第28話 天才を見出した人・2

 ずずと音を立てて紅茶をすする。王族である私を前に、平気で足を組む。けれどやっぱり、悪い印象を受けることはない。本当に不思議な人だと思った。そんなことを考えていた私に、エイノ様がふっと視線を向ける。


「悪かったですねぇ。この間は、試すような真似をして」


「え……?」

 何のことか分からず首を傾げる私に構わず、彼が続ける。


「初めて、あなたとレイフが一緒のところを見た日ですよ。俺ぁ、生来の性格がこんななもんで、どうも真面目な空気は苦手なんですがね。それでもあいつのことはそれなりに気ぃ使ってますもんで」

 その不自然な敬語と、話の内容のギャップがおかしくて、私は少し笑ってしまった。


「なにか、おかしいことでもありましたかい?」

 小さく咳払いしてから、私は口を開く。


「すみません。少し……、その。……私のような年下を相手に丁寧な言葉遣いをするのは苦手でいらっしゃいますか?」

 するとエイノ様はがさがさと少々気恥ずかし気に、自らの髭を撫でた。


「ええ、まあ、恥ずかしながら。研究発表なんかだと問題ないんですが、話をするとなるとどうもねぇ。ついつい部下に接する調子で言葉が漏れるといいますか」

 数秒考えてから私は提案する。


「でしたら、エイノ様の話しやすいように話してくださって結構ですよ? 私は特に気にしませんから」


「いいんですかい? でしたら、遠慮なく」

 まるでその言葉を待っていたと言わんばかりの早い返答に、私はまた少し笑みを零した。再び一口紅茶をすすって、エイノ様がうまいと呟く。最近、誰かのために紅茶を淹れる機会もずいぶんと増えて、手際と腕は間違いなく向上している自信がある。


「話を戻すとねぇ。最近アイツぁ、ずいぶん顔色がいいんだよねぇ」


「レイフ様のことですよね?」


「ええ、ええ。目の下にクマつくって、ゾンビみたいな顔しながらバリバリ働いているイメージしかなかったってのに」

 何かを懐かしむような顔での呟きだった。


「エイノ様にとってはご不満、ですか? 私はよい変化だと思っているのですが」

 というより、そう変化するように仕向けた本人なのだから、むしろ理想的な姿だとさえ思っている。エイノ様は数秒悩むように顎髭に手をあてがってから口を開く。


「そんなこたぁ……。あいつの場合、もともと成果を上げてくる速度が他の研究員の比じゃねぇし……。そろそろ、自分の研究に集中するために、受注の案件を減らして質を高める方向に考え方をシフトさせる時期でもあったからねぇ」

 エイノ様がそんなふうにおっしゃるのは意外だった。


「でも、いつもたくさん案件を受けてくるのはエイノ様なのでしょう? 私がお二人のお仕事のことに口を挟むつもりはありませんが、そんな風に思っていらっしゃるなら、どうして仕事量を減らしてあげないのですか?」


「そりゃぁ……」

 そこで一度言葉を切って、何かを逡巡するように数秒沈黙してから、エイノ様は続けた。


「二年前の癖が……アイツがこの魔法研で働き始めたころの癖が抜けないんだろうねぇ」


「癖、ですか?」


「ええ。今少しはマシになったもんだけど、ここで働き始めたばかりの頃のアイツぁ、はっきり言って生気の抜けた状態でね。仕事に忙殺されている今とはまた違う、不健全さが感じられたもんだ。くよくよ余計なこと考えさせるくらいなら、馬鹿みたいに仕事を振って、忙しさにどっぷり浸してやろうと思ってねぇ。幸いなことにアイツには研究の才能があったし、私情でいい加減な仕事をするような奴じゃあなかった」

 まただ。どこか遠い昔を見つめるような、なつかしい表情。少し悩ましいけれど、私は思い切って踏み込んでみることにする。


「先ほどエイノ様はご自身のことをレイフ様の『育ての親』とおっしゃいました。今のお話を聞くと、彼のプライベートにも少しお詳しいようです。エイノ様はレイフ様といったいどうのようなご関係なのですか?」

