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 美咲の家の前に到着したのは、午前十一時を過ぎたところだった。

「ありがとう。ごめんね」と言って、雄一郎をねぎらう。

「いや、こっちこそ、なんかすまん」シートベルトを締めたまま、雄一郎が頭を下げた。

 そして軽自動車を発進させて去って行った。

 あらぬ疑いを美咲に掛けたということを、雄一郎はいかように母である窪園光江に問い詰めるのだろうか。そして、光江はいったい何を知っているのだろうか。何をやろうとしているのだろうか。何を隠しているのだろうか。

 門扉を通って家に入ろうと足を三歩進めたとき、遠くで何か騒ぎ声のようなものが発生しているのが聞こえてきた。ひとりふたりの声ではなく、集団のようで、その中には拡声器でがなり立てるようなものも混ざっている。

 選挙カーの雑音ようにも聞こえるが、国会はもちろん首長も地方議会も選挙はやっていない。

 門扉を出て声のするほうに歩いて行くと、だんだん何を言っているか聞こえてくるようになった。「出ていけ!」というシュプレヒコールのようなものが聞こえる。狭い道路の交差点の向こうで、それが行われているようだ。

 角を曲がると、一戸建ての敷地に入る門の前に二十人近くの人だかりができている。顔は見たことのある、集落のなかの人間に違いない七十代の男が手に拡声器を持って、「出ていけ!」と叫び、ほかの連中がそれに、「出ていけ!」と続く。

 玄関のドアには、「出ていけ、近隣住民より」とマジックで書かれた紙がたくさん貼り付けられていた。

 美咲は近寄って、いちばん後ろにいた五十代の女に、

「いったい、何があったんですか?」と尋ねた。

「ここの人、カルトなんよ」女は答えた。

 この家の表札には、「高崎」と書かれてある。

「あ……」思わず美咲は絶句した。

 少し前に、二班班長の高崎達子が、信仰する宗教のイタコ芸を根拠に回覧板の文書を回してほしいと無茶苦茶な要求をしていたことを思い出す。

 女は、おぞましい表情をしたまま、話を続けた。

「私たちも知らなかったんじゃけどね、高崎とこの夫婦、変な宗教団体の信者らしくてね。大山田さんが殺されたあたりから、ご近所に『一緒に被害者をご供養しましょう』とか言うて回っとったんよ。なんか知らんけど、気持ちの悪い男が降霊術をしよるみたいな、わけのわからん動画を見せてきてね」

 その動画は、美咲も見せられたものとおそらく同じものだろう。高崎の言う「ご供養」というのが何かはわからないが、あの後、高崎は近所にあの動画を見せて回って、自分の信じる宗教の教義を広めようとでもしたのだろうか。

 高崎はこれ以上集落で不幸が続かないように、という動機で動いたのだろうが、それが人に与える影響までは想像できなかったらしい。

「本当に、気持ちが悪い。近所にあんなんが住んどったことなんか、ぜんぜん知らんかった。あんなカルトをほったらかしにしとったら、きっととんでもないことをやらかすに違いない。じゃけん、班のみんなで相談して、一致団結して高崎を追い出すことにしたんよ。……ひょっとしたら最初の公園の殺人も、あいつがやったんじゃなかろうか。そうに違いない」

 出ていけ、出ていけというシュプレヒコールが続く。

「そんな……、何か証拠なり、法的根拠でもあるんですか?」

 あまりの剣幕に、美咲はそう言わずにはいられなかった。たしかに美咲も、意味のわからないイタコ芸を信じる高崎を気持ち悪いと思った。しかし、気持ち悪いことを理由に強制的に退去を迫っていいはずがない。高崎夫妻は、当然の権利としてこの家に住み続けることができるはずだ。

 気持ちの悪い相手に対しては、具体的な不法行為がない限り、気持ち悪がる以外のことはしてはならない。

「証拠なんか、いるかい。気持ちの悪いカルトのくせに、今まで涼しい顔してここで生活しとったことが、腹立たしい。さっさと追い出さにゃ、こっちが何されたもんやらわからん。これが正義じゃ」

 女はそう言って、出ていけ出ていけ、と叫び声を繰り返し発した。その表情は、まるで狂人のようだった。

 良くない何かが、流行病のように集落全体に蔓延している。

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