第五話 瓜子姫とあまのじゃく

瓜子姫うりこひめ御伽噺おとぎばなしを知っているかな?」


 センセーの問い掛け。俺は首を横に振る。

 彼は首肯すると、手短に説明してくれた。


「子どものいない老人夫婦のもとに〝うり〟が流れ着く。瓜から生まれた瓜子姫を、二人はかわいがり、やがて庄屋の息子が嫁に欲しいというので送り出すことにする。しかし途中であまのじゃくが現れ、瓜子姫と入れ替わってしまう。このあとの結末はいくつもあるのだけれど、あまのじゃくの正体がばれて酷い目に遭うパターンが多い」


 入れ替わり。

 ここでも入れ替わりか。

 もううんざりだ。頭の中は真っ白で、ちっとも思考がまとまらない。

 それでも解説は続いていく。


「木に登って柿を取る、というところまでは共通している。そこで木から落ちて瓜子姫が死ぬか、木の上で放置されて降りられなくなる。ここから話は大きく進み、残酷なものになると、あまのじゃくはおじいさんおばあさんに瓜子姫を食べさせるというものもあるね。あるいは、瓜子姫をあまのじゃくが食べて、その皮をかぶり化けるというタイプも」

「なにが、言いたいんですか」

「十辰くんは、犬辺野珠々の肉体になろうとしている」


 ――は?


「母親である嵯峨根さがね久埜くのの骨を食べていたことからも明らかだ。三位一体さんみいったいというのを聞いたことがあるかな? キリスト教で言うところの、父と子と聖霊のことだ。けれど、これは隠れキリシタンの間では上手く伝わらなかったらしく、父と子と聖母マリアに置き換えられている。犬辺野において久埜は聖母、子が珠々とするなら、十辰くんのなかで混ざり合うことで一つになるという考え方も、それほど不思議ではない」


 事実、ぼくらは十分すぎるほど怪奇的な出来事に遭遇しているのだからと、彼はくやしそうに語った。

 そこに、興奮はまったくない。

 いつもの楽しそうに恐ろしい話を語る姿はない。

 ただただ、俺を……なによりめいである小春を事件に巻き込んでしまったことを、彼はいているようだった。


 ああ、そうだ。

 センセーは大人だ。

 だから、俺なんかよりもよほど責任を感じている。


 だってのに、俺はひとりでになって……なんて、なんて情けない。

 落ち着け。

 冷静になるんだ、菱河切人。


「センセー。じゃあ、〝まさん〟ってのは」

「犬辺野珠々も言ったのだろう? 〝まさん〟は林檎――この場合は生命の実を意味する。蛇が人の、イブをそそのかし、知恵の実を食べたことが原罪――楽園を追放された理由だ。そして、理由はわからないが、君は生命の実を食べたということになっている」


 生命の実は、いのちそのものだと彼は言った。


「だから、切人くんは不死なのかも知れない。知恵の実と生命の実が合わされば――これはキリスト教のどこにもない、異端者たちの発想だけど――ひとは、神に等しくなれるとされている。問題はその〝まさん〟が、なにを意味しているかと言うことだが……犬辺野家、ひいては彼らが崇拝していた〝鵺〟の企みが、神となった君を〝つがい〟に選ぶことだというのなら――」


