに撫でる。
「魔鏡……悪魔を祀る村……散らばる血脈……怪異の起源……〝ここ〟が、本当に
なにか考え事をしているらしいが、もはやどうでもいい。
小春。
俺は携帯を引っ張り出し、彼女へ向けて再び電話をかける。
出ない。
メッセを送る。
何件も、何件も。
普段あいつが、俺を気にかけてくれたように。
ああ、どうしてあいつばかりが、こんな危険な目に……いや、本当は解っているのだ。
俺が、十二年前彼女を助けたことで、なにかが狂ってしまったのだと、あたまでは解っているのだ……。
「怖い話をしてくるぐらいなんだよ……そんなの、かわいげじゃないか……」
「小春ちゃんが君へ怪談を語っていたのは、ぼくの入れ知恵だ。
センセー?
それは、どういう?
「
つまり。
「小春は、俺を守ってくれていた……?」
ゆっくりと、親のように思っていた怪奇作家は、頷いた。
「あらかじめ、君に怪異への対策を教えるという意味もあった。……じつは、君が不死であることを、ぼくは彼女に、うっかり口を滑らせてしまってね。十年ぐらい前か。それからじゃないかな、切人くんへ、あの子が怪談を語るようになったのは。そうして、自分と君を守るために、魔除けのアクセサリーを身につけるようになったのも」
「――――」
言葉もない。
なにかを言えるわけがない。
だって、そうだろう?
守っているつもりで、俺はずっと彼女に守られていたのだ。
それを、それを犬辺野珠々は。
十辰は……!
「……切人くん。これは確認なのだけれど、以前十辰くんは、自分と珠々の関係を〝あまのじゃくと
いまさらなにをと思ったが、センセーの目は真剣そのものだった。
俺は小さく頷く。
彼はふむと片眉をあげて。
「彼は、妹に自分を捧げるつもりなのかも知れない」
そう、言った。
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