 するとエイノ様は少しだけ意外そうな顔を覗かせた。


「そのあたりのこたぁ、アイツはなんも話してないのか」


「ええ。レイフ様はご自身のことをあまり自分からお話されませんし……」


「まぁ、俺の方から話すのもどうかと思うけどねぇ」

 エイノ様はそこでもう一度紅茶を口に含んでから、目を瞑る。


「俺がアイツの育ての親だという言葉は嘘じゃあない。と言っても、アイツが、十四になった年から今までのたった数年の話だけどね」

 今から私はレイフ様の少し込み入った事情に触れるのだと分かっていながら、彼の話に聞き入ることにした。ひとえにそれは、少しでも彼のことを知っておきたいという気持ちが、ここ数か月の間にどんどん強くなっているからだ。


「育ての親……、ということはつまり、その。実のご両親はお亡くなりに?」


「ああ。アイツがまだ十歳かそこらの時に、レイフの両親は殺されたんだよ。つまらない貴族のやっかみでね」


「ころされ……」

 思ってもみなかった言葉に、私は驚いて両手で口を覆っていた。


「詳しい理由について、今俺の口から名言することは避けておこう。ただ本当につまらない理由だったと聞いている。それで、当然まだ生活能力もなかったアイツは、親類の家をたらいまわしにされていたそうだ。その間に、ひとつでもいい場所が見つかってりゃあ、また違ったんだろうけどねぇ。最後に、二年間アイツの面倒を見てくれてた家も、別にレイフを歓迎していたというワケじゃなかったらしい」


「そんな……」

 掠れるような声が漏れた。とても穏やかで、時には、王族とは言え私のことを気遣いすぎるきらいがあるとは思っていたけれど。決して安心して寛ぐことの出来ない他人の家で暮らしてきた経験から、あの性格が形成されたのだとすれば、それはとても悲しいことだ。


「見ず知らずの俺がアイツを引き取りたいと言ったとき、すんなり引き渡したくらいだから、それはまちがいないだろうなぁ」


「え、エイノ様は、どうしてレイフ様のことを引き取ろうと? いくら境遇が悪いからと言って、同情だけで人の子供を引き取ろうとは思わないでしょう?」


「アイツの故郷近くに出張で一か月ほど滞在する機会があってね。一言でいうと、ただならない魔法研究への才能を持った子供を偶然見てしまったからといったところか。しかも聞けば、その子はその才能を伸ばせそうな高等教育の場や魔法学校へととてもじゃないけど進学できそうにない状態だと言うじゃないか」


「つまりエイノ様は、若い魔法研究の才能を摘み取りたくなかったということですか? それで、高校や魔法学校へと通わせようと?」

 エイノ様は少々気恥ずかしそうに、視線を反らした。


「まあ、そんなところだ。当時俺ももう結構な年だったから、ガラにもなく後進の育成なんかを考え始めていた時期でね。まあ、結局全部余計なお世話に終わったようなもんだけど」


「余計なお世話、ですか? どうして?」


「教育なんて必要なかった。アイツは、弱冠十五歳にしてこの魔法研で働くことを認められた。どこの高校教師も、魔法学校の教授陣でさえも、十四歳のあいつを見て、何かを教えられるという段階はとうに過ぎてしまっていると口を揃えて言ったもんだ」


「……そこまでのものなんですね。レイフ様の才能というのは」

 こくんとエイノ様が頷く。


「仕方なしに、というより、俺にとっちゃ朗報だったけどね。俺の推薦と適性試験の結果、アイツは高校も魔法学校も出ないまま、前代未聞の経歴で魔法研の魔法技術師マギ・エンジニアになったのさ」


