第五話 嵯峨根十辰は叫び
「
それは、突然の提案だった。
海藤さんの口から出た
それを断ち切るようにして、彼が放った言葉だった。
しかし行くと言っても、俺は十辰の家をしらない。
いまさらになって気がつく。
あれだけ親しくしていたのに、彼は一度も、俺を実家へと招いてくれたことはなかった。
その事実に一抹の寂しさを覚えつつ、隣の幼馴染みを見る。
「小春は、あいつの家、知ってるか?」
「ううん。でも、
「わたしが解りますよ。どうします? 行きますか?」
海藤さんの提案に、俺は言葉に詰まり。
しかし、最終的には頷いた。
これからどうなるにせよ、彼の住まいがどんなところか――俺たちの知らない彼がどんな人間か、知りたかったのだ。
そうして。
やってきた先にあったのは、
あちこちに隙間があって、北風が吹くたびに家屋が軋み、窓がガタガタと揺れる。
異様だったのは家屋の全体にアルミホイルや銅線と思わしきものが、これでもかと貼り付けられていたことだ。
他にも、ぐしゃぐしゃと落書きのような黒一色で塗りつぶされた画用紙、新聞紙の切り抜き、お札のようなものが、壁一面を埋め尽くしている。
あまりのことに
センセーと同じ、知的探究心の塊が血管に流れている彼女は、大股で家屋へと歩み寄ると、いきなりドアを叩いた。
「すみませーん。だれかいますかー!」
「おい、小春」
「こんなの、悩んでたって仕方ない。正面突破あるのみよ。すみませーん!」
激しくノックを続ける彼女は、続いてアルミホイルの隙間から内部をのぞき込もうとした。
けれどすぐに、「わっ!?」と声を上げて尻餅をつく。
「どうしたんだい、小春ちゃん」
「な、なかで、人が……救急車とか、呼んでも無駄そうだけど……」
彼女の言葉を受けて、センセーと海藤さんも室内を覗き見る。
そうして同じように、うっと喉を詰まらせた。
どうやら、よほど酷い状態らしい。
「――――」
俺は一つ決意をして。ドアに、手をかけた。
案の定、扉はカラカラと音を立て、簡単に開いた。
他の三人が身構える中、俺は
軋む床板を踏み越え、丸めて放置された紙くずと、等間隔で置かれた小箱には目もくれず、奥へ進む。
そこで、ひとりの女性が亡くなっていた。
嵯峨根
十辰の母親。
……本当にそうかは解らない。
なぜなら――彼女は頭部だけで、そこすらミイラと化していたからだ。
いったいなにがあれば、こんなにも恐ろしい形相になるのか解らない。
落ちくぼんだ
首から下は、どこに行ったのだろうかと室内を見渡す。
部屋の隅に組まれた祭壇の上に、直視したくないものが置かれていた。
布や皮に穴を開けたり
無理矢理に深呼吸。
室内に漂う悪臭――死臭で気持ち悪くなるが、強引に
……うすうすそんな気はしていたんだ。
「きりたん、これ……」
「ああ」
後に続いて入ってきたらしい小春が、祭壇の上の骨を指差して、顔面を蒼白にさせた。
俺は首肯し、あえて言葉を選ばず、告げた。
「十辰が食べていた薬は、骨だ」
それも、母親のものだけではない。
大きな骨の横には。
小さな、指先ほどしかない骨もまた、転がっていたからだ。
『かわいいさ、かわいいとも。食べてしまいたいぐらいかわいいよ』
かつて親友が口にした言葉が、脳裏で甦る。
俺はもう一度深呼吸をして、重苦しいその言葉を吐き出した。
「あいつは――母と妹の骨を、食っていたんだ」
§§
なんのために十辰がこんな冒涜的行為に走ったかは解らない。
けれど、犬辺野家が絡んでいるのは、間違いなかっただろう。
警察への通報などをセンセーたちに任せた俺は、掘っ立て小屋の外に出て新しい空気を吸っていた。
肺臓の奥から、腐臭とともに、重たいため息が切りもなくこぼれ落ちる。
友人の暗部、知ってはならない部分に触れてしまった背徳感が、心身を消耗させていた。
いや……いつまで落ち込んでいるつもりだ。
覚悟していたはずだろう。
だって、俺は――?
