第五章 犬辺野が祀りしもの

第一話 いざ、狗鳴村へ

 警察への通報と事情聴取を終えた海藤さんが、やれやれといった顔で戻ってきたのは、翌日になってからだった。


「お時間を取らせましたねぇ」

「ぼくが考えるよりも随分お早いご帰還だ。ですか?」


 センセーが指先でマルを作ってみせる。

 海藤さんはニヤリと笑って、


「こっちですよ。これで長年、この街に暮らしてますからね」


 と、膨大な記述がされたノートがおさまるバッグを叩いてみせた。

 どうやらを使ったらしい。

 大人になるというのは、大変なことだ。


「ほんと、大人って汚いわー」

「小春ちゃんも、年齢的には大人の責任がともなうから、割とその発言、危険だからねー?」


 なげいてみせる姪に、しっかりと釘を刺すおじさんのかがみこと水留浄一センセー。

 彼は、そこで一つ咳払いをすると、表情を改めた。


「早速だけど、これからの行動方針を決めよう。全員聞いていると思うけれど、あちらさんは切人くんにご執心だ。究極的に、ぼくらは無関係であると言ってもいい」


 それはつまり、これ以上彼らが関わる必要がないということだ。

 こんな馬鹿げたことに、危険なことに小春たちを巻き込む理由が、俺にはない。

 狗鳴村いぬなきむらの場所さえ教えてもらえれば、ひとりで向かう決心は出来ている。


「皆さんにはお世話になりました。あとは、俺が自分でなんとかします」


 頭を下げながら告げると、なぜだか全員が微妙な顔をした。

 半笑いとも、しようがないものを見ているともつかない、半端な表情。

 小春が、真っ先に口を開いた。


「あたしは、付いてくよ」

「なんで」

「ほっとけないし。楽しそうだし。あと……あんなコトされたから」


 乙女おとめ的にはああいうことをされると無視できないので、と、彼女は頬を染めながらそっぽを向く。

 乙女って歳でもないだろうと思うが、俺も気恥ずかしさから、視線が合わせられない。


「え? なに? ぼくが知らない間に、なにかあったのかい? まさか、ちょっと待ちたまえ。そういった関係は早いと思うなぁぼくは! いくら〝籠絡ろうらく〟を後押ししてきたからって、急な進展は許せないというか……!」


 相変わらずの勘の良さを発揮したセンセーが、保護者としての態度で接してくるが、完全に無視する。

 彼は大きく肩を落とし、


「……まあ、いいや。それよりも、だ! いま起きていることは、なにより怪奇的だ! 実に興味深い。最期まで見届けたいと、ぼくは強く思う!」


 強い調子で、言葉を続けた。


「ここまできて仲間はずれというのはつらいよ、切人くん。蛇の生殺しさ。リアルな怪談、怪奇に触れるチャンスを逃したくないのさ、ぼくは。それに……一度保護者面をした以上、最後まで責任を取るのが大人の務めなんだよ」

「センセー……」

「わたしも同行させてもらいたいもんですなぁ」


 海藤さん……。


「いえ、なに。こっちは打算でしてね。ジャーナリストの血気けっきがわたしにも残っていたようでしてね、真相ってやつを暴いて、是非記事にしてみたいと思いまして。こんな特ダネ、見逃せませんや」


