第23話 暴かれた秘め事

「いや~、うん。あのねぇ、事情は分かったけどさぁ、レイフちゃん。これは流石にマズいでしょうよ」

 やっぱり、初めのころの。レーナ様が僕の研究室を訪れるようになって間もなくのころの僕の感覚は、至極真っ当だったらしい。先ほどの状況を見て、上司のエイノも、それはもう激しい焦りを覚えたようだった。


 執務室のテーブルで僕とエイノが向かい合う。数分前から、急遽、厳しい事情聴取が始まっている。因みに、レーナ様は隣のソファに腰かけて、あわあわとした様子で僕たちのことを見守っていた。大事な証人だからと、泣きそうな目でこの場に残ってもらえないか見つめていたところ、結局同席する流れになってしまったのだ。本当に申し訳ない。


「それは僕が一番分かってはいたんですよぅ……」

 いや、レーナ様のあの、僕を惑わすスーパー天然小悪魔っぷりをひとつも恨んでいないかと言うと、とそれは怪しいのだけど。


「だったら何でさっさと手を打たなかったのさぁ!!」


「そっ、それは……」

 ぐうの音も出ない上司からの正論に僕は言葉が続かない。すると、あの、と控えめに右手を上げたレーナ様が口を挟んだ。


「私が、悪いんです。無理を言って、レイフ様のお部屋に押しかけていたので。その、王女である私から頼まれれば、レイフ様も断りにくかったでしょうし……」


「そんなっ! レーナ様が悪いわけありません。僕の方こそ、以前にレーナ様が来てくださるのが楽しみだなんて口走ったから……」


「だぁ、かぁ、らぁ、さぁ!!」

 僕の言葉は、そこで、バンバンとテーブルを叩くエイノに制された。


「さっきから、そうやって互いに擁護し合ってるところがまた、あ~やしぃんだよねぇ!」


「だっ、だから、決してそういう関係ではないって言ってるでしょう!」

 一通り、僕が事情を話し終えた後、レーナ様の懇切丁寧な釈明のおかげもあって、なんとか彼女が自らの意思でこの部屋を訪れていたことをエイノは信じてくれた。そしてその訪問の是非はともかくとして、今はその先、あろうことか、僕がレーナ様に手を出したんじゃないかという点をエイノは執念深く追及している。


「本当に!? その言葉、本当に今自分の研究室をもう一度見まわしてから言えるの?」


「研究室って……、なんで」

 するとエイノは我が意を得たりとばかりに立ち上がって力説した。


「だってこれ、見てみなさいよ。以前のそこかしこに紙束が散らばっていた、これいかにもって研究室ラボが見る影もない!! 綺麗に整頓された書棚、なんかいい匂いがするキッチン、掃除の行き届いた床。極めつけは、皴一つなくなったお前のその研究衣!! かんっぜんに、新しい女が出来た男のそれなんだよねぇ」


「だから違うと言っているじゃないですか。これは、レーナ様がしたいとおっしゃるから仕方なく……」


「互いに好き合ってもいない女の子に身の回りの世話をさせていたと? それはそれで問題なんじゃなぁい?」


「うっ……。れ、レーナ様。この件に関してもどうかご説明を」

 咄嗟にソファの方へ向けた視線の先では、レーナ様が両頬に掌を当てて真っ赤な顔でうつ向いていた。


「かっ、彼女だなんてそんな。私にレイフ様は……、その、もったいないと言うか」


「なんでそこで照れるんですかぁ……」


「はい、アウト! これはもう一発退場もんだよ。まさか王女さまをこんなになるまで誑かすとは」


「誑かすなんて人聞きの悪い!」

 まったく、臆病者の僕が恐れ多くも王族に手を出すなんて、そんなことあるわけ……。あるわけないじゃないか!! と声高に叫ぶことのできない自分が恨めしい。


「問答無用。このことは一刻も早く国王の耳に入れておかないとねぇ」


「待って! それは、本当に。今僕がいなくなったら、結構困るタスクもあるはず」

 さっさと、部屋を出て国王へと報告に向かおうとするエイノを縋りついて引き留める。それを聞いて、はぁ、と小さくため息をついたエイノは、再びどかりとテーブルの椅子に座り直した。


