第43話 導かれた答え・2

「それは一体どういう……?」

 エイノの意図を汲みかねた僕は思わず問い返していた。


「言葉通りの意味さ。今証明しようとしているお前の複記述仮説マルチグラマー仮説を世に出す。もちろんお前の名義でな。基礎理論のみだとインパクトが弱いから、その理論に基づいた魔法の開発事例もいくつかセットだ。時期的には年末の技術市場テックマーケットが理想だろう。ついでに、過去俺の名義で出していた研究も、お前の功績だったものは、そうだとオフィシャルに公開する」

 予想外の答えに、僕はあっけにとられる。


「どうして? それは、レーナ様の件と関係ないでしょう」

 僕の問いかけを予想していたかたのように間髪入れず、エイノの返事が返る。


「交換条件みたいなもんだ」


「交換条件?」


「ああ。いいか? お前がレーナ嬢のことを気にかけているいるように、俺も同じくらい、レイフ。お前の将来を案じている。曲りなりにも親代わりとして、このままお前の才能が埋もれちまうことは絶対に避けなければならねぇとも思ってる。俺は今、レーナ嬢を元気づける手立てに心当たりがあるが、それを教えて欲しいなら、今ここで、お前が表舞台に立つことを約束してくれってわけだ。迷惑かもしれんが、親心ってやつさ」


「でも……」

 一瞬躊躇いの言葉を発しかけた僕にエイノは畳みかけるように言葉を紡ぐ。


「レイフ。お前が自分の功績を、表に出したがらない理由はなんだ?」

 真っすぐ、僕の目を見ながらエイノが問うた。


「それは、入所した時の取り決めで……。幼い僕の言葉に説得力がないから。そのせいで、いい技術が埋もれてしまうのは国のためにならないから……」


「それはもう過去の話だって何度も言ってるだろ?」


「僕自身も、地位や名誉。それからお金には興味がなくて、ただ研究さえ自由にできていれば、それで満足ですし」

 ふっと、エイノが鼻を鳴らす。


「今回の件で、お前は一度も思わなかったってのか? せめてもう少し自分の地位が高ければ、名誉が、あるいはお金があれば、少しは状況が違っていたかもしれねぇ、ってな」


「そっ……それは」

 彼は僕の心境を正確に見抜いていた。確かに一度通った思考回路だった。結婚を取り消すことはできなかったかもしれない。けれど、僕がそれなりの地位や名誉を国内で確保している人物だったなら。少なくとも、王宮に侵入などせずとも正規のルートでレーナ様と謁見が叶ったかもしれない。僕の言葉も、もう少し強く彼女に響かせられたかもしれない。


「父親の件が原因でお前が未だに、表舞台に立つことを怖がっているってのは、俺も理解してるつもりだ。だからこそ今までは、適当な理由で、お前の功績を公にすることを先延ばしにすることも、俺は受け入れてきた」


「……っ」

 とうとうエイノが僕の心の確信をついた。そう。僕は恐れているのだ。出自も定かでない僕のような人間が、スポットライトを浴びることを。


「同じ道を辿るのが怖いんだろう? 一般市民でありながら、国王にも認められかねないいくつもの研究成果を残し、貴族や魔法研のエリートからの嫉妬と怨嗟で殺されてしまった父と同じ道を辿るのが」


「やめてください!」


 僕の実父は、体系立った学問を学べるような裕福な家庭に生まれていないにも関わらず、幼いころから、魔法研究への強い適性を示していたらしい。それは夜眠りにつく時、いつも母親の口から聞かされたいくつもの父の武勇伝からも明らかだった。父の残した研究成果や発明は幼い僕にも分かる程度には優れたものが多かったし、その恩恵を受ける近隣の村の人々は、何の肩書も持たない父の成果でも次第にそれを評価するようになっていった。