視界の隅で、なにかがちらついた。
なんとなくそちらへ目を向けると、見知った後ろ姿が路地の向こうへと消えていくところだった。
一瞬、ぼうっとして。
すぐにかぶりを振り、走り出す。
走る。
路地へ飛び込む。
曲がり角へ入っていく人影。
追う。
息を切らしながら走る。
センセーたちに一言声をかけてくるべきだったとか、そんな事を考えているゆとりはなかった。
冬の
それでも走って。
走って――
「うむ! 必ず追いかけてくると信じていたぞ、切人」
建築途中のビルディングの前で、その男は足を止めた。
刈り上げた清潔感のある髪の毛に、白いジャケット。
快活な様子の彼は、こちらへと
嵯峨根十辰。
悪友が、俺を待っていた。
「話すべき事が、自分には幾つかある」
「奇遇だな。俺も、話したいことがあった」
「……自分には、
「…………」
確かに俺は、〝鵺〟と出会った。
鵺は、赤い少女の姿をしていた。
年の頃ならば、十二歳ぐらいの幼女だ。
同時に、今しがた彼の家で目撃したことを思い出しもする。
薬の原料にされた、小さな骨。
海藤さんが教えてくれた、死産した赤ん坊のこと。
嵯峨根珠々は、この世に産まれてもいない。
「それでもだ。自分は、珠々を守らなくてはならない。あの子の〝つがい〟を探さなければならない。彼女のためならば、自分は鬼にだってなろう」
「……その子が、死んでいてもか?」
「死を覆すために、人知と死力を尽くすだけだ――だからこそ、自分はおまえさんが
俺が?
「そうだ。おまえさんは、本当に大切なものを死から救っている。神隠しに遭ったと言ったのはおまえだ、切人」
彼は、苦渋に顔を歪ませながら、言葉を続ける。
話したくもないといった様子で、触れたくもない傷口に指を這わせるようにして。
「自分は、神隠しに会う機会がなかった。〝神〟と出逢うことなどなかった。だから母は死に、珠々も死んだ。それでも、珠々はこの世に産まれ堕ちようとしている。兄ならば――それを助けるのは当然のことだろう!」
「なに言ってるか、ぜんぜん解らねぇぞ十辰」
「この身を差し出すことが、自分には許されなかった。命がけの願いなど、
解らない。
彼が
ただ、血を吐くような苦しさだけが伝わってくる。
「選ばれず門となり死した子らの
普段の彼からは感じられない気迫に、俺の足がジリッと後ろに一歩下がる。
ポケットが熱い。
手を伸ばせば、御朱印帳が熱を帯びていた。
これは……。
「珠々は
「……そもそも、どうやって珠々ちゃんを生き返らせるつもりだ? 死んだ人間は、死んだままなんだぞ」
「不死身が
「――っ」
彼の言葉に、愕然となる。
知っていたのか、俺が不死であることを、この男は。
だとしたら、さっきまでの言葉は。
それは。
「切人、おまえは〝きりんと〟ではない、思い上がるなよ、反キリ番目。封印を解こうとするおまえの、その度し難い罪を贖う方法は、珠々に
「つがいってなんなんだよ! おまえは、俺になにを望んで――」
「……自分のおまえに言いたいことは終わりだ。残念だ、おまえと小春さんの
律儀に。
そこだけは、前となんら変わることなく言い切って。
彼はこちらへと背を向けた。
そのまま、歩き去ろうとする。
「待っ――!?」
追いすがろうとした俺に、十辰は上空を指差した。
弾かれたように見上げたときには、もう遅かった。
工事中のビルから、鉄骨が、無数の建材が落下してきて。
――そして俺を、押し潰した。
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