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三十年前、美咲が保育園の通い出した年。
第二新光集落は開発後まだ間もなく、売り出しが開始しても買い手が付いていない土地もいくつかあり、集落としては若く完成途上の状態だった。
敏子は恵子とは学生時代からの知り合いで、恵子が先に結婚してからは少し疎遠になったものの、敏子が結婚して専業主婦になってからは、再びよく会うようになった。最初は両家族とも市役所から三キロほど離れた借家に住んでいたが、新しく売りに出された第二新光集落に一緒に土地を買って近所に住もう、そう持ち掛けたのは敏子のほうだった。
その年の三月末、くじ引きで、翌年度の自治会役員の書記に敏子が選ばれた。そして、四班班長には恵子の家が選ばれた。
当時は、男が働きに出て女が家を守る核家族の家庭が多く、必然的に自治会の役員を引き受けて実際にその役目を果たすのは、専業主婦の女性ばかりになっていた。そして、役員班長会議は、子供が学校や保育園に行っているあいだの平日昼過ぎや夕方に開催されることが多かった。
役員も班長も、三十代から四十代の主婦の女が務めるなか、唯一の例外が恵子の配偶者の金田幸助だった。幸助は繁華街の夜の店の店員として、夕方からの勤務だったため、恵子ではなく幸助が班長の役を引き受けていた。
幸助は当時の言葉でいう、いわゆる伊達男で、金田恵子と結婚後もあちこちで女遊びを繰り返していた。
そんな幸助が、女ばかりがいる自治会の役員班長会議に出て、悪さをしないわけがなかった。
最初に毒牙に掛かったのは、副会長の窪園光江だった。四月から新年度の自治会が始まったが、五月にはすでに幸助と光江は関係を開始していたらしい。自治会の役員班長のなかでも、二人を疑っているものは少なくなかった。
間もなく、ふたりの不倫が一部に露呈することとなり、関係は解消された。光江の配偶者と金田幸助が、どのように話を付けたのかはわからない。光江の配偶者が不問に付したか、そもそも気付いていなかったのかもしれない。
幸助が次のターゲットとしたのが、自治会書記の敏子だった。
六月中旬、蒸し暑い雨の日の昼間、美咲を保育園に送り出して数時間したころに、敏子の家にいきなり傘を差した幸助が現れた。「回覧板のことで、ちょっと聞きたいことがある」ということだった。敏子は真新しい家のリビングに幸助を招き入れた。
そして、氷の入った麦茶を出した。
当時の回覧板は、書記である敏子の手書きの文書を、公民館のコピー機でコピーを取ってバインダーに挟むという形になっていた。
やってきた幸助は、その月の定期回覧板を持ってやってきて、市内の商店街組合が主催する花火大会への募金募集の方法について、敏子に質問した。
話が終わり、軽く雑談していると、幸助が急に敏子に襲い掛かってきた。その瞬間、敏子は幸助が最初から性的な目的でこの家を訪問してきたことを悟ったが、すでに遅かった。敏子は幸助に首を絞められ、性行為を強制された。
その日、夕方に保育園のバスに乗って美咲が帰ってくるまで、敏子は放心状態で過ごした。金田幸助が去る際に、「誰にも言うんじゃねえぞ」みたいなことを言った記憶だけはあった。
敏子は、幸助に犯されたことを、誰にも告げられなかった。幸助の配偶者で、旧知の間柄である恵子には、美咲より五歳年上と四歳年上のふたりの子供がいる。被害を受けたことを告発すれば、幸助の家庭は一気に崩壊するだろう。警察沙汰にもなる。
そうなれば、もちろん近所の知るところになるだろう。
配偶者である古瀬光俊にも相談できなかった。もしこれが原因となって、光俊との関係がギクシャクし始めたら、どうすればよいのか。建てて間もない家のローンは、まだ三十年以上残っている。
敏子は自分の受けた被害を、悪い夢を見たものと思って、やり過ごすことにした。
しかし、幸助は敏子が黙過したことを別の意味に捉えたのか、その日以降、美咲が保育園に行っている昼間に、不定期的に敏子の家を訪れるようになり、強引に性行為を求めるようになった。
そういうことが、三度、四度と重っていくうちに、不思議なもので、なぜか敏子は幸助に好意を持つようになった。配偶者である誠実で穏和な古瀬光俊にはない魅力を、幸助に感じた。
そして、美咲の夏休みが終わって、九月になるころには、敏子から幸助を誘うほどに積極的になっていた。週に二度くらいの頻度で、人目の少ないところで落ち合い、郊外にあるラブホテルに行く。そんなふうに密会を繰り返した。
当然のことながら、間もなく二人が不倫しているということは露見することになる。複数人の共通の知人に知られ、そのうちの誰かが恵子に密告したようだった。もちろん、光俊にも通知された。
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