第42話 導かれた答え・1
以前会話した際はあんな態度を取ってしまった手前、少々の気恥ずかしさを覚えながら、僕は扉を開けた。普段は頼まなくても相手の方から僕の研究室に勝手に侵入してくるものだから、自らこの執務室を訪れることはめったにない。
部屋の主は僕の入室に気づいて、開口一番いつものおどけた調子で声をかけてくる。
「まぁーだ、しけたツラしてんじゃないのよ、レイフちゃぁん」
「僕ももう一端の研究員なんですから、ちゃん付けはやめろって言ってるじゃないですか」
こちらの心境などお構いなしの様子。けれど、その方が今は有難い。ここ数日の自分がどれほど葛藤を抱えていたのかが、思考がクリアになった今なら自覚できる。
「おぉ?? いいね。ちょっとは調子が戻り始めたってことでいいのかい?」
「突っ込みが元気のバロメーターってわけじゃないんですよ」
蓄えた髭を撫でつけながら、エイノは手元の書類に落としていた視線を上げた。そして、僕の表情をちらりと確認しただけで、どうやら心境を見透かしてしまったようだった。
「ですがそのことで、今日は少しご相談が……」
「わぁった、わぁった。そんな硬くなりなさんな。今お前がわざわざ自分から話がしたいって言いだすなんて、どうせレーナ嬢のことだろうと思ってたよ」
結局僕が、何かに困ったときに信頼して相談できる相手なんて、エイノくらいしかいないのだ。言葉を切り出しにくくて、視線を反らしながら口にした僕にも分かるように、エイノは大げさに広げていた書類を閉じる。一旦仕事は休憩だと言わんばかりだった。こう見えて人の感情の機微には敏感な人だ。僕が話しやすいように配慮してくれたのだろう。
「まぁ、そこに座れよ。いつももてなしてもらってるからな。茶くらい淹れるさ」
エイノが指したのは彼の座る重厚な執務机より、やや入り口側に設えられた、低い木製のテーブルとソファだ。来局用、あるいは研究員との面談用のもの。と言っても、僕はずいぶんと久しぶりに活用する。この魔法研のナンバーツーにまで上り詰めて、すっかりマネジメントが仕事の中心となってしまったエイノの執務室には、個人用の実験スペースは確保されていない。その代わり、書類仕事のための事務執務室が僕の研究室より、幾分豪奢な造りになっている。
「ありがとうございます」
ことりと目の前に差し出された白磁のカップには少しミルクを垂らしたコーヒーが注がれていて、僕はあまり遠慮はせずにそれを少し口に含んだ。
「おう。それで? 話ってのは?」
エイノが顎でしゃくって僕に話を進めるよう促す。
「はい。エイノもお察しのとおり、レーナ様の件で」
「何かお嬢と話をすることができたのか?」
こくりと頷いて僕は続けた。
「ええ。実は先日、こっそりと王宮のレーナ様の部屋に侵入して……」
瞬間、ぶふっ、とエイノが口にしていたコーヒーを吹き出しそうになった。
「しっ、侵入って、おま。ははっ……。はははは。こりゃ、思ってたより随分思い切ったもんだね」
ちょっとした冷や汗みたいなものを垂らしながらも、エイノは笑っていた。
「い、言っておきますが、焚きつけたのはエイノですからね?」
「そりゃ、お前の拡大解釈だろうがよ。普通なら、ちょっと話したい相手がいるからって、王宮に侵入したりはしないの。分かる? それも異性の部屋になんて。俺がストーカー勧めたみたいな言い方やめてくれる?」
「ス、ストーカーじゃありませんよ! ちゃんとレーナ様から話をするお許しも得ましたし。………………完全な事後承諾でしたけど」
するとエイノはあきれ返ったようにため息をついた。
「やれやれ。これだから思春期の男の子ってのは……。思ったより随分根が深かったワケだ」
「その言い方、すごく納得がいかないんですが」
「まあ話が進まないから先を頼むよ、純情レイフくん…………ぶふっ」
「進める気がないのはエイノの方ですよね!?」
「わ、悪ぃ、わりぃ。悪かったから、
「ったく……」
埒が明かないようだったので、仕切り直して、僕は続ける。
「とにかくそれで、なんとかレーナ様とお話することはできました」