 それにねと、彼は相変わらず卑屈な笑みを浮かべる。


「こっちの水留先生が、取材費は出してくださるって事でして、ええ。すでにわたし、買収されているもんですから」


 センセーを見遣ると、サムズアップを向けてきた。

 ……なるほど、確かに大人は汚い。

 けど。


「小春、おまえは」

「借りがあるって言ったじゃん」

「…………」

「きりたんはどうか知らないけどさ、あたしは覚えてるんだ。この命を助けてもらったことを」


 ……ああ。

 俺も、やっと思い出した。

 だからいまなら、十辰が俺に憎悪を向けてきた理由もわかる。


 たぶん、小春はあのとき死ぬはずだったのだ。

 けれど、小春が生き延びたことで……理由はわからないけれど、たくさんの同年代の子どもたちが死んだ。

 同じように、珠々ちゃんは産まれてくることが出来なかった。


 つまり、俺が悪いのだ。

 俺が鞠阿さんに願ったことが始まりなのだ。


 すべて推論だが……もしもこれが正しいのなら、決着は、俺がつけなくちゃならない。

 それに、みんなを巻き込むなんて出来ないと思っていた。

 思って、いたけど……ここまで言われたら、甘えてしまう。

 菱河切人は、決して心が強いわけでも、自立できているわけでもないのだから。


「よろしく、お願いします」


 俺は、みんなに向かって頭を下げた。

 彼らが、俺の肩を軽く叩いていく。


 顔を上げる。

 全員が頷く。

 行こう。


「狗鳴村へ……!」



§§



 県境けんざかいを越えて、そのまま山奥へとひたすら車を走らせる。

 海藤さんが社用車を借りてくれて助かった。

 漠然ばくぜんとひとりでなんとかしようと考えていたが、これだけの距離を移動するだけで、すでに無理だったかもと思いはじめていた。

 俺、ペーパードライバーだし……


「とはいえ、車で行けるのは途中までですよ菱河さん」

「そうなんすか?」

「ええ、一度取材できたことがあるんですが……道がバリケードで封鎖されてましてね。なんで、車はもう少しいったところにあるダムの駐車場に止めます。そこからは歩きですね」


 さすがジャーナリスト。

 よく知っている。

 時刻は既に昼を回っていた。順調にいけば夕暮れ前に辿り着くかと思っていたが、見積もりが甘かったかも知れない。

 重ねが重ね、連れてきてもらってよかった。


 しばらくすると、海藤さんが告げたとおり、ダムが見えてきた。

 駐車場に車を止め、各自荷物を背負って山歩きを始める。


 一時間ほど歩いたところで、くだんのバリケードが見えてきた。

 豪邸とかにある門構えにも似た、本格的な車輪式の門扉もんぴが、道を閉ざしていた。

 横にある通用口を抜けて、さらに奥へと向かう。


「いや、きつい……」


 かなり険しい山道に、俺だけが音を上げる。


「それは少しだらしがないぞ、切人くん。ここらは地元住民からすれば、普通の通行路だ。不規則な生活を送りすぎなんじゃないか?」


 マジかよ。

 至って元気なセンセーと、少しはきつそうな海藤さん。

 横を見ると、小春は鼻歌交じりで健脚けんきゃくを披露していた。


 彼女はフル装備で、護符ごふだの数珠じゅずだのタリスマンだのをジャラジャラ身につけている。そこには俺が返却した魔鏡もあった。俺よりも、彼女を守って欲しいと強く願って、手渡したものだ。

 そんな重装備なのに、ハイキングを楽しんでいるのと変わらないような涼しい顔。

 まったく、頼りになるな……。


「……よし」


 気合いを入れ直して進む。

 やがて、一つの看板が見えてきた。

 不気味な赤い文字で書かれた、看板には、右に行けば旧狗鳴トンネル、まっすぐ行けば新狗鳴トンネルにでると案内されていた。


「看板といえば、狗鳴トンネルにまつわる有名な都市伝説があるね」

「あ、知ってるー。『この先、本国憲法は適応されず』でしょ?」


 センセーの台詞を、小春が先回りして答えた。

 俺だって、そのぐらい聞いたことがある。

 いや……もしかすると小春から聞かされたのだったろうか。


 本国憲法は適応されず。

 そんなことが書かれた看板が、トンネルの入り口に貼り付けられており、国ですら安全を保証してくれないとする噂だ。

 しかし、噂は噂だろう。根も葉もない、根拠のない噂。


「ところが、あながち嘘でもないんだよ、この話は」


 顎をさすりながら、センセーが続きを語ろうとしたときだった。

 とうとう、それが見えた。


 旧狗鳴トンネル――


 いや、これをトンネルと呼ぶことは難しかっただろう。

 なにせ入り口は、無数の積み上げられたブロックで完全に封鎖されており。

 そのブロックには、色とりどりのスプレーで落書きがされていたからだ。


『カエレ』

『××参上』

『おつかれさん』


 などという他愛のない落書きの中で、一つ際立っていたものがあった。


『これよりさき、本国憲法は適用せず』


 黒いペンキでべったりと描かれた文字が、否応なく脳裏に刻まれる。

 山に入る前は高かった日も暮れ始め、あたりは尋常ではない気配が漂っていた。

 心霊スポットなど、雰囲気があるだけだとか、そこに立ち会って流される方が悪いという意見があるだろう。

 けれど、ここばかりは、どうにも印象が違う。

 土岐洲町ときすまちの幽霊屋敷など、比にもならない。


 絶対に近づいてはならないと、脳髄が、心臓が、全身が全霊で警告を発していた。

 本能が、恐怖を訴えかけてくる――


「どうやって、中に入るの?」


 小春が、もっともな――けれど空気を読まない疑問を口にした。

 センセーと海藤さんが、示し合わせたように大変悪い顔をする。


「これから、ブロックを勝手にどかして」

「無許可で入り口を開け」


「「不法侵入するよ」しやす」

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