 そこで、ピタリと水留浄一の声が止んだ。

 なにか考えているのだろうかと、俺は黙っていたのだが、彼の言葉が再開されることはなかった。


 ハッと気がついたとき、俺はもう、車の中になどいなかった。


 暗黒。

 周囲は、闇に閉ざされており、俺はその空虚の中に、ぽつんと突っ立っていたのだ。


「センセー? 海藤さん?」


 名前を呼ぶが、反応はない。

 仕方なく、闇の中を歩き出す。

 いまさら不可思議な現象のひとつやふたつぐらい、どうということはない。

 最優先事項は小春を取り戻す。そのためなら、なんだってする。


 道は――道と行っていいのか悩むが――奇妙な弾力があり、わずかにぬくもりを感じる。

 あたりには微妙な湿気を帯びた生温い風が吹いており、その所為せいで、おかしな想像をしてしまう。


 ここはなにか、巨大な生物の体内なのではないかという妄想。


 ブルリと背筋が震えたとき。

 不意に、耳元で声がした。


『前を向け。立ち止まるな。歩き出せ。私は、いつだっておまえを見ているぞ』


 厳格な言葉遣いとは相反あいはんする、つややかな声音だった。

 俺は、声に導かれるように、暗闇を進む。


『いまより千七百五十年あまり前、この国に〝鵺〟は現れたんだ。遅れること五百年、私はこの国へと来て、〝鵺〟と争い、その身を微塵みじんと砕いた。これ以上無いぐらいに粉砕してやった。けれど、世に悪意は尽きることなく。狡猾こうかつな〝鵺〟は、己を信奉する者たちに種を植え付けたやがった。種はやがて芽吹き、毒麦となって、血をむしばんだ。犬辺野の始まりがそれさ』


 それは歴史だった。

 正史の中では語られることのない、暗黒の系譜けいふ


『この国を蚕食さんしょくし、欲望をえ太らせ、叶え、花を摘み、〝鵺〟は次第に勢いを取り戻していった。私はそのたびに〝鵺〟を砕いたが、あれは人を惑わし、私を殺したこともあったよ。私は岩になり、口を閉ざさざるを得なかった。信仰が失われ、私は一匹の獣として扱われたからだ』


 鵺と彼女。

 それは、相克そうこくするようにいつも、一緒にあったのだろうか。


『口を閉ざし続けた私をまつる者たちもいた。鵺とは異なる時期に、この国へとやってきた者たちさ。荒神〝丸や〟。彼らはただ私をおそれたが――末代が罪をそそぐまでの供物くもつでしかないことを怖れたが……私は、彼らにすこやかであることを約束した。いつしか、香油を注ぐにふさわしいものが現れると知っていたからな。これでも気が長いほうなんだ。だから……私は〝しるし〟を与り続けた。天竺てんじくからガリラヤに移ったときから、ずっとだ』


 これが、彼女の歴史。

 そして。


『一方で〝鵺〟を信じた者たちは、悪病に苦しんだのよ。己たちの同輩を増やし続けなければ、〝鵺〟は荒ぶり、生贄を欲したからだ。願いを叶える道具に過ぎなかった〝鵺〟は、いつしか彼らにとって、己たちの主へと変貌へんぼうしちまってた。悲しみの中で、彼らは考えた。この苦難を終わらせるにはどうすればよいかとな』


 結論は、あまりに愚かだった。


『〝鵺〟をこの世に産み落とすこと。肉と魂と母を与えることこそ、〝鵺〟から解放される唯一の方法だと犬辺野は信じたのさ。それで世界が天国になると、あいつらは信じた。それが、〝鵺〟に誘導されたものだと知らずにだ。本当、憐れさ』


 歩く。

 歩く。

 声に後押しされ、俺はどこまでも歩き続ける。

 遠くへ。

 地の果てへ。

 なんのために?


 ……忘れていない。

 覚えている。


 小春。

 幼馴染み。

 悪友。

 大切な人を、取り戻すために。


 歩む。

 一歩一歩、終わりへと続く道を踏みしめ。

 これから先、起こる悲劇を噛みしめながら。


『私は、ようやくこの程度のことが出来るようになるまで回復した。ゆえにこそ、おまえの信仰は、七難八苦にまみれるだろう。見よ、伏魔殿ふくまでんが立ち上がる。百四十四の試練を踏破したとき、おまえは――』


 声は、そこで途絶えた。

 代わりに、周囲を包んでいた闇が消えていく。

 現れたのは、白亜はくあの大聖堂だった。


 白い漆喰しっくいで覆われた、レンガ造りの神の家。

 鴻上天主堂こうがみてんしゅどうが、そこに、そびえ立っていた。


「いらっしゃい。お待ちしていましたよ、菱河さん」


 入り口で、眼鏡の女性が微笑む。

 碓氷うすい雲斎うんさいが、仰々しいまでに慇懃いんぎんなお辞儀をして、俺を出迎えてみせた――

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