第三話 上半身の怪、その特徴

「ちょっと。きりたん、大丈夫?」


 講堂こうどうでぐったりと椅子にもたれる俺を見て、小春が珍しく気遣いのようなものを投げてきた。

 大丈夫かどうかでいえば、大丈夫ではない。

 ここのところ、不眠が続いていたからだ。


 ゼミやバイトから帰って寝床に入る。

 そのまま目を閉じるのだが、寝付けない。

 それどころか、部屋の中を這いずり回るを幻視して、情緒不安定。

 不死といっても他は凡人と大差ないのだ。

 怪我をすれば血が出るし、髪の毛や爪だって伸びる。あと、メンタルもダメージを受ける。

 結果、この体たらくというわけだ。


「天井の染みは大きくなる一方だし、しんどいな」

「わーお。きりたんが自分でしんどいって言ったよ、結構だね」

「は? なんでだよ」

「あんたは弱音を見せたがらないし、貯め込むから」


 ……よくわかってるな、こいつ。


「伊達に幼馴染みやってないってわけか」

「それはそう。あと、だいぶやつれてるもん。ご飯、ちゃんと食べてる?」


 言われてみれば、ろくに飯を食っていない気がする。

 最後に食べたのは……ゼリー飲料か。


「どうも、口の中がけものくさくてな」

「口内炎? あるいは歯肉炎? 胃が悪い?」

「どんだけ不健康なんだよ、おまえから見た俺」

「……原因は、やっぱり幽霊屋敷?」


 どうかね。

 そうかもしれないし、俺の精神的な弱さがもろに出ているだけかもしれん。


 こんなにもいろんなものを――本当に異常なことばかり体験してきておいてなんなのだが。

 未だに俺は、オバケというものに対して懐疑的かいぎてきなのだ。

 半信半疑……いや、三信七疑といったところか。

 ともかくどっちつかずで、煮え切らなくて。

 だからこんなに悩んでいるのかもしれない。


 信じた瞬間、正気を失ってしまうから。


「きりたん」

「なんだよ」

「こっちむいて」


 言われるがままに、彼女の方を向くと、急に抱きつかれた。


「なっ」


 悲鳴をあげかけて。

 けれどそれよりも早く、小春は身をひいてくれた。

 慌てて周りを見渡すが……よかった。誰にも見られなかったらしい。


「おまえ」

「それ、あげる」

「え?」


 言われて胸元に目を落とすと。

 あのとき見せてもらった魔除けの魔鏡が、いつの間にか首から下がっていた。


「いいのかよ?」

「いいよ、高いものじゃないし。ほかにもいっぱいあるし」

「…………」

「嘘。ちょっと高い。でも、いいの。覚えてないだろうけど、きりたんには借りがあるからさ」

「借り?」

「そう、おっきな借り」


 彼女はひとりで、ウンウンと頷き。


「それでさ……あたし、調べてきたんだよ」

「なにを?」

「幽霊屋敷の話に決まってんでしょ。ほっとけないじゃん、悩んでるきりたんを。だから……よし! 今日の夜は、あんたんち行くから」

「は?」

「おじさんと、もっとしっかり話そうよ。あんなでも、頼りになるからさ。だから、とりあえず――」


 小春は、俺の胸を軽く叩き。

 魔鏡を揺らして。

 チャーミングに、ウインクを決めた。


「講義さぼって、学食いこ?」



§§



『幽霊屋敷というぐらいだから、自殺か他殺か、あるいは事故物件だったのではないか……小春くんはそう考えたわけだね?』


 PC画面の向こうで、ホームベースのような顔の形をしたセンセー……水留みずとめ浄一じょういちが、顎を撫でる。

 夜、小春は宣言どおり我が家にやってきて、センセーとの通話を繋いでしまった。

 当の彼女はといえば、今日は一切アルコールに手をつけず、しらふで頷いてみせる。

 普段からオカルトには熱心なやつだが、今日はなにか、意気込みが違った。

 酷く、真剣であるように映った。


十辰じゅうたつとか、顔の広い友達にも手伝ってもらったけど、幽霊屋敷については、そんな話ぜんぜん出てこなかった。ラブホの噂はガセだったし……新聞とかのバックナンバーも、いまのところ当たりなし。けど」


 彼女は、ペロリと上唇を舐める。

 すこし興奮したように、語る。


「近所の踏切で、投身自殺をしたって記事なら――見つかったんだ」


 踏切で、投身自殺?


「うん。十辰がまとめてくれた資料なんだけど……見て」


 小春は勝手に俺のPCを触り、センセーと画像を共有する。

 俺も、横からのぞき見る。


 どうやら週刊誌かなにかの記事を、携帯で撮影したものらしかった。

 あらい画質で映る白黒の踏切には、見覚えがあった。

 大学と幽霊屋敷を結ぶ道の途中にある、開かずの踏切と呼ばれる代物だ。


「記事を要約すると……十二年前の夏、白昼の踏切で投身自殺が起きた。被害者は四十代の女性で、電車が近づく中、周囲の制止を振り切り線路へと飛び込んだ――って書いてあるわけ」


 小春の説明を聞きながら文章を流し読みする。

 いかにもゴシップ的な仰々しい書き方ではあったが、彼女の説明とだいたい合っていた。

 けれど。


「投身自殺って……このひと、亡くなってないみたいじゃないか」


 俺は疑問の声を上げた。


「そう。自殺を図った女性は大怪我を負ったものの、病院に運び込まれて一命を取り留めた。赤ん坊の声が嫌だったとか、彼女に子どもはいたけど小学生で、だから詭弁ではないかとか。だいぶセンセーショナルな書き方してるけど、筆者のプライドってやつ? があってさ、たぶん嘘は書いてないんじゃないかな、この記事。犬に追いかけられたと本人が証言してるってのは、眉唾っぽいけど」


 だったら、なおさらおかしいだろ。


「誰も死んでない。事故の現場は幽霊屋敷でもない。無関係だと考えるべきじゃないのか?」

「そう、そうなの。だから、浄一おじちゃんの意見を聞きたかったんだけど……」


 小春が、画面を見遣った。

 センセーは、腕を組んで考え込んでいるようだった。

 冷蔵庫の駆動音ぐらいしかしない、長い沈黙の末。

 水留浄一センセーは、重い口を開いた。


『現状、断定は出来ない。が、切人くん。上半身の怪には、一つ特徴があるんだ』


 それは?


『それは――噂話をした人間の元へ、やってくるというものだ』

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