「会うのは久しぶりだったろう? 元気そうだったか、お嬢は?」
迷いなく僕はかぶりを振る。
「いいえ。あまりお元気そうには見えませんでした……」
「そうかい」
エイノは、窓から見える白亜の城に目を向けていた。今、彼女は何をしているだろうか。
「例の記事に出ていた、オレガノ王国の王子とのデートも結婚まで話が進んでいることも事実だそうです。レーナ様ご自身の意思、とは言えないようですが……」
「まぁ、あり得ない話ではないわな。公にオレガノは友好国だ。それに加えて、アイブライトは今、慣れない飢饉に対応するためにオレガノから農作技術やその他水不足に対する科学的ノウハウの支援を取り付けようと動いている。そんな状況でもし、相手方の皇太子から縁談の申し出があれば……。ひとまず形だけでも受けようという話にもなるだろう。本人たちの意思とは関係ない力も働きそうだ」
オレガノとアイブライトの国交について、僕はエイノ程深い知識を持ち合わせてはいなかった。けれど、先日の僅かな時間で、問題の構造くらいは理解できたつもりでいる。
「レーナ様は王族で、僕は魔法研の職員とは言え一般市民。以前まで普通に話をしていたこと自体がおかしい。貴族は身分の高い者同士結婚する。それが普通。何より、レーナ様は今回のことについて、僕に何も教えてはくれていない。それは、レーナ様が僕ときっちり一線を引いていらっしゃるから。僕が助けになれることなんてない……。薄々は、レーナ様が困っているかもしれないと気づきながら、僕はそうやって自分を納得させていました。理由……というより、言い訳はたくさんありましたから」
「そんな言い方をするってこたぁ、今は違うのか?」
もう一度自分の考えを整理するように、僕は大きく息を吐く。
「我慢できなくなったんです。実際にレーナ様にお会いして。彼女の様子がおかしいことをしっかりと、目にしてしまって……。確信して。全部を諦めてしまったような表情のレーナ様を見るのが、こんなに嫌なことだなんて思いませんでした」
僕の動きに倣うように、今度はエイノが息を吐いた。その後、緩慢な仕草でコーヒーを口にする。
「お前の心境はよくわかった。だからって、お前はどうするってんだ? 王族同士の縁談話なんて、それこそ雲の上の話だ。俺たちが口を挟む余地もねぇ」
「ええ……」
エイノのその言葉に僕は自嘲の笑みを零す。
「それは分かっています。だから、エイノに話を聞いてもらうついでに、相談を。そんなうまい話しがあるはずないことは分かっています。結婚の話をなかったことにできるとは思っていません。ですが、せめてレーナ様が以前と同じように笑えるように。何か、僕にできることはないかと思いまして。僕より随分大人のエイノなら、少しくらいはアイディアも浮かぶかも、と」
「天才レイフ君にしちゃぁ、随分弱気な発言じゃないの」
「僕はもともとそれほど自信家じゃありませんよ。才能があるとしても、それは魔法研究においてだけ。それ以外は、まだまだ半人前の子供だと、自覚しています」
そこまで話を聞いて、エイノが深くソファに腰を鎮める。天井を仰ぎ見て、かと思えば何かを考えるように目をつぶり、長い沈黙を貫いていた。
「エイノ……?」
「なくは、ねぇ」
「え……?」
「お前が……、いやお前にしかできないやり方で、お姫様の憂鬱を晴らす方法がなくはねぇと、俺は思ってる」
がたりと、机を鳴らして思わず僕は立ち上がっていた。
「それは、いったいどんな方法ですか!?」
けれど、前のめりになった僕を見つめ返すエイノの表情はどこか怜悧な雰囲気を纏っていた。
「今ここで、それをお前に話すのは構わねぇ。……けど、一つ質問をさせてくれ」
「質問、ですか?」
「ああ。お前さんの覚悟の問題だ」
その雰囲気にこくんと一つ唾をのんだ僕に、エイノが告げる。
「今のお前に、表舞台に立つ覚悟ができるか? つまりは、今後数十年の魔法技能研究の未来を背負って立つ人材に、名乗りを上げる覚悟が」
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