第二話 〝まさん〟を食べて
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……!」
十辰の口から放たれる、
彼の総身から立ち上ったドス黒い瘴気は、無数の爆発を繰り返しながら天空へと駆け上った。
それはさながら暗黒の柱。
莫大な量の闇が直立し、聖堂の天井を粉砕、暗雲へと吸収されていく。
天と地が、闇によってつながりを得て。
空では雲が、稲光とともに渦を巻く。
やがて
〝門〟。
大空の半分ほども覆い尽くす、超巨大な〝
「我を
門が鳴動する。
門が脈動する。
目をこらし、ただ嫌悪の感情に
〝門〟は、子どもで出来ていた。
無数の白い裸体を晒す幼子たちが、絡み合ってそれを形成しているのだった。
あらゆるこどもたちの表情は、苦悶と絶望にまみれ、在るべきはずの場所に眼球はなく、すべてのものが
全身の毛が逆立ち、足がいまにも
「〝主〟よ、おいでませ! 〝ぱらいその悦び〟をここに……!」
「あああああああああああああああああああああああ!!!!」
碓氷の
十辰の
一条の雷光が、
轟音。
閃光。
衝撃波に吹き飛ばされ、危うく死にかける。いや、おそらくこのとき、俺の心臓は一度止まり、死んだ。
キーン……という耳鳴りが酷く、視界もかすんで仕方がない。
それでもなんとか這いずって立ち上がり、目をこらす。
そこに――赤色がいた。
長い黒髪は生物のようにうねり、焦げた床をのたうつ。
毛先からは赤い舌がチロチロとのぞき、頭髪の一本一本が蛇であることが見て取れる。
酸化した血液のように赤黒いドレスは、
耳の上あたりから、天を
伏していた眼を、少女がゆっくりとあげる。
水の代わりに墨汁を流し込んだ海のような、波立つモノひとつない、照り返しなどあるわけもないのっぺりとした眼球が、俺を見た。
赤い少女が、糸を引くように潤った唇を、万感の思いとともに開く。
『〝まさん〟を、食べて?』
§§
「おお、おお……! わたくしたちの〝主〟が! 〝神〟がついにご光臨なされました……! いまより犬辺野の悲願は達成されることでしょう! あんめい・じゅすへる!」
手を組んで
十辰の姿はどこにもない。
彼はもういないのだと、俺は直感した。
その魂ごと、喰らい込められてしまったのだと。
しかし、神とは大きく出たな。
天主堂に神様が舞い降りるってのは、たしかに正しいのかも知れないけどさ。
「だまらっしゃい! わたくしたちの受難を、あなたはなにも存じないでしょう」
ああ、知らないよ。
なにひとつ知らない。
俺の親友が、どれだけ悲しくて苦しい思いをしてきたか、知る時間さえなかった。
それをアンタが教えてくれるって言うのかよ、碓氷雲斎?
「いいでしょう、
彼女は悲壮感もあらわにしながら語る。
「どこに流れていこうとも、よそ者として扱われ。
それは、一体?
「この辺境を
ずっと、ずっとと碓氷は語る。
ずっと、ずっと今日までと。
「そうして十二年前、すべての準備が整ったわたくしたちは選ばれた子どもを生贄に捧げました。
しかし、それは失敗した。
なぜなら。
「足りなかったのです……たったひとつ、命が足りなかった。小田原小春。あの娘ひとりが生き延びてしまったがために、すべての計画は水泡と
言っていることがぜんぜん違う。
さしずめ、先ほどのが建前、こちらが真実というやつだろう。
もはや、笑いも出てこないぐらい最悪な真実だが。
「不敬な! すべてはおまえが命を
彼女が指し示した先では、つまらなさそうに己の毛先――そこでうごめく蛇の頭と
彼女は俺の視線に気がつくと、パッと表情を笑みの形にして、手を振ってみせる。
理解する。
彼女は〝門〟なのだ。
十二年前、俺が小春を延命したことで犬辺野家の計画は
けれど生まれるはずだった
肉体を持たない珠々は、十辰を奪うことで、ここに受肉した。
「――そんなものが、〝神〟であってたまるかよ」
ふざけるのも大概にしろ。
ろくでもないことに俺たちを巻き込みやがって。
それでどれだけの人々の、かけがえのない人生が狂ったと思ってやがる?
「返せよ……」
『…………』
「小春を、返せ……!」
地を蹴る。
既に麻痺から俺は回復していた。
立ちはだかろうとする碓氷をはねのけ、少女へと肉薄。
掴みかかろうと手を伸ばし――
『ちからは、よりつよいちからのまえに無力なんだよ、おにいちゃん?』
にっこりと微笑んだ珠々の前で、身体が凍りいたように動きを止める。
こんなところまで来て金縛りかよ……!
もどかしく指先をうごめかせば、彼女は自らの指を俺に絡め、愛おしげに
さらには指先へと舌を這わし、たっぷりの粘度の高い唾液とともに舐めあげる。
そうして、身動きの取れない俺をねぶり、
この手の上に、赤い果実をのせた。
ドクドクと脈打つ果実。
肉々しい芳香を放つその実は。
「〝まさん〟――知恵の実だよ。さあ、食べて?」
むせかえるような甘い薫りが俺を狂わせる。
勝手に唾液が口の端からしたたり落ち、目が果実へと釘付けになる。
喉が渇き、固唾を飲み込み、なお足りないと胃の腑が叫ぶ。
「ああ」
嗚呼、なんて美味しそうな――
自然と開く唇。
剥き出しにした牙を、俺はその実へと突き立てそうになって。
「――――」
ギラリ。
と、ナニカが反射した。
果実から放たれる光が、俺の目を覚まさせる。
「――いるんだな」
聖堂の燃える炎を照り返し、俺の背後にて実像を結んだ光は、聖母に等しい姿を作っていた。
魔鏡。
まやかしを
それをいま持っているのは!
「そこにいるんだな――小春ぅうううううう!!!!」
愛する人の名を呼んだとき、俺の身体は自由を取り戻す。
胸いっぱいに、果実を抱きしめる。
「――きりたん」
果実は、大粒の涙をこぼして、俺の名を呼んだ。
小田原小春が、最愛の幼馴染みが、この腕の中にいて!
「――これにて百四十四回。よくぞ試練を成し遂げた」
刹那、大聖堂に妖艶なる声が轟いた。
ポケットからこぼれ落ちた
まるで役目を終えたかのように。
これにて、おしまいだというように!
「菱河切人――おまえに死はない」
マリア像の具現。
魔鏡が照らす
緋色のコートに身を包んだ黄金。
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