 『辺境の天才魔法発明家』。そんな呼称がいつの間にか定着し、仕事の幅を広げていく父の噂は、やがてアイブライトの首都にまで広がり、当時の魔法研の所長に見出された結果、王宮でその発明や成果を披露する場を与えられたのだと言う。日常生活に直結する魔法技術開発が得意だった父の成果は、その場でいたく当時の国王に気に入られ、そのまま王立魔法研究所で働かないかと誘いを受けるに至った。このころになると、僕も父親の話を大分理解できるようになっていて、当時の父が本当に嬉しそうに語っていたことを今でも思い出せる。しかし、結局父はその誘いを断ったらしい。曰はく、魔法研究はどこでもできる。自分は辺境で、家族と近しい人々の間でだけ技術を共有できれば十分とのことだった。


 それから数か月後のことである。国の調査団を名乗る者が家を訪れ、父の研究工房を物色した後、再び王宮に父を、今度はと称して連れ去ったのは。父の魔法研究の一つが、国に認められていない非人道的な人体実験に該当するからという理由だった。もちろん、僕や母の知る範囲で父がそんなことをしている様子はなかったけれど、僕たちの言葉は一切聞き入れられなかった。急転直下。


『すぐ戻ってくるから』

 そう言って、両腕を拘束されて連れていかれた父は、その後、王都で裁判にかけられ、非倫理的魔法技術師マッドサイエンティストの烙印を押され打首にされた。母はその後、失意で病に臥せったまま、自ら命を絶つことになった。


 幼い僕はその一部始終を、映画を見るような心境で、ぼんやりとただ眺めていることしかできなかったのだ。父がどこで何を間違えたのかは正直言って今でもまだ定かではない。けれど、出自も分からないような一般市民が王族との謁見の機会を得たこと、他の貴族や研究員を差し置いて手放しで国王からの称賛を得たこと、国王の誘いを断って辺境に返ったこと。その全てが国の中枢に位置していた人物からすれば面白くない事実として映る可能性があることを後になって僕は理解した。


 研究は楽しい。だから続けたい。けれどその功績をむやみにひけらかす必要はない。成果による地位や名誉が僕の望むものではなく、ただ魔法研究を続けることこそが僕の目的なのだから。いつしか僕の心情はそんな風に固まってしまっていたのだ。


「俺が、そんなこと許すわけがないだろ!」

 思わず興奮して声が大きくなった僕に、エイノが同様の声量で対抗する。


「いいか? 今の魔法研はな、確かにプライドだけ高い連中が跋扈したり、つまらない意地の張り合いが残ってたりすることもあるが、それだけじゃねぇ! お前も身をもって感じてるはずだ」

 同期のアンネさんの顔が脳裏に浮かぶ。


「時代が変わって国の状況も大きく変化した。王族の方針は次第に穏やかになっているし、貴族と一般市民の隔たりも年々薄れている。何より今魔法研には俺がいる。お前をお前の父親と同じ目に合わせるようなことは、国王の勅命があったとしても俺は絶対に許さん」


「エイノ……」


「怖がる必要はねぇ。以前にも言ったが、地位や名誉ってのは一種の力だ。それを得ることは意地汚い大人の象徴みたいに聞こえるかもしれねぇが、何か守りたいモノをができたお前に今、一番必要なもんなんだよ」


「守りたいモノ……」

 思わず言葉が漏れた。


「レーナ嬢に、前みたいに笑ってほしいんだろ?」


「…………はい」


「また、研究室にも足を運んでほしいんだろ?」


「……はい」


「魔法を上手く使えるようになる手助けするんだろ?」


「はい!」

 こくりと、エイノは大きくうなずく。まるでこうなることを望んでいたかのように。


「だったら今お前にできることは、研究員としての、地位を、名誉を得ることだ」


「分かりました……。分かりましたが、できますかね? こんな臆病者の僕に」

 するとエイノは年不相応な、けれどとても彼らしいいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「安心しろ。お前は技術市場テックマーケットでとびっきりインパクトのある演題をかますだけでいい。そうすりゃ、あとは全部上手くいくさ」

 まだ何の確証も得ていない。けれどその顔がどうしてか、とても頼もしい。

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