「と、まぁ冗談はこれくらいにしてだな」


「じょっ、冗談だったの!?」


「あたりまえでしょ。お前が魔法研をクビになりそうなこと、俺が本気ですると思う?」


「エ、エイノ……」


「人件費を軽く十人は節約できる逸材を俺が簡単に手放すかよ」


「え、エイノっ!?」

 感動に瞳を潤ませそうになったのもつかの間だった。


「つまり、どういう理由にせよ、居なくなられちゃ困るってこと。軽率な行動は取るんじゃないよ、まったく」

 けれど、その後に続いた上司の言葉は真剣そのものだった。


「すみません」

 殊勝な僕の返事を聞いて、エイノはまた一つ大きなため息をついた。それから、ぎろりと、ソファに腰かけるレーナ様へと視線を向ける。


「それと、レーナお嬢」


「はっ、はい」

 その声の迫力にぴくんとレーナ様の肩が震える。王立魔法研究所の重役である彼は、以前に国王やその親族と何度か顔を合わせて話をする機会もあったらしく、レーナ様とも顔見知り程度ではあるようだった。


「どういうつもりか分かりませんが、あなたの気まぐれでこちらの仕事を邪魔してもらっちゃ困りますよ。まして研究員一人の進退が危うくなるような真似、見過ごせると思いますか?」


「そ、その点については、本当に申し訳ありません」

 王女様が叱責されるようなこと、本来ならあり得ないだろうけれど、僕の功績の一部を含めて、この国のあらゆる魔法技術体系の根幹部分を支える技術をオフィシャルに公表してきた経緯から、エイノの地位はもはや一般庶民とは言えないところにまで来ている。年齢差と、生来の性格もあってかレーナ様は素直に頭を下げた。


「理解しておられないようですが、王族という身分はあなたが思っているよりずっと重いのですよ? 一般人がおいそれと話をしたり、ましてや護衛も携えず、互いに触れられるような距離で交流したりできる相手ではないんです。そんな人と一介の研究員が親し気にしているところを誰かに見られたら、いろいろな憶測や疑念を生むことになる。王宮は、王女様を追及できない以上、研究員の方にその責を負わせるでしょう。実際に何も起こっていないにしても、そんな面倒な輩を長く王立機関に置いておくとは思えない」


「エ、エイノ。それくらいに……。さっきも言いましたが、結局レーナ様の来訪を最終的に許容していたのは僕の方で」

 しかし、エイノはそこで言葉を止めなかった。


「ちょっとお前は黙ってな。さっきの話をそのまま理解するなら、今回の問題の八割はそこのお姫様にあるんだからさぁ」


「そ、そんな言い方」


 レーナ様の言葉が、続く僕の発言を制する。

「いいんですよ。レイフ様。私が悪いというのは事実です。やり方が強引だったこともエイノ様のおっしゃるとおり。このとおり、重ねてお詫びします」

 再びレーナ様は頭を下げた。その様子を見てエイノは納得したように鼻を鳴らす。


「分かってるじゃないですか、レーナ嬢。理解できたなら、早くこの研究室を離れてください。それから、今後一切、許可なく一人で勝手にここへ近づかないように」


「えっ……」


「そ、それはっ!」

 エイノの発言に、僕が戸惑いの声を発し、レーナ様が苦々し気な表情を見せた。


「何かご不満ですか? レーナ嬢も分かっておいでですよね? これからのレイフの研究員キャリアを考えたとき、もうあなたに関わらない方がいいということくらい」

 ぎゅっと、彼女が自らのスカートの裾を握りこんでいる。


 そんな……、こんなのはおかしい。ちょっと重い身分を背負って生まれてきたくらいで、自由に会いたい人も選べなくなるなんて。


 そして、僕が反論しようとしたその直前に、レーナ様は顔を上げた。


「重々、承知しております……」

 それは諦めから発せられたもののように一瞬思えたけれど。


「よろしい。だったら今すぐ、」


「ですから……。ですから、本当にレイフ様がご迷惑だとおっしゃるなら、私はもうここへは来ないことにします」

 真っすぐにエイノを見つめるその視線は想像していたより遥かに迷いがなかった。エイノとレーナ様の視線が交錯する。二人の瞳はどちらも真剣で、部屋に流れる空気は緊張しきっていた。はぁ、と今日何度目かわからないエイノのため息がその空間に溶ける。


「この期に及んで、レイフに判断を委ねますか」


「はい」

 力強く返答したレーナ様の顔に、エイノの鋭い視線が刺さる。


「いいですか? こいつはこう見えて真面目な王朝の臣民ですよ? 普通にあなた様を慕っているし、そうでなくとも、あなたには大きな権力がある。こいつが本音を口にできるとお思いで? あなたの意向を忖度した発言にならないとどうして言えますか?」

