第五話 瓜子姫とあまのじゃく
「
センセーの問い掛け。俺は首を横に振る。
彼は首肯すると、手短に説明してくれた。
「子どものいない老人夫婦のもとに〝
入れ替わり。
ここでも入れ替わりか。
もううんざりだ。頭の中は真っ白で、ちっとも思考がまとまらない。
それでも解説は続いていく。
「木に登って柿を取る、というところまでは共通している。そこで木から落ちて瓜子姫が死ぬか、木の上で放置されて降りられなくなる。ここから話は大きく進み、残酷なものになると、あまのじゃくはおじいさんおばあさんに瓜子姫を食べさせるというものもあるね。あるいは、瓜子姫をあまのじゃくが食べて、その皮を
「なにが、言いたいんですか」
「十辰くんは、犬辺野珠々の肉体になろうとしている」
――は?
「母親である
事実、ぼくらは十分すぎるほど怪奇的な出来事に遭遇しているのだからと、彼は
そこに、興奮はまったくない。
いつもの楽しそうに恐ろしい話を語る姿はない。
ただただ、俺を……なにより
ああ、そうだ。
センセーは大人だ。
だから、俺なんかよりもよほど責任を感じている。
だってのに、俺はひとりでやけになって……なんて、なんて情けない。
落ち着け。
冷静になるんだ、菱河切人。
「センセー。じゃあ、〝まさん〟ってのは」
「犬辺野珠々も言ったのだろう? 〝まさん〟は林檎――この場合は生命の実を意味する。蛇が人の
生命の実は、いのちそのものだと彼は言った。
「だから、切人くんは不死なのかも知れない。知恵の実と生命の実が合わされば――これはキリスト教のどこにもない、異端者たちの発想だけど――ひとは、神に等しくなれるとされている。問題はその〝まさん〟が、なにを意味しているかと言うことだが……犬辺野家、ひいては彼らが崇拝していた〝鵺〟の企みが、神となった君を〝つがい〟に選ぶことだというのなら――」
そこで、ピタリと水留浄一の声が止んだ。
なにか考えているのだろうかと、俺は黙っていたのだが、彼の言葉が再開されることはなかった。
ハッと気がついたとき、俺はもう、車の中になどいなかった。
暗黒。
周囲は、闇に閉ざされており、俺はその空虚の中に、ぽつんと突っ立っていたのだ。
「センセー? 海藤さん?」
名前を呼ぶが、反応はない。
仕方なく、闇の中を歩き出す。
いまさら不可思議な現象のひとつやふたつぐらい、どうということはない。
最優先事項は小春を取り戻す。そのためなら、なんだってする。
道は――道と行っていいのか悩むが――奇妙な弾力があり、わずかにぬくもりを感じる。
あたりには微妙な湿気を帯びた生温い風が吹いており、その
ここはなにか、巨大な生物の体内なのではないかという妄想。
ブルリと背筋が震えたとき。
不意に、耳元で声がした。
『前を向け。立ち止まるな。歩き出せ。私は、いつだっておまえを見ているぞ』
厳格な言葉遣いとは
俺は、声に導かれるように、暗闇を進む。
『いまより千七百五十年あまり前、この国に〝鵺〟は現れたんだ。遅れること五百年、私はこの国へと来て、〝鵺〟と争い、その身を
それは歴史だった。
正史の中では語られることのない、暗黒の
『この国を
鵺と彼女。
それは、
『口を閉ざし続けた私を
これが、彼女の歴史。
そして。
『一方で〝鵺〟を信じた者たちは、悪病に苦しんだのよ。己たちの同輩を増やし続けなければ、〝鵺〟は荒ぶり、生贄を欲したからだ。願いを叶える道具に過ぎなかった〝鵺〟は、いつしか彼らにとって、己たちの主へと
結論は、あまりに愚かだった。
『〝鵺〟をこの世に産み落とすこと。肉と魂と母を与えることこそ、〝鵺〟から解放される唯一の方法だと犬辺野は信じたのさ。それで世界が天国になると、あいつらは信じた。それが、〝鵺〟に誘導されたものだと知らずにだ。本当、憐れさ』
歩く。
歩く。
声に後押しされ、俺はどこまでも歩き続ける。
遠くへ。
地の果てへ。
なんのために?
……忘れていない。
覚えている。
小春。
幼馴染み。
悪友。
大切な人を、取り戻すために。
歩む。
一歩一歩、終わりへと続く道を踏みしめ。
これから先、起こる悲劇を噛みしめながら。
『私は、ようやくこの程度のことが出来るようになるまで回復した。ゆえにこそ、おまえの信仰は、七難八苦にまみれるだろう。見よ、
声は、そこで途絶えた。
代わりに、周囲を包んでいた闇が消えていく。
現れたのは、
白い
「いらっしゃい。お待ちしていましたよ、菱河さん」
入り口で、眼鏡の女性が微笑む。
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