第18話 壊れた世界

 ぐわんと頭を揺さぶられるような不快感の後に、ちかちかと視界が明滅して、僕は思わず手にしていた水晶を手放した。


「なんだこれ……」

 心象鏡。文字通り、魔法使いの心象をそっくりそのまま記憶し映し出すための発動体デバイス。そこには、つい先日から突然僕の部屋に顔を出すようになったあるお姫様の心の内が記憶されている。


「彼女の目には、こんな風に世界が見えている? ……いや、見えているんじゃなくて、『こうあってほしい』と思っている?」

 そのお姫様。レーナ様ご自身の言葉によれば、彼女は発動体デバイスを用いた汎用的な魔法しか行使できないのだという。それも、この心象を見れば納得だった。


 魔法使いの心象は現実世界と酷似したものでありながか、実は全く同じではない。なぜなら、そこに現実世界と全く同じ風景しか存在しないのであれば、心象でもって色典に介入したところで、その内容に変化が生じないからだ。僕たちが心象を構築して魔法を行使する際の、現実世界との齟齬の表現の仕方には、使用者の個性が現れる。結果的には、世界を丸ごと定義し直すことはできないから、個性と言ってもそれはとても微妙な差異に収束するはずなのだけど。


 しかし、今見た心象はその定説から完全に外れていた。


 空が大地に、大地が空に塗り替えられているのは当たり前。当然のようにそこかしこに存在する物体オブジェクトは、見えているのに存在しなかったり、真っ暗なまま光り輝いていたり、あるいは、光の如き速度でゆっくりと目の前を通過したり。うまく表現できないけれど、とにかくぐちゃぐちゃで、違和感というより不快感を覚えるような世界だった。


 おそらく、僕の予想ではそもそも一つ一つの概念の定義からして僕たちの理解とは異なるのだろう。そんな単純な等式ではないだろうけど、例えるならば、僕らの世界で言うところのリンゴという果物が、レーナ様の心象の中ではアヒルという動物として定義されている。厄介なのは、概念一つ一つに名付けられた名称とでも言うべきものが、僕たちの世界に存在するそれと、ひどく似通っていることだ。まったく未知の存在が未知の現象を引き起こしても、僕たちは違和感を覚えない。既知かと思った存在が、予想外の現象を生み出しているからこそ、ひどい不快感を植え付けられる。


 今この水晶でもって、掌の内に再現された世界は、僕にとって、いや、おそらくほぼすべての人間にとって、直感に反する現象の塊のようなものだろう。


「とにかく、心象破綻フォーミングエラーに類するもので間違いはなさそうだ」

 その壊れ方はさておいて、確かにレーナ様の心象は破綻していることが分かった。この壊れ様の原因は、一朝一夕で明らかにできるものではないだろうけど、もしかすると、レーナ様が例の人型ヒトガタと意思疎通が可能だというところにヒントがあるのかもしれない。


 それはおいおい推論と検証を進めていくとして、ひとまずは問題の解決に乗り出してみようと僕は思案する。すなわち、原因はさておいて、ひとまずレーナ様が発動体デバイス、つまりは借り物の心象を用いなければ、魔法が使えないという状況を変えられないかと思考を巡らせた。


「確か以前に、魔法の発動と双子に関する文献を取り寄せたことがあったはず……」

 これは魔法研究に限ったことではないけれど、ある問題を解決するために、必ずしもその原因を究明する必要があるとは限らない。様々な手法を使って問題解決を図らなければ、魔法技術師などやっていられないのである。

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