第47話 国王との対峙・2
「本気で言っているのかね?」
僕がレーナ様の名前を口にしてからの長い沈黙を最初に破ったのは、イエルド国王の厳かな声だった。
「本気です。僕は、僕の研究室に彼女を迎え入れたいと思っています」
すると、訳が分からないと言った様子で、国王はかぶりを振った。
「なぜ、レーナなのかね? 父である私の目から見ても、あれは魔法の才を持たない出来損ないだ。確かに勉学には優れ、容姿は貴族の中でも整った部類に入るであろうが……。ああ、もし、ただ伴侶ないしは妻に準ずる女が欲しいのであれば、なにも、しがらみの多い王族などを所望せずとも、こちらでいくらでも具合のいい者を見繕うが」
ぐっと、僕は拳を握る。その国王の言いようは気に食わないが、今は無事にこの交渉を終えることが重要だ。
「レーナ様でなくてはだめなのです。女性としての彼女を求めているわけではありません。僕は、僕自身が、研究にしか興味を示さない根っからの研究員だと、自負しております」
「だから、なぜと聞いている。あれに魔法の才能は……」
その言葉を遮って、僕は続けた。
「レーナ様が魔法適性に関して、少々特殊な体質であることは国王もご存じのはずです」
国王が一瞬苦いものを口に入れたような顔を見せる。
「特殊も何も、ただ上手く心象が組めないだけであろう? あいつに魔法を教えようとした教師は皆、口を揃えてあんな個性的な心象は見たことがないと言っていたよ」
ええ、と僕は頷く。
「実は、僕は先日、ある筋から彼女の心象を見せていただきました。当時の心象鏡を残していたモノ好きがいたようです」
嘘である。僕は彼女から直接心象を見せてもらったけれど、今はまだ僕とレーナ様が頻繁に顔を合わせていたことを知られるわけにはいかない。国王は少なからず驚いた表情をしていた。
「僕の
僕の発言を最後まで聞いた国王はしばし何かを逡巡するように目を瞑っていた。僕が感じることの出来た初めての明確な感情の揺れだったようにも思う。
「なるほど、君の言い分はよくわかった……」
「ありがとうございます」
国王の言葉の間をつなぐような、相槌代わりの礼を述べる。
まあ、続く言葉はなんとなく予想できているけど……。
「しかし、レーナを君のところに派遣するというのは出来ない相談だな」
やっぱり待っていたとおりの言葉。
「それは、なぜ? こう言ってはなんですが、先ほど国王はレーナ様のことを出来損ないと表現しました。王位の継承も、彼女を除く四人がいれば何も問題はないでしょう」
国王はふっ、と短い息を吐く。
「君も知っているだろう? 間もなく、あれは隣国オレガノ皇太子の妃として迎えられる予定になっている。オレガノの所有物となる先約があるのだ。今我が国は、オレガノとの国交を国の重要な政策の一つとして考えている。その先約を破るわけにはいかんよ」
「婚姻の申し出を断ることなど、とうていできないと?」
僕の確認の一言に、国王は大きく頷いた。想定の範囲内である。この程度で、国王が一度決めたレーナ様の結婚を覆すとは思っていない。
「それは、とても残念です」
「ああ、娘に熱烈なアプローチをくれたところを悪いが……」
だから僕はいよいよ最後に残していた手札を切ることにした。これが失敗すれば、僕がレーナ様と再び言葉を交わすことは、もう叶わないかもしれないと思うと、否が応でも両手に力が入る。
「レーナ様を研究室に迎えられないとすれば……。僕は彼女と同じ体質の者を求めて国を出ることになるでしょう」
「なに……?」
ぴくりと国王の眉が動いて、それ以上に彼の隣に控える大臣が動揺している姿が見て取れた。
「自然な流れかと思います。おそらくこの国に彼女と同じ体質の持ち主がいないことは確認済み。僕のこれからの研究に必要となる以上、それを探して国を出るほか道はありません。僕は魔法研究にしか興味のない人種ですから」
魔法技術師の国外への流出。単純に考えればそれは国にとっての損益である。出来れば避けたいところ。それも魔法研で経験を積んだ一般的な研究員であれば、ある程度の金銭を積んででも防止したいと考えるのが国の常識らしい。
僕の言葉を聞いた国王は、さらに眉間に皴を寄せ、吐き捨てるように言った。
「それは、我が国としても実に残念だ。我が国の、君のような若い才能が、つまらない意地で潰れていく様を見るのは。国を出て流浪の民になれば、今のような恵まれた環境で研究に従事することは難しいだろうに」
あくまで強い姿勢は崩さない。それは王としては当然なのかもしれない。王とは国を守る者として、時に傲慢でなくてはならない。たった一人の市民の言葉に振りまわされていたのでは話にならない。けれど――。
「恐れながら、イエルド様」
そこに口を挟んだのは、彼の隣に控える大臣だった。
「彼を国外へ流出させる判断をするのは……、その、いささか早計かと思われます」
ひどく歯切れの悪いその言葉が、彼の逡巡を覗わせる。
「どういう意味だ」
「彼が国外に出れば、彼にその気がなくとも石英純化の技術が外国に流出する恐れが」
「そんなことは理解している。私も馬鹿ではないのでな」
少し声を大きくした国王の様子に、大臣がびくりと一瞬怯んだ。しかし言葉を止めることはしなかった。それだけ優秀で、国のことを考えているという証左だと思う。
