32
五島宅のインターホンが鳴った。五島が玄関に行き、衛生担当役員の玉木とともにリビングに戻ってきた。
東は先ほど美咲が聞いた話と同じ内容を、玉木にも話した。
聞き終わって玉木は、嫌悪感を隠さない表情を見せた。
「で、どうしましょう? 今さらお金返すのを止めるとも言えんでしょう」佐藤が言った。
五島が、
「東さんは、こんなことになったんは自分の責任じゃから、足らんぶんは全部自分が負担するって言いよるんじゃが、それは違うじゃろうと。何かええ知恵がないかと、来てもろうたんですが」と言った。
手元にあるお金は三十三万円、請求された金額は五十五万円。その差額は二十二万円。決して安い金額ではない。つつましく生活している人間にとっては、大金と言ってもいい。
「集まった三十三万円を、請求してきた人数……、二十六人でしたっけ? で割って、全員に同じ額を返すっていうのはどうですか? 事情を説明して」美咲が言った。
そんなことではどうにもならないだろうと思いつつも、ほかには良い解決方法は何も思い浮かばない。
「来年度ぶんの自治会費を値上げして、それで賄うという方法もあるのでは……」玉木が言った。
それを聞いて、先日の会議で「百円でも自治会費を上げてほしくない」と訴えた三田の姿を思い出す。
自治会役員、あるいは役員と班長で分担するという方法もあるかもしれないと思うが、意思決定は参加する人間が多くなればなるほど調整が難しくなる。役員八名のうち、あるいは班長と合わせて十五人のうち、必ず「なぜそんなお金をうちが負担しなければならないんだ」と言い出す人間が出てくるだろう。
「やっぱり、私が全部負担します。私が言い出したことですし……」東が言った。
それを聞いた五島が、東の肩に手を当てて、
「いや、それはいかん。自治会長の私にも責任がある。ほんなら私に半分持たせてください」
「そんな、申し訳ない」
ふたりがしばらくそんなやり取りをしていたが、その様子を見ていた佐藤が、
「警察に相談してみたらどうじゃろか。だましてお金を多く取ろうとしとる人間が確実におるんじゃけん、詐欺で間違いないでしょう」
第二新光集落内で、このところ警察沙汰が続いている。最初の殺人、大山田家の放火、そして大山田の殺人。今回の返還金の詐欺……。
「水上さんに相談してみようか」いきなり警察署に通報することが憚れるのか、五島がそんなことを言った。
水上はすでに引っ越して行った。官舎というのがどこにあるのかは知らないが、市内に住んでいることはほぼ間違いない。
五島が畳の上においていた二つ折りタイプの携帯電話を操作して、電話を掛けた。
「もしもし、水上さんですか。五島です。お世話になっております。ちょっと相談したいことがあるんですが、今よろしいでしょうか」
「かまいませんが、なんですか?」部屋のなかが静かなため、五島の耳に当てた電話のスピーカーから水上の声が漏れて聞こえてくる。
五島は義捐金集めと、その後のことを水上に説明した。
「……ということで、こういう場合、警察に通報して、なんとかなるんもんかどうか、教えていただこうと思って」
「難しいんじゃないでしょうかねえ」水上が答える。
「難しいですか? 犯罪が起こっとることは間違いないと思うんですが」
「と言っても、最初の封筒にいくらの金額が入ってたのかすらわからないんじゃ、捜査のやりようもないでしょう。証拠がなければ、どうにもなりませんよ」
「証拠がないと、警察には動いてもらえんのでしょうか」
少し間があってから、
「当たり前だろ!」水上が怒鳴る声が、はっきりと聞こえてきた。
五島が身体をのけぞらせた。
「あのね、あんたたち。根本的に勘違いしてるようだけど、警察ってのは市民の使いっ走りじゃないんだよ。わかる?」丁寧語だった口調が、ぞんざいな言葉遣いに変わった。
水上は続ける。
「警察っていうのは、犯罪があったら捜査をして被疑者を検挙して、証拠を揃えて身柄と一緒に送検するのが仕事なんだよ。証拠が得られる見込みがないのに、捜査をして逮捕なんかしたら、大問題になる。そんなこともわからないのか。住人どうしのトラブルは住人どうしで解決してくださいよ。そもそも私はもうそっちの住人でもなければ、刑事でも駐在でもない、単なる白バイ乗りなんだよ。もう面倒ごとは二度とこっちに振ってくるなよ。もしこれ以上ゴタゴタ言ってきやがったら、お前ら五キロの速度超過でも切符を切ってやるからな。覚悟しとけよ」
電話は切れたようだった。
部屋のなかが一気に静まる。誰もが困った、というより大人に叱られた子供のような顔になっている。
近隣住民に税金泥棒よばわりされ、子供が学校でいじめられた水上にとっては、この集落の人間は敵という認識になったのだろう。水上の怒りには正当な理由がある。
五島がなぜか小さく頭を下げて、
「やはり、私と東さんで負担しましょう。この件は内々で処理したいと思いますので、皆さん、これ以上のトラブルを招かないよう、内緒にしていただくよう願います」と言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます