鵺のつがい ~その呪詛はどこから感染をはじめたのか~
雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞
第一章 赤い少女はそこにいる
第一話 幽霊屋敷(赤)
十年以上も前、
『おまえに死はない』
そのとき耳にした、呪いとも祝福ともつかない言葉は、いまだ
どんなときも。
――そう、いまだって。
「どう考えても、
目の前に、大きな屋敷が
周囲の近代的なビルディングとは、どこまでも
ネズミ返しのためか、床は奇妙なほど高く。
外観はボロボロにうらぶれており、年季を感じさせる。
まばらに
蛇でもいそうなほど、雑草が
窓にはすべて板が打ち付けられており、中の様子は
いつ倒壊しても不思議ではない、物々しい雰囲気の建物。
それが、目の前に存在する建造物の正体だ。
この屋敷は、地元の人間からも相当に嫌われているらしい。
土地の少ない永崎で、わざわざ隙間をあけるのは確かに不自然だろう。
向かいには一時期ラブホテルもあったのだが、そこでも自殺騒動があって、気がつけば取り壊されてしまっていた。
つまり、
そうして、そんなよくない
大学帰りの俺は、とある事情から踏み入ろうとしていた。
「ポチがね、はいっていっちゃったの……」
屋敷の前を通りかかると、ひとりの男の子が泣いていたのだ。
なんでも、生まれたときから一緒だった大切な犬が、突然うなり声を上げると、この屋敷の中へ飛び込んで行ってしまったという。
見ず知らずの、いましがた出会ったばかりの子どもである。
当然、探してやる義理などない。
けれど泣きじゃくる彼の姿は、神隠しから戻ったばかりの自分を
ゆえに、
「俺が、助けに行ってやるよ」
「本当? お姉ちゃん、怖くないの?」
と、
苦笑するしかない。
たしかに両親は、神隠しから帰った俺を女として育てようとしたし、この顔は中性的なものだけれど。
「お姉ちゃんじゃない。俺は、
だから怖くないのだと、
本当は逃げ出してしまいたいぐらいブルっていたけど、少年を安心させたくて。
「――やめときゃよかったか」
そうしていま、死ぬほど後悔しながら、入り口の扉に手を掛けているわけである。
「いや、いっぺん決めたことだ……いくしかないだろ」
瞬間、かび臭い空気が鼻をついて、盛大にむせた。
腐臭とかではなくてよかったと安心するが、踏み入るなり足を乗せた床板は、ぎしり……と、なんとも頼りない音を立てるので、たちまち落ち着きをなくしてしまった。
中は真っ暗。足下もろくに見えない。
しかたなく、携帯のライトを
「おーい、ポチ。でてこーい」
顔も知らない犬を探しながら、屋敷の中を進む。
屋内は広い。広いが、ある程度
ともかく、片っ端から
廊下には、厚くホコリが積もっていた。
大学でも噂を聞く程度には有名な心霊スポットらしいが、人の侵入した形跡はない。
当然だろう。いまは不法侵入とか、かなり厳しく罰せられる時代だ。
他人事ではないが、どうか今回だけは目をつぶって欲しいと思いながら、ポチの
一歩進むたびにホコリが舞い、ライトに照らされて、チラチラと光る。
奇妙なことがひとつあった。
「……箱?」
手のひらほどの大きさの小箱が、廊下の
なんだか嫌な感じがして、手をつけるのはやめておいた。
どんな小さな犬でも、さすがに箱の中へ潜り込んでいるということはないだろうし。
居間にさしかかると、完璧に床が抜けていた。
外から見たときも感じたが、床下は大人が
ここに潜り込まれていたら、ちょっと探しようがない。
頭を掻いて、とりあえず他の場所を見て回る。
トイレ、台所、寝室。
奥に行けばいくほど
「……ちょっと、懐かしいな」
田舎にある
なにもかもが古びていて、腐っており、おんぼろで。
それから――
「……いやいや」
こんなことを考えている場合ではない。ポチを見つけて、一刻も早く脱出せねば。
ぎしり、ぎしり……と音を立てる廊下を進み、立ち止まっては犬の名前を呼ぶ。
ぴちゃん――と。
遠くで、水の音がした。
なにか、
音がした方へと足を向ければ、そこは風呂場だった。
古風な浴槽は、すっかりカビにまみれていて、元がなんだったか判別もつかない。
そのくせ水気など、どこにもない。
……あの音は、なんだったのだろうか?
首をかしげたとき、激しい犬の鳴き声が聞こえた。
「ポチ?」
まるで、ナニカに
「…………」
俺は、ポケットから〝
神隠しから戻ってきた俺が、いつの間にか手にしていたものである。
同時に、あの日から片時も手放したことがないお守りだ。
恐る恐る、表紙に刻まれた十字を
押されている御朱印は、一見して呪文のようで。
しかしほとんどの頁は、火災にでも
恐ろしい目に遭うたび、頁は短くなっていったからだ。
最初は、百四十四枚あった。
残りは――五枚。
ここに入る前と変わらない。
つまりは、まだなにも起きていないということだ。
「……ふぅ」
深呼吸をして、ぎゅっと御朱印帳を握りしめる。
それから、足早に声がした方へと向かう。
幽霊屋敷の一番奥。
奥座敷に位置する場所。
開きっぱなしになった
室内には、あの小箱が無数にあって、
そこに行くまでの通路はとくに荒れていて、踏み抜かれたのか、床板が折れて天井を向き、
「おまえがポチか……?」
きゃん、と答えるように一鳴きした犬は。
器用に床の無事な部分を
抱き上げて、撫でる。
「よーしよし、よく無事だったな」
帰ろう。あの少年も心配しているぞと、言いかけ。
ぞくり。
背筋が震えた。
視界の
開かれた奥座敷。
床が抜け、天井も大きく崩れた、野ざらしの夜。
草が生え、風に揺れるその真ん中に。
赤い――
赤い少女が、立っていた。
背は低く、子どものようで。
身につけている服はただ赤く、手足は枯れ木のように細い。
ほんの寸前までは、確かに誰もいなかったはずなのに……いったいどこから現れたんだ?
ぴちゃん。
水の音。
それらを切っ掛けにして、記憶の底から
この屋敷で――違う、地元の廃神社で。
俺は、見たのだ。
緋色の、血のように
『〝まさん〟を食べて?』
すぐ耳元で、ナニモノかが
赤い少女が、背後に立っていた。
「うわああああああ!?」
俺はたまらず悲鳴上げ、ポチを抱えたまま、
視線は切っていない。ほんの一瞬物思いに囚われただけ。
なら、いつの間に近寄られた?
そんな疑問は、恐怖の前に無意味だった。
振り返りもせず、俺はただ全力で走って。
逃げて。
けれど、足がもつれ。
よろけて、転んで。
そこには、運悪く
『おまえに死はない』
脳裏で響く、いつかの
ぐしゃりと、生々しい音が響き、犬が沈鬱な声で鳴いた。
俺は。
床板に喉を貫かれ――このとき確実に死んだのだ。
広がる血の海。
また遠くで、水の
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