 すると、レーナ様は一度だけ僕の顔を見てから、はっきりとした口調で告げた。


「確かに、レイフ様はとてもお優しい方で、私の立場を考えて真意をお話されない可能性は、否定しきれません。ですが、……私はレイフ様を信じています。以前にも私の願いを汲んでくださったレイフ様を。私との間柄に、私の身分の話は持ち込まないという」

 一瞬だけ僕に向けたその表情はやけに不安げで、けれど今エイノに向けている表情には一切の憂いがない。そんな姿を見せられては、いや見せられる前から、僕の返答は決まっている。


「本当にそんなことがあったのかい?」


「はい」

 こくりと冷静に頷いてから僕は続けた。


「僕は……。僕個人の想いをお話するのであれば。このままレーナ様とお会いできなくなるのは望むところではありません。これからもこの研究室は、レーナ様が『来たいときに来ていい場所』にしておきたいと思っています」

 それは、ついさっき彼女の口から出た台詞を借りたものだったけど、明確に僕の意思を込めたものでもある。僕の言葉を聞いたエイノは、長く深い息を吐きだす。何かあきれ返ったような表情で天井を仰いで、がりがりと頭の後ろを右手で搔きむしった。


「はぁ……。だったら、ちょっとくらいは用心してくべきだろうよぉ」

 ごそごそと懐を弄って、直径五ミリくらいのごくごく小さな水晶を正面の僕に差し出した。魔法の発動体デバイスのように見えるがこれほど小さなものは僕も見たことがない。


「これは?」


「最近超小型化に成功した発動体だよ。まだ中の心象は空だけどねぇ。お前なら、適性サイズの光屈折魔法か何かを保存できるだろう。適当なアクセサリーにでも加工すりゃ、変装用の立派な小道具の完成だ」


「へぇ……」


「で、では!!」

 僕が関心してその小さな水晶を光に透かしている横で、レーナ様は思わずと言った様子で立ち上がった。


「レーナ嬢、勘違いせんでください。俺はレイフの見方であって、こいつの才能を高く評価しています。レイフがああ言っている以上、無理やりあなたをこの研究室から遠ざけるつもりはありませんが、今でもレイフとあなたの接触は大きなリスクだと考えています」


「はい、分かっております」


「レイフとの関係を俺以外の誰にも明かさないようにすること。この研究室に入るときは必ず誰にもばれないような変装をして、その上で人目も気にすること。この二つくらいはしっかり守っていただけますよねぇ?」

 こくりと、レーナ様が頷いた。


「もちろん。私の不注意でレイフ様の立場を危うくするのは、やはり本望ではありませんから……」

 レーナ様が肯定の意を返したのを見て、エイノはすくりと立ち上がった。部屋を後にしようとする上司の背中に、僕は声をかける。


「エイノ! その、ありがとうございます。僕たちのこと黙っていてくれること。それから、こんな、最新の発動体デバイスまで譲ってくれて」

 僕の言葉に、エイノはその場でぴたりと足を止めた。


「レイフ」


「はい。なんでしょう?」


「とりあえず今日の打ち合わせは明日に延期するけど、君、今めぇ~っちゃ新規案件溜まってるから。それと今回のこと……。黙っててほしいってんなら、俺がこれから持ってくる新規案件、むこう二か月は拒絶リジェクト禁止だからね。せいぜい頑張って働いてよぉ~、俺のレイフちゃん」

 思わず、もらったばかりの水晶を取り落としそうになる。


「ちょっ、エイノ!? 嘘、ですよね? 二か月とか! 拒絶ナシとか!! マジで死ねるんですがっ!? 今日の話の流れ全部もう一回やり直しを考えるレベルなんですがっ!?」

 思わず交渉のやり直しを叫んだ僕に、今度はレーナ様がひどく悲し気な視線を向ける。


「レイフ様? さすがにそれは、冗談……ですよね?」


「いや、冗談、やり直しというのは冗談ですが! でも、エイノ、ああ、ちょっとまって、部屋を出ていこうとしない!! まだ話は……」


「んじゃ、まあ後は、せいぜい仲良し二人でちちくりあってちょ」


「王女様の前でそんな俗っぽい台詞を使うなぁ~~~!!」

 後には顔を真っ赤にしたレーナ様と、悲嘆に暮れる僕が残されるのみだった。まったく、これどう収集をつけてくれるんだ……。

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