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 十月初旬の平日のある日、金田幸助宅に於いて、金田幸助・恵子と古瀬光俊・敏子が顔を合わせて、この問題をどう決着するかという話し合いが為されることになった。不倫されたのは光俊と恵子であり、不倫したのは幸助と敏子。その日、光俊は会社を休んだ。敏子は死刑執行されるような気分で、幸助宅へ向かった。

 話し合いは最初は、怒りと失望と後悔に包まれながらも、表面的には穏やかな雰囲気で進められた。

 しかし、幸助と敏子が関係を持つに至って経緯を光俊が知ると、光俊は激昂し、声を荒げて幸助を批難した。やがて両者立ち上がって、取っ組み合いになる。

 幸助が、襟元をつかんでいる光俊を離そうとし、後頭部から首を腕で抱えるような姿勢となった。

 恵子と敏子がふたりを引き離そうと、間に入っているうちに、誰かの足が幸助の足に絡まって、幸助はその姿勢のまま畳の上に倒れた。

 畳に身体を叩きつけられた光俊が、何かうめき声を発した。幸助が首に掛けていた腕を離すと、光俊は身体を細かく痙攣させて、目を見開いたまま動かなくなった。

 光俊の頭部はあらぬ方向を向いており、頚椎が折れているのは明かだった。そして、すでに絶命していることも。

 それからどれくらい時間が経ったのはわからない、一瞬だったような気もするし、永遠のように長かったようにも思う。ひとしきり悲鳴を上げ、ようやく少しだけ思考の戻った敏子は、死体となった光俊を前にただ呆然としている幸助と、ただ震えているだけの恵子の姿を見た。

 このままでは、生きていけなくなる。

 敏子は、まずそう思った。光俊を殺したのは、幸助ということになるのだろう。しかし、どのような事情であれ、不倫したあげくに旦那を死なせてしまったとなれば、犯罪者となることは免れても、世間から後ろ指をさされることは避けられない。そんな状態で、女ひとりが幼い子供を抱えて生きていける希望はない。

 恵子が固定電話の受話器を上げて、どこかに電話しようとしている恵子の手を押さえた。

 光俊の死を隠蔽しよう。誰が言い出したのかはわからない。

 不倫して旦那を死なせた不義の女という扱いを受ける敏子、殺人もしくは傷害致死の犯人になる幸助、そして犯罪者になった旦那と離れて子供二人を一人で育てていかなければならない恵子。

 光俊の死を隠蔽しさえすれば、三人全員、そんな不幸な境遇から脱することが可能になる。

 悪魔の所行を為すことを、三人は合意した。

 日付が変わって子供が寝静まった夜中、三人は大型のスコップを持って金田幸助宅の庭に大きな穴を掘った。

 まだ第二新光集落の土地は分譲受付の最中だったので、幸助宅は隣も向かいもはす向かいも更地のままだった。

 誰にも気づかれることなく、朝を待つまでもなく作業を終えた。


 警察に捜索願いを出さなければならない。光俊が行方不明になったことは、いずれ近所に知れ渡ることになる。探す努力を何もしないわけにはいかない。

 緊張しながら警察署に行くと、少し待たされた後に個室に通された。現れた警察官に、十月のある日に配偶者が突然失踪したと告げた。

 警察は、敏子が拍子抜けするほど、古瀬光俊の失踪には関心を示さなかった。「家庭内で少しトラブルがあった」と告げ、事実のうちの一部を述べると、事件性はなく単なる家出でしかないと判断したようだった。金田恵子と金田幸助に簡単な事実関係の聴取をした以外は、ほとんど何もしなかった。連絡もなかった。

 七年。最低でも七年は隠し通さなければならない。七年経てば、裁判所により失踪宣告が出される。そうなれば、団体信用生命保険に入っている家のローンの残債は、全額免除となる。

 敏子は保育園に、美咲の延長保育を申請し、再び生保レディとして働くことにした。

 ローンの返済しながらの生活は決して楽ではなかったが、光俊の両親、つまり敏子の義両親の支援も受けながら、なんとか続けた。義両親はむしろ、美咲という子供がいながら失踪した息子の行動を批難し、敏子に同情的だった。

「うちのバカ息子が、勝手におらんようになって、すみません。ご迷惑をおかけします」

 光俊の母は何度も敏子にそう言って頭を下げた。敏子は自らの死にも等しいような苦しみを感じた。


 死体を庭に埋めて以降、金田幸助はすっかり人が変わってしまった。

 快活で、結婚後も女遊びを控えなかった幸助だったが、人を殺して、しかもその死体が庭に埋まっているという事実が重く圧し掛かったのだろう。仕事にはきちんと行っているのだが、急激に痩せ細っていき、喋ることも少なくなっていた。

 夜中にうなされて目を覚ましたり、いきなり奇声を発して何かに怯えるようにもなった。「すみません、すみません」と繰り返しながら、いきなりスコップで庭を掘り返し始めたこともあった。恵子はそれを必死で止めた。やがて幻覚を見るようになり、「オバケが出た。殺される」頻繁にそんなことを口にするようになった。

 そしてその年の十一月の初旬、金田幸助は自宅で首を吊って自殺した。

 遺書には、恵子と二人の子供に宛てに、ひたすら詫びる文章が書かれてあった。

 金田幸助の自殺を受けて、緊急の役員班長会議が開かれた。敏子は外回りの営業から抜け出して、会議に参加した。

「皆さまご存知のとおり、金田幸助さんがお亡くなりになりました。まだお子さんも小さく、未亡人となった金田恵子さんの苦しみを思うと、胸が張り裂けそうになります。ここはひとつ、金田恵子さんに対するささやかな支援として、自治会で募金を集めようと思いますが、いかがでしょうか」

 当時の自治会長がそういうと、役員班長が一同に「異議なし」と言った。

 その日、敏子は家に帰ってから、回覧板の文書を作成した。

「金田幸助さんの奥様である恵子さまに、お悔やみ申し上げます」

 光俊の死だけではなく、幸助の死にも、自分に責任がある。そんな自分がこのような文書を書くなど、なんと罰当たりで恥知らずなことだろうか。

 敏子は震える手を押さえて、募金を集める内容の文書を何とか書き上げた。


 恵子は当然、母子家庭となったからと言って引っ越すことなどできない。庭には死体が埋まっているのだ。仮に引っ越したとしても、幸助から相続した家と建物を、誰かに売却したり借家に出したりはできない。

 しかし、高卒後に三年だけ商店街の花屋に勤務して、間もなく幸助と結婚した恵子には、二人の子供を養っていくぶんを稼ぐ技術や資格などはない。そんな女が職を求めても、時給六百円にも満たない仕事しか得られない。

 恵子はなんとかして、稼ぐ先を作らなければならなかった。そこで思いついたのが、料理屋で板前の修業をしながら、自分の店舗開業を図っていた縁戚の金田一基に店を持たせて、自分もそこで働くというものだった。恵子は一基に、まだ販売先の決まっていない第二新光集落の土地に店舗兼住宅を建てないかと持ち掛けた。

 一基は最初は、立地が市の中心地から離れているということで渋っていたが、第一・第二新光集落には酒を飲むところはもちろん、飲食店もまったくなかったため、むしろ返って良いのではないかという恵子の説得を受け入れた。

 恵子は一基の店の開業資金として、手元に残っていた幸助の生命保険金を充てて、足らないぶんは一基が国民生活金融公庫からの融資を受け、店を開くことが叶った。もちろん恵子も連帯保証人になった。

 開店した居酒屋は近隣住民から評判で、大繁盛とは言えないが、想定していたよりもたくさんの客が入った。こうして恵子は、糧を得ることに成功した。

 以降、敏子は恵子と連絡は一切取らなかった。

 知り合いでも何でもない、ただ同じ集落に住んでいる人というそぶりを続けた。

 敏子は恵子と違って、この集落に住み続けなければならない桎梏しっこくはなかったのだが、母子ふたりで住むには広すぎる一戸建てを離れることはできなかった。

 近くに住み続けるということで、敏子と恵子は、互いに監視し合っていたのかもしれない。


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