「石英純化は先日のオレガノ王国との交渉の席でさえ、外には売らないと決めた技術なのですよ? 彼を国内に残す術があるのであればその
すると国王はふっと鼻を鳴らした。
「国王と対立して、国を出た輩だ。周辺諸国には亡命を拒否するよう通達を出せばよかろう? 全ての国へ強制力を効かせることは出来んだろうが、十分な牽制になる。ただでさえ迫害の対象とされやすい流浪の民となるのだ。そんな者を容易く受け入れる国など」
「その判断が間違いだつってんだよ。そいつは」
口を挟んだのは、先ほどより一層、不遜に笑うエイノだった。気分を害したのか、国王はやや面倒くさそうにエイノを睨みつける。
「いくら自らの功績が輝かしくとも、国の力を舐めてはいかんよ。エイノ博士。私が受け入れ拒否した者を受け入れるということはつまり、アイブライトと対立関係になることも辞さないということ。君が思っている以上に、他国の頭は国家間の調和を重んじるものだ」
そこまで国王が発言したところで、大臣が再び口を開いた。
「先日、魔法研に侵入した賊のことを覚えておいでですか?」
突飛な発言に、訝しんで国王が両目を眇める。
「こんな時に何の話をしている?」
「あの賊の目的は、エイノ・ハーゲンの持つ魔法技術でした。それもおそらく粗悪石英純化の魔法です。それは、去り際にわざわざ書面で彼に自国に亡命するようにと告げていることからも明らかでしょう」
「なに?」
「この事実を鑑みるに……。非常に嘆かわしいことではありますが、我が国に喧嘩を売ってでも、その技術を手にしようとする国が周囲に存在していることは間違いありません。もちろん現在迅速に賊の身元の調査を進めてはおりますが……」
「つまりコイツはぁ、いろんな国から引く手あまたな人材っつうわけだ……」
こちらを振り返ったエイノが、にやりと口角を上げる。
「モテモテだねぇ、レイフちゃん」
それでようやく、国王は全てを悟ったようだった。
そう、優秀な魔法技術師の国外への流出は、国にとっての損益。だから、多少の金銭を積んででも、妨げたいところである。しかしそれは、逆に言えば、優秀な魔法技術師でさえ、多少の金銭程度の価値だということ。それでは足りないのだ。
第五王女を手に入れたい。
その願いはすなわち、国の重要な政策の要となる人物を手に入れたいということだ。多少の金銭程度の価値とはとても釣り合わない。
だから僕は、技術市場で派手な
エイノは僕の功績を
全ては僕の魔法技術師としての価値を短期間で極限まで引き上げるため。幸いなことに、僕はその可能性を秘めた成果を持っていた。エイノはこんな時が来たときのために、僕たちの関係性を明確に記した
その全てが上手く働いて初めて、僕の価値を。一国の関係性と釣り合うほどの価値を。世間に、他の魔法技術師に、そしてこの目の前の国王に、知らしめることができる。今がその最終工程だ。
イエルド国王の炯炯とした眼光が、僕を射抜いている。
「脅そうと言うのか? この私を」
これで僕はもはや、一般的な魔法技術師の枠の範疇には収まらない存在になった。それでも僕は、あくまで白々しく口を開く。
「何のことでしょう?」
「ふざけおって。望みを叶えないならば、他国と与することも厭わないと言うのだろう?」
だからエイノは今回のことを実行に移す前に、僕の覚悟を聞いた。魔法技能研究の未来を背負って立つ人材に名乗りを上げる覚悟があるかと。今日を境に、以前までのように平凡で楽しいだけの魔法研究に現を抜かすことはできなくなるだろう。
「先ほども述べました通り、僕は魔法研究にしか興味がありません。それこそ国のパワーバランスなど知る由もない。何かの拍子にうっかり技術を流出させてしまうこともあるかもしれません……。というだけの話です」
ちっ、と小さな舌打ち。だから僕は、最後に、僕の本当の目的があくまでアイブライト王朝や、イエルド国王と対立することではないことを明瞭に告げる。
「彼女を僕の研究室に派遣し、僕を国に残せば、大規模気象操作の魔法も数か月以内に完全な形で完成させることを約束します。そうなれば、オレガノ王国との交友関係を良好に保つことの必要性も小さくなるでしょう。ですから、どうか」
頭を下げる。長い間沈黙が続いて、その間僕は顔を上げなかった。
その様を見て、国王がようやく口を開く。
「そこまで言うのなら……、いいだろう」
「それでは!!」
思わずばっと顔を上げた僕を制するように国王は続ける。
「勘違いするな。あとはあれの意思次第、ということにしようではないか」
「意思、ですか?」
「ああ。レーナ自身の意思だ。……あれが誰の下に行きたいと言うのか」
返答する国王は僕ではない、どこか遠くを見るような目をしていた。
「もっとも、あれに意思など…………。いや、私には見せぬだけ、ということか」
そのどこかもの寂し気な表情は、僕だけではなくて。きっと、玉座の隣に控える大臣やエイノにもしっかり焼き付けられたに違いない。
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明日、最終話を更新。
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