「だとすると、彼はどこで、魔法を学んでいたのでしょうか? いくら才能があっても、どこかで体系的な学問に触れる機会がなければそんな風にはなれませんよね?」

 再び私の口から出た質問に、けれどエイノ様はふんと小さく鼻をならしただけで、答えを返してはくれなかった。


「強引なお姫様も、まだまだですねぇ」


「え……? どういう意味です?」


「なぁに、急にレイフの部屋に入り浸るようになって、それを注意しようにも、警戒心が強いはずのアイツをすっかり味方につけちまって……。それから最近はずいぶん親しくしてるあなたの人たらしっぷりに少々驚愕してはいたんだがね? 姫様もまだまだアイツのことを知らないんだな、と」


「そっ、それは」

 その言葉がどうしてか少し悔しくて、私は反論を口にする。


「あと、一年……。いえ、半年もいっしょにいれば、レイフ様の方からお話してくださったはずです。あの人の牙城は堅牢ですが、ゆっくりながら攻略できているという自負がありますから」

 自慢げに、少しだけ胸を張った。するとその言葉を待っていたと言わんばかりに、エイノ様がにやりと口角を上げる。


「おうおう、たくましいこって……。でも、確かにそうかもねぇ。そこに異論はないよ。だから……。だからこそ、頼んますよ? レーナ嬢」


「え、たの……む?」


「俺はお嬢とレイフの初対面を知りはしないけどねぇ。初めて会ったとき、あいつはずいぶんとっつきにくい奴じゃなかったかい?」

 問われて私は思い返す。まあ、本当に一番初めの膝枕……は一応事故だから数に数えないことにして。その後のレイフ様は、過剰に私との間に線を引いていたような気がする。あれは、私が王族だからだと思ってはいたけれど。


「確かに。その……少々お堅い方だったなという印象は、あります」

 もしや誰に対しても、初対面であればああなのだろうか。エイノ様は分かる分かると言った具合に、大きく何度も頷いている。


「そんな面倒そうな相手に、どうしてお嬢は積極的に関わろうと? 失礼承知で言わせてもらうと、お嬢はレイフに対して、普通以上の思い入れがある接し方をしているように見えるけど」

 とても難しい質問だった。強いて言うならば初めに彼の写真を見たときに、もしやと思って、壇上に上がった彼を直に見たときやっぱりと思って、最後に、研究室で彼の顔を間近に見て確信した。インスピレーションのようなものだ。けれど慎重に言葉を選んで表現するのであれば。


「彼は、私と同じかもしれないと思ったからです。恵まれた環境にいながらどこか寂しさを感じている」

 王宮に住む私はいざ知れず、あの年齢で国王直属の魔法研で働くことを認められた彼も間違いなく人生を成功させていると言える。なのに、その表情にはどこか憂いがつきまとう。そんな、ところだろうか。


「ああ。やっぱりレーナ嬢で正解だと思ったよ。だから、もう一度言う。頼んますぜ?」


「頼むって、ですから何を?」


「決まっとるでしょう? これから、半年、一年とアイツと一緒にいてくれることを、ですよ。あわよくばその先もずっとね。アイツは結局孤独だから」


「孤独……? エイノ様がいてご自身の才能を認めてくれる魔法技術師が周りにたくさんいて、どうして」


「あなたが一番、分かってるでしょう? レーナ嬢。俺は……」

 しかし、その先。私が一番聞きたかったであろう本音が聞けると思ったところで、唐突にエイノ様は口を閉ざした。


「エイノ様……?」

 鋭い目つき。いつものあの剽軽な雰囲気が微塵も感じられない。次の瞬間には、がたりと立ち上がり、私を背にかばうようにして、執務室の窓の前へ立ちふさがった。


「いったいどうされ……」


「少し、しゃべらんで。それから、そこを決して動かんように」


「……?」

 戸惑う私に背を向けて、未だ緊張の面持ちのエイノ様が、口を開いた。


「どこの誰かは知らないけど、ずいぶんなご挨拶じゃないの。姿を見せたらどうだい?」

 すると、何もないと思っていた空間が一瞬ぼんやりと揺らぐ。まるで元の風景の方が溶けてしまったかのように、そこにグレーのスーツ姿の男が現れた。


「おや? メッセージを残すだけのつもりでしたが、気づかれてしまいましたか」

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