第二章 日常を蝕む赤
第一話 もうひとりの悪友
「あ、きりたん遅ーい! 第二外国語、
教室に顔を出すなり、小春が文句をつけてきた。
そういえば携帯が鳴りっぱなしだったなとは思ったが、言い返す気力もなく、ぐったりと最後尾の机に突っ伏す。
「どったの?」
「どうもこうも……寝てないんだよ」
「寝坊したから講義さぼったってことか。いやねー、きりたんがどんどん
毎晩飲み歩いているせいで、学生生活課から目をつけられてるおまえにだけは言われたかねーよ。
「あと、あれだ。先輩の腕を折ろうとしたのはやり過ぎ」
「
そんなだから、女友達から合コンの
……とは言わない。
沈黙は金、雄弁は銀だ。俺だって好き好んで痛い目には遭いたくない。
「それから、俺は寝坊したわけじゃない」
だったら、なんで遅刻したのか? という視線に負けて、今朝の
センセーと小春の怪談談義が終わったあとで、俺は泥のように眠るはずだった。
しかし、なんとも部屋の空気が湿っぽくて寝苦しく、
「それでも、真面目で誠実な俺は、講義に顔を出すべく家を出た」
「まじめで、せい、じつ……?」
「うるせー、イメージ戦略だよ」
ともかく、普段どおり家を出た俺を待っていたのは、昨日助けた犬の飼い主と、その両親だった。
通学路で待ち構えていたらしい三人から、
「あとは道路が工事してたり、渋滞だったり、事故があったりで……この時間だよ。〝開かずの踏切〟にも捕まった」
「あっははー、運がないでやんの」
「心底
ああそうですよ! 俺は運がない男ですよ!
「ドンマイドンマイ。今晩手料理、食べに行ってあげるからさ」
「来るな、たかるな。俺だって食費はカツカツなんだよ」
というか、おまえが手料理を振る舞うってのが、こういうときのお約束じゃないんですかねぇ。
などと、
「いやー、切人と小春さんの、なんというのだ?
「誰が夫婦だ」
「そーだそーだ」
「うむ!
ニコニコと
小春や俺とは違い、見た目からしての特待生で、学力も優秀。
なんで落ちこぼれの俺たちに絡んでくるのか不明な男だ。
まったく、友達は選ばないと、大学側からなにを言われても知らないぞ?
「選んでいるとも。
「おい」
「切人が美人なのは本当だろう。小春さんも、そうむくれる必要はない。おなじぐらいチャーミングだ」
「あたしは勝ちたいの!」
プンスコ! と怒りをあらわにする小春。
面倒くさすぎる。
「それで?」
友達を選んでいる優等生の
「うむ……
潔癖の笑顔とともに差し出される右手。
俺はうんざりとしながら、なけなしの五千円札を彼の手に乗せる。
「
「毎度ありだとも!」
顔と態度に比例せず、金にがめつい男。
それが嵯峨根十辰の本性であり、なにを隠そう、魔除けのカーペットを売りつけてきた悪友とは、こいつのことである。
「カーペットで思い出した。あれ、効果ないぞ」
「そんなはずはない。
碓氷?
「知り合いのひとりだ。
「……おまえ、本当に付き合う相手は考えろよ。ミイラ取りがミイラになるぞ」
「
どういうことだよ。
あ、まさか十辰おまえ。
また俺を売ったんじゃないだろうな!?
「はっはっは! 切人はユニークな物言いをするな。だが……うむ、あれにはこりた。いくらお金様のためとはいえ、おまえさんを訳ありのバイトに
一回生の頃の話である。
知り合ったばかりの俺に、十辰は
学部の先輩のピンチヒッターという名目だったが、実際は〝出る〟とされていたビルの
ちょうど金に困っていた俺は、いちにもなくこれを引き受けてしまった。
働いている間は、別段なにも起こらなかったのだが――のちに確認したところ御朱印帳のページが一枚減っていたので、つまりはそういうことだ――問題は、俺が
復帰した先輩が、〝見て〟しまったというのだ。
黒い犬のような怪物が襲いかかってきた。
蛇に
猿に噛みつかれた。
取り憑かれた、自分はもう終わりだと
「そこまでは……まあ、よかった」
だが、なにをとち狂ったのか先輩は俺を逆恨みし、小春へと手を出そうとして。
「そいで、腕を折られかけたわけだ」
「あのときは自分も
で?
その一円の得にもならないはずの俺が、どうして目をつけられてるんだよ?
「うむ。それは――」
彼がなにかを言いかけたとき、アラームが鳴った。
十辰は「失敬」と断りを入れながら携帯を取り出し、アラームを止める。
それから、ポケットを探って薬入れを取りだした。
「時間だからな」
薬入れから、ひとつまみほどの白っぽい
「持病の薬だったか?」
「ああ、
「別に」
彼は日に三度、こうやって薬を服用している。
だから、いまさら見慣れて、言うべきことなどないのだ。
「ゴホン! では、話を戻そう。切人。おまえさん、先日〝
「……耳が早すぎるだろ。なんか学外にネットワークでも持ってるのか、おまえ?」
「で、入ったのか、入らなかったのか」
そりゃあ、入ったけれど……
「それだ」
彼は、わずかに
「あの場所は、
狗鳴トンネルね。
いくら怖い話から距離を置いてきたとはいえ、俺だってそのぐらいは知ってる。
あれだろう?
「
ご
一瞬こづいてやろうかとも思うが、彼なりの忠告だと思いとどまる。
一円の得にもならないと言いつつ、こうやって助言をくれるのが、十辰と腐れ縁を続けている理由のひとつだ。
優等生でありながら、あまり真面目でない人間とも関わりを持つこの男を、
なんとなく、その一端が
「しかし、なんともない顔ねぇ……俺は、ビビり散らかして逃げたんだがなぁ」
服なんて血だらけだったし。
「そう
「そういうの知ってるー。
誇らしい友人だとトチ狂ったことを言い出す十辰と、大真面目に噂の
どしがたい悪友たちに囲まれながら。
俺は、現実逃避を決め込むため、改めて机に突っ伏したのだった。
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