第三話

14

 十月に入って二回目の日曜日の昼、美咲は徒歩で雄一郎宅に向かった。外は少し涼しくなり、どこの家の庭木も徐々に秋っぽく色付きつつある。

 雄一郎の住む家は、瓦葺の和風な一戸建てで、築年数は美咲の家とほぼ同じだろう。車庫は縦に二台停められるようになっているが、雄一郎の軽自動車しかない。

 インターホンを鳴らすと、「はい」という声がスピーカーから聞こえてきた。

「美咲です」と言うと、

「おう、開いてるから入ってきてえ」と雄一郎が言った。

 二足分のゴム製サンダルが無造作に転がっている三和土たたきでスニーカーを脱ぎ、お邪魔します、と言って上がった。

 この家に来るのは、もう二十年ぶりくらいになるのだろうか。子供のころに何度も来たことはあるのだが、中学生になったころからはすっかり絶えた。高校生になり付き合うようになっても、ふたりで会うのは母子家庭で母が仕事でいない美咲の家ばかりで、ここに来ることは全くなかった。

「いらっしゃい。こっち」雄一郎が言った。

 リビングに入ると、向こう側の台所でエプロン姿の雄一郎が柳葉包丁を持って料理をしている。

「そこ、座って。今日はオトンもオカンも出掛けて夕方まで帰って来んけん」振り向いて雄一郎は木製のダイニングテーブルを指さした。

 美咲は言われたとおりに、椅子を引いて座る。

「うん、ごちそうになります」

「もうすぐできる。あと十分くらい」

 ガスコンロの火に掛けられた鍋の蓋が、水蒸気を吐き出しながらカタカタと音を立てている。

 SNSのメッセージで、一回うちに料理食べに来んか、と雄一郎に誘われたのは三日前のことだった。料理人としての腕が鈍らないよう、月に一度か二度は本気で料理をするらしい。

 テーブルに座って待っていると、

「とりあえず、これ」

 刺身が乗っている陶器製の皿と、割り箸を出してきた。

 大根のツマの上の刺身は鯛のようだが、皮が付いたままになっている。

「松皮づくりっていうんじゃ。鯛の本当のうまみは、皮ごと食べんとわからん」

 取り皿の濃い醤油にその刺身を箸で一切れつまんで漬け、口の中に入れる。臭みはまったくなく、ふつうの刺身より鯛独特のコクが強い。

「おいしい」と美咲は言った。

 次に雄一郎は蓋をした椀を出す。蓋を開けると、お吸い物のようだが実が何も入っておらず、白ごまが浮いているだけだった。

 何かの間違いだろうか、そう思って、

「ゆうちゃん、このお吸い物、何にも入ってないよ」と言った。

「まあええから、一口飲んでみい」

 言われるままに啜ると、薄味の汁のなかに旨味がしっかり詰まっている。

「なにこれ、おいしい」

「鯛の中骨をしっかり火であぶって、それを利尻と一緒に出汁を取るんじゃ。ほいで、日本酒と塩と醤油で味を付ける。ほかの魚とか鶏肉なんかを煮たら、味が濁ってしまうけん、この出汁はそのまんま飲むんがいちばんええんじゃ」

「へえ、さすが高級料亭で修行しただけあるね。ちょっとだけ鼻にツンと来るけど、何か香辛料入れてるの?」

「気づいた? ちょっとだけ山椒の粉を入れとる。本当は企業秘密じゃけど」

 次は、陶器の茶碗にアルミホイルで蓋をしてあるものが出て来た。雄一郎は美咲の目の前でアルミホイルを外す。それは茶碗蒸しで、固まった玉子の表面に緑のミツバが浮かんでいる。

 木製の匙で掬うと、小ぶりな牡蠣が出てきた。

「牡蠣がうまくなるんは本格的に寒くなってからじゃけど。あんま豪華な食材も用意できんし」雄一郎は言い訳のように言う。

「おいしいよ、本当においしい」美咲はお世辞抜きで言った。

 豪華な和食のメニューに似合わず、なぜか次は油揚げと小松菜の煮物が出てきた。美咲は別に油揚げも小松菜も嫌いではないが、なぜ雄一郎はこんな家庭料理を混ぜてくるのだろう。

 そう思いながら箸でつまんで口に入れると、油揚げが吸い込んでいた濃厚な出汁で口のなかが満たされる。

「なんでこんなふつうの料理が、こんなになるの?」美咲は感嘆する。

「まあ、それがプロの腕っちゅうもんじゃ。高い食材さえ使えば、そらうまいもんはできるけど、やっぱりふつうのもんをうまく仕上げてこそじゃ」

 最後は、サーモンを薄く切ったものと、すだちで味付けした白髪ねぎと海苔が乗ったお茶漬け。さっぱりしたなかに香ばしさがあって、するすると喉を通っていく。

「ごちそうさまでした」

 茶碗を置くと、雄一郎は熱い緑茶を入れてくれた。

「ゆうちゃんはお昼は先に食べたの?」

「俺には鯛のお頭があるんじゃ。しっかり煮込んで、後で食べる」

 雄一郎もダイニングテーブルに着席して、湯飲みでお茶を飲む。

「さすがプロだね。おいしかった。こんだけ料理できたら、もうお母さんの立つ瀬がないんじゃない?」

「それが、うちのオカンは俺が料理したらダメ出ししてきよるんじゃ。この味付けはおかしいとか、包丁の使い方が下手とか、化学調味料は使ったらいかんとか。まあこだわりがあるんじゃろう。みっちゃんは、料理はせんの?」

「ぜんぜん、ダメ。今はお母さんがやってくれてるけど、あっちにいるときはほとんど外食かコンビニかインスタントだった」

「不健康なことじゃ。人間、四十になったらそれまでやってきた不摂生のツケが一気に来るらしいけん、今から気を付けにゃ」

「わかりました、気を付けます」

 美咲は小さく頭を下げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る