第27話 天才を見出した人・1

「おいおい。まさか毎日いるんじゃあないでしょうねぇ?」

 開口一番、ややおどろいたような表情で、髭面の大男がそんな風に漏らした。多分思わずこぼれた独り言みたいなものだとは思うけど、一応私は言葉を返す。


「まさか。私も王族のお仕事で暇というわけではありませんから。一日来たら一日我慢すると決めています」


「我慢、ねぇ……。部屋にいるとこ誰かに見られないよう、せいぜい気ぃ付けてくださいよ」

 おどけた調子で返事が返る。王族である私に体裁上丁寧な言葉を使ってはいるけれど、あまり敬意を払われている感覚はない。だからと言って、別に悪い印象を受けるわけではないのが、この人の不思議なところである。


「大丈夫ですよ。言われた通り、この辺りに近づく際は必ず変装していますし。それに、ノックをせずにいきなりこの研究室へ入ってくるのはエイノ様くらいですから」


「お姫様の割には、ずいぶん聞き分けのいい子ですねぇ」


「お褒めにあずかり光栄です」

 言葉遊びに満足したのか、やがてエイノ様は、きょろきょろと研究室の様子を伺い始めた。


「ところで、レーナ嬢。レイフのやつは?」


「レイフ様なら、少し仮眠をとられると。先ほどベッドルームに入られました」


「なるほど、なるほど、ではちょいと失礼してっと……」

 今まさにレイフ様が寝付いたばかりの部屋の扉の前で、大げさに両手の裾をまくり始める。そんなエイノ様の様子を見て、私は思わず立ち上がった。


「ちょ、ちょっと!! いけませんよ。先ほどまでレイフ様はずいぶんお疲れのご様子でしたから」

するとエイノ様は私に向かってきょとんとした表情を作って見せた。


「お疲れのご様子? お疲れだろうがなんだろうが、まだ夜の八時過ぎですぜ? 研究員なら今からが仕事の本番ってもんでしょうよ」

 はぁ、と私はため息をつく。研究室を訪れる頻度が上がってからは、彼の労働感覚がどこかおかしくなっていることは切に感じていたけれど、その元凶はやっぱりこの上司にあったらしい。


「本当にダメですからね! 今ようやく、ほんとにようやくお休みされたのですから」

 そう。実は、すっかりレイフ様もそれを受け入れているところが手に負えない。昨日は寝ていないのだから今日は早めに休むようにと私は言った。なのに、仮眠をとればなんとかなるなどと言いだして……。


「ったぁく。どうりで……。アイツに休むよう言ったのはレーナ様でしたか。一応ヤツの上司は俺なんですがねぇ」


「上司というのは、笑いながら仕事を持ち込んで来る悪魔だとレイフ様から聞いています」


「アイツ、育ての親に向かってなんてことを」


「分かっていただけましたか? 少なくとも一時間はその部屋には立ち入り禁止です」

 はぁ、と今度はエイノ様の方が盛大なため息をついた。


「へいへい。まぁ、そこまで言われちゃあ、仕方ねぇですかね」

 そのままつかつかと執務室を横切って、備え付けのソファにどかりと腰かける。深く背もたれに腰を預けて天井を仰ぎ見たエイノ様は、ふぅぅうと、まるで煙管でもふかしているように、再び長く細い息を吐く。


「えっと、こちらでお待ちになるのですか?」

 やや戸惑いつつ、私が尋ねた。九時くらいには起こしてほしいと頼まれているから、やり残した研究室の掃除をしたり、レイフ様の目覚まし代わりの軽食なんかを準備したりしながら、私も今から小一時間はこの研究室で過ごすつもりである。


「ええ。いけませんか?」

 こちらに顔が向いて、まじまじとそれを直視することになって、私ははっとする。彼もまた、目元に色濃い疲労が滲み出ていた。目尻の小ジワとグレーの髭が目立つからずいぶん年配に見えるけれど、もしかすると想像よりは若いのかもしれない。普段は、エイノ様独特のおどけた調子が、そういった疲労は覆い隠してしまうのだろう。


「いえ、そういうわけでは……」

 研究員なら、今からが仕事の本番。その言葉はあながち嘘ではなく、魔法研の職員なら皆このくらいは当たり前なのかもしれない。そしてその、ちょっと壊れた当たり前のおかげで、私たちは便利な魔法技術を教授しているということなのかも。


「そうですかい」


「…………」

 エイノ様がうつ向いて、それっきり会話が途切れた。それから、私がつい先刻火にかけたお湯がこぽこぽと沸騰し始める音だけが部屋に充満する時間が一分ほど過ぎる。手持無沙汰に私は、両手の親指をせわしなくこすり合わせた。それを尻目に、エイノ様は研究着の懐をおもむろにごそごそと弄って、小さなメモ帳のようなものを取り出す。携えられていたペンを使って、何事かをさらさらと記載していた。


「それは?」

 かけるべき言葉を探していた私が思わず尋ねる。返事は素っ気なかった。


「ああ、こいつぁちょっとした日記帳みたいなもんです。この年になると、物忘れも多くてねぇ」


「今は、何をメモされたんでしょう?」

 私の問いかけに、エイノ様は悪戯を思いついた子供のような無邪気な笑みを浮かべた。


「見たいですかい?」


「え、ええ。もし、よろしいのであれば」

 あまりに楽しそうな顔をするものだから、少しだけいぶかしみながらもこくりと頷く。それに満足したように、さらに口の端を吊り上げると、気が付いた時にはエイノ様の右手に微弱な魔力が収束していた。


「な、なにを……?」


「実はこいつぁ、ちょいと特別製でね……。こうやって力を流すと」

 瞬間、彼の手元から浮かび上がるように鮮明な人影が姿を現した。しかも、その銀髪と丸い輪郭の顔立ちは、まごうことなく私である。おまけに、先ほど私がエイノ様にそうして見せたように、『お褒めにあずかり光栄です』なんて、生意気な表情で告げながら本物の私自身に一礼を見せる。

 

 …………さっきの私はこんな不遜な態度だっただろうか。


「なっ、なんなんですか!! これは?」


「一種の発動体デバイスですぁ。記載した文書と紐付く、筆者の記憶を映像として記録、再生してくれるっていう」

 思わす私が手を伸ばすと、ジジッと一瞬だけ私自身の姿が乱れて、すぐ元通りになった。確かにただの映像に過ぎないらしい。


「楽しめましたかい? アイツ……レイフのまだちっちゃい頃の様子なんかも、こうして残しておけばいつでも見放題ってわけですぁ」


「レ、レイフ様の!?」

 もう少し映像を見せてもらおうと目論んだ私にいじわるをするように、エイノ様はぱたりと、日記帳を閉じてしまう。この人は私の全然知らないレイフ様を知っている。その事実が、急に実感を伴って私の意識に入り込んできていた。


 この人は、レイフ様の親代わり……。


 意識する。たったそれだけの出来事で、私はどうしてか彼のことが先ほどより気にかかるようになって。


「ところで、エイノ様も紅茶はいかがですか? レイフ様が起きるまで、少しくらい休憩されても罰は当たらないでしょう?」

 気が付いた時には、そんな風に提案していた。

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