第六話 幽霊屋敷に入らなかった者たち

「先輩が帰ってこない?」


 お冷やを持ち上げた手を止めて、怪訝けげんな声を出してしまった。

 半ば強制的に連行された学食で、俺は彼らに取り囲まれるようにして話を聞いていた。

 一様に沈鬱ちんうつ面持おももちのマッチョマン。

 その中でおもむろに口を開いたのは、半田はんだと名乗る二回生だった。


「あの幽霊屋敷に、僕らと先輩――楠木くすのきさんは、数日前出かけたんっす」

「物好きとしか言い様がないが、一応聞く。理由は?」

「……先輩は、自分たちによくしてくれていて」


 そんなことは聞いていない。

 なんであんな場所にわざわざ立ち入ったのかと訊ねている。


「以前から、強くて胆力たんりょくのある男が好みだと先輩はことあるごとに話していて。なにより、その……び、美人なので……」


 半田は、見かけによらない繊細せんさいで、それでいて支離滅裂しりめつれつな言葉を吐き出した。

 ……なるほど、その先輩とやらは女性か。

 つまり、いいところを見せたくて誘いに乗ったと?


「……もっと他の言い方はありませんか?」


 眉をハの字にする半田の態度が、俺の憶測おくそくを裏打ちしていた。

 しかし、


『暇を持て余した学生が手を出すモノなど、酒と恋愛とオカルトに決まっている』


 ――なんて、十辰あくゆうがむかし揶揄やゆしていたが、まさにという感じだな。

 問題は、それと俺を拉致らちることに、なんの関係があるかだ。


「楠木先輩は、菱河さんのことを褒めてて。堂々とホラースポットを踏破とうはした猛者もさと……ほかの心霊スポットもよく回ってるって……」

「はぁ?」


 思わず、苛立いらだちのにじんだ声を出してしまう。

 冗談ではない。

 まず、その楠木某と俺は面識がないし、心霊スポットの常連でもない。

 おまけに堂々とって……いつもおっかなびっくり、仕方なくだよ!


「つーか、だったらなおのこと、俺に相談するのはおかしいだろ」

「楠木先輩のご友人方が、学内で噂を広めていて……奇妙な出来事なら、菱河さんが適任だって。嵯峨根さんも、太鼓判たいこばんを押していると聞いたので……」



 どんだけ広まってるんだ、俺の偽武勇伝……てか、十辰。あいつか元凶は。

 たしかに、顔の広い優等生がお墨付きを与えてたら、後輩は信じちゃうよな。

 くそ、お礼なんて考えていた自分が憎らしい。

 マジであまのじゃくかよ。


「……で? その先輩が帰ってこないってのは……文字通りなのか?」


 しばらく頭を抱えたあと、我慢しきれなくなったため息とともに訊ねると。

 半田は、こくりと頷き。


「あの日、自分らは先輩について行けなかったんすよ」


 事情を、語りはじめた。



§§



「幽霊屋敷なんて虚仮威こけおどしもいいところだって、最初は思ってたんす。僕ら、見ての通り身体鍛えてて……え? べつに運動系のサークルとかは入ってないっすけど……楠木先輩は、なよっとした男が嫌いで……だから、幽霊とか投げ飛ばしてやりますよって、笑ってたんす。でも――あの屋敷の前まで行ったら、なにも言えなくなっちゃいました」


 それほど幽霊屋敷には、ただならない雰囲気が充満していたのだという。


「ブルっちまった僕たちを見て、先輩はニヤァって笑ったんす。それで、怖いのかとか、ここまで来て情けないとか散々いじってきて……それでも、僕らは動けなくて。見下げ果てたような顔をしたあと、先輩はひとりで中に入っていったんす」


 後を追いかけようと思ったものもいた。

 不甲斐ふがいないと思うものもいた。

 けれど、ついぞ心は奮い立たなかったらしい。それほどまでに、夜の廃墟は恐ろしかったのだ。

 どうするか迷っている間に、随分と時間が過ぎてしまった。


「風がうるさいぐらい吹いてて、それにまぎれて赤ん坊の泣き声みたいな、呪文みたいなのが聞こえて……ときどきバキって、枝を踏み折るような音までして、メッチャ怖くて」


 それでも、先輩をひとり行かせたのには、負い目があったのだとか。


「やっぱ危ないですし……相当古びた家だったので、床とか腐ってるかも知れないから、僕たちは話し合って、覚悟を決めて」


 それで、いっせーので屋敷に突入しようとしたとき、大きな悲鳴が聞こえたのだという。


「先輩の声でした。一瞬、風の音かと思ったんすけど、もっと金切り声って感じで……なんで、すぐ入り口を開けたんすよ。そしたら、もの凄い形相の先輩が飛び出してきて、言ったんす――鏡があった、って」


 鏡?


「そうっす。で、とにかくその場を離れようって事で、僕たちは逃げ出したんすけど……」


 そのまま、先輩との連絡が付かなくなったと?


「はい……それで、どうしていいかわかんなくて困ってたら、楠木先輩の知り合いって方から昨日電話があって――ウンサイとか、胡散臭うさんくさいとか名乗ってました――で、土岐洲町の幽霊屋敷なら、嵯峨根さんに相談しろって。嵯峨根さんは、菱河さんが専門だって」


 なるほど。

 到底飲み込めないが、事情はわかった。

 たらい回しにしやがった十辰は、あとでとっちめる。

 しかし――


「ねぇ、菱河さん。僕たち、どうしたらいいんすかね? 先輩、無事っすかね……? ほんと、あのとき一緒に行っていたら――」


 彼らは一様にうつむき、中には涙ぐんでいるものまでいた。

 いささかオーバーだとは思うが、それでも気になる。

 ひとがいなくなるってのは、大ごとだ。


 聞いてしまった手前、放置しておくってのが、俺の性分しょうぶんとして出来そうにもない。

 結局、今日何度目になるかも知れないため息を俺は吐き出して。


「なんとかしてください、菱河さん」


 半田たちのおがみ倒しに、曖昧あいまい首肯しゅこうを返してしまったのだった。

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