25

 回覧板の指定どおり、十月二十五日に義捐金を入れる封筒が各戸に配布された。もちろん、美咲の家にも。封筒の表には、「二十九日午後に回収に参ります」とだけ書いてある。

 さて、いくら入れるべきか。

 美咲はそのことを敏子と話し合った。

「まあ、気の毒じゃけん、二千円か三千円くらいは入れとったほうがええかもね。なんぼ匿名じゃっちゅうても、あんまり少なかったらケチ臭い気がするけん」と敏子は言った。

 アスファルトに突っ伏して号泣していた大山田の姿を直接見た美咲としては、もう少し力になりたいという気持ちがあったので、

「もうちょっと多くてもいいんじゃない? もし自分があんな立場になったら、ちょっとやりきれないよ」

「じゃあ、あんたはなんぼくらい入れたらええと思っとるん?」

「さあ……、一万円くらい?」と言った。

「うーん……。でも第二新光の総戸数がだいたい合計で百五十くらいじゃろ。じゃったら、みんなが一万円を入れるべきというなら、義捐金の合計は百五十万円になる。そう考えたら、一万円はちょっと多すぎるいう気がせん?」

 言われてみれば、そんな気もする。

「でも、みんなが一万円入れるということは有り得ないし、ちょっとくらい多めに入れる人がいたほうがいいんじゃ」

「それじゃったら、ほかの人が少なく入れるぶんを、結果的にうちが多めに負担するということになりゃせんじゃろか」

「まあ、それも一理あるけど……」

 母と話しながら、義捐金をめぐって集落のあちこちでこういう会話がされているのかもしれない、美咲はそんなことを想像すると、少しおかしくなって笑いそうになる。

「なんらかの目安みたいなのを、知らせておいてくれればよかったのになあ。例えば、自治会長さんが『自分は三千円を募金します』みたいなことをアナウンスしてれば、それを基準に多いとか少ないとか判断できるから」

「もしそうしとったら、大半の人が右にならえで自治会長さんと同じ金額にしたじゃろね」

 美咲も、その場合はそうなっていただろうと思う。ほかの人の動向を観察して、自分の動向を決める。いかにも日本人らしい。家庭が「政治」という営みの最小単位なら、全国にある自治会や町内会というものは、その次に小さい「政治」が行われる集団になるのだろう。そしておそらく国権の最高機関である国会も、似たような原理で意思決定されているに違いない。

 日本人にとっては「みんなと同じ」がいちばん快適で、そしてそれが正義なのだ。

「三十年前の義捐金は、いくら入れたの?」美咲は尋ねた。

「じゃから、覚えとらんというのに」

 敏子はなぜか不機嫌そうだった。

 結局、敏子が封筒に三千円入れ、美咲が一万円入れて、古瀬家からは一万三千円の義捐金が大山田に贈られることになった。


 二十九日の午後三時くらいに、東が古瀬家にやってきた。

「封筒、回収に来ました」

 東の姿は役員班長会議が開催される集会所でしか見たことがなかったが、陽の光の下で見ると、顔のしわがはっきりと見えるためか、集会所で見るときよりも少し老けて見える。

「あ、はい。ご苦労様です。どうぞ」

 美咲は下駄箱の上に置いていた封筒を東に手渡した。

「たしかにお預かりしました。ありがとうございます」芝居をしてるかのように、東は頭を下げた。

 そしていそいそと、隣の家の封筒回収に行った。

 その日の夕方、自治会長から古瀬家へ電話があり、

「回収した封筒の中身を確認するので、手が空いている役員がいれば自治会長宅に来てくれないだろうか」ということだった。

 なぜそんなことをする必要があるのかと、敏子が電話の向こうの自治会長に問うと、

「お金のことじゃけん、一人の人間に全部任せてしもうたら、どうしても『誤魔化したんじゃないか』という疑いが出てくることが防げない。じゃけん、なるべく多くの人が見とる前で封筒の中身を取り出して、合計の金額を数えるのがええと思っております」ということだった。

 まあ自治会長の言うとおりだろうと納得して、敏子は夕方から出掛けて行った。

 そして、午後七時くらいに帰ってきた。

「合計いくらになったの?」と美咲がさっそく尋ねる。

 敏子は手に持っていたメモ用紙を見て、

「全部で三十三万五八九八円。次の回覧板で、『義捐金の合計はいくらでした。ご協力ありがとうございました』という内容を書く必要があるけん、メモしてきた」

 ということは、平均すると一戸あたり二千円強ということになる。まあ、それくらいが妥当だという気もする。もちろん大山田の生活をもとに戻すためには足りない金額だが、引っ越しのための資金くらいにはなるだろう。あるいは、焼け残った建物の体躯を解体して、更地に戻すための費用になるのかもしれない。

「やっぱり、ゼロ円の封筒もあったの?」

「うん、あった。もちろん誰の封筒かは、わかりゃせんけど。自治会長と会計の東さんと、あとは広報さんと防犯さんが来とって、みんなで手分けして封筒の中身を出していって、数えていったんじゃけど、ゼロ円の封筒、たぶん私が開けたんのなかでも、三つくらいはあった。でもね、一万円札が十枚も入っとるのあったよ」

「へえ、すごいね」

「中には、一円玉が一枚だけとか、五円玉が一枚だけっていうのもあった。ほんならゼロ円にすりゃええのに」

「それ、もう大山田さんに渡したの?」

「いや、小銭がいっぱいじゃけん、さすがにこのまま渡すと大山田さんが不便じゃろうということで、今晩は会計さんが預かって、明日の朝に信用金庫にいって両替してもろうてから、あらためて住人を代表して自治会長さんから大山田さんに渡すんじゃと。じゃから、大山田さんにはまだなんぼ集まったか、連絡はいっとらんと思う」

「大山田さん、元気になるといいね」美咲は無邪気にそう言った。

 しかしその義捐金が大山田の手に渡ることはなかった。

 その日の晩、大山田は何者